定年まであと数年となった段階で、勤務先から退職金制度の変更を知らされた場合、どのように対応すればよいのでしょうか。
長年勤務してきた会社で、退職金2,500万円を受け取る予定だったものの、制度変更によって2,000万円に減少する可能性があるとすれば、老後資金計画への影響は小さくありません。
三井住友信託銀行は、退職金と企業年金について勤続年数による加算を廃止し、能力や役職を重視する制度へ移行しました。
今回の改革では支給額が増える人もいる一方、従来より減少する人も出るとされています。
企業の人事制度改革が進む中で、退職金の支給条件が将来にわたって変わらないとは限りません。
特に50代・60代の会社員にとって、退職金は住宅ローンの完済、老後生活費、医療・介護への備えなどに充てる重要な資金です。
税理士・FPの視点から、退職金制度の変更に関する法律上のルールと、老後資金を守るための具体的な対応策について考えます。
退職金制度は企業が自由に変更できるのか
退職金制度は、すべての企業に設置が義務付けられているものではありません。
しかし、就業規則や退職金規程、労働契約などで支給条件が定められている場合には、その内容が労働条件となります。
したがって、企業が一方的に退職金を減額できるわけではありません。
労働契約法第9条では、原則として、労働者との合意なく就業規則を変更することによって、労働条件を不利益に変更することはできないとされています。
一方、同法第10条では、変更後の就業規則を周知し、その変更が合理的である場合には、一定の要件のもとで変更後の労働条件が適用される仕組みが定められています。
合理性の判断では、不利益の程度、変更の必要性、変更後の内容の相当性、労働組合などとの交渉状況などが考慮されます。
退職金は長期間の勤務に対する給付という性格を持つため、減額による影響が大きい場合には、慎重な検討が必要です。
退職金の不利益変更で重要になる合理性
企業が退職金制度を変更する背景には、経営環境の悪化、財務負担の軽減、人事制度の統一、人材確保などがあります。
しかし、経営上の必要性があるという理由だけで、すべての減額が認められるわけではありません。
例えば、退職直前の従業員について、それまで積み上げてきた退職給付を大幅に削減する場合には、不利益の程度が大きくなります。
一方、新制度への移行期間を設けたり、従来制度に基づく一定の給付を保護したりする場合には、不利益を緩和できる可能性があります。
また、労働組合との協議や従業員への十分な説明も重要です。
制度変更の合理性は、個別の事情を踏まえて判断されます。
従業員にとっては、会社から説明された変更内容を確認し、自分の退職給付がどのように変わるのかを具体的に把握することが第一歩になります。
経過措置が退職金額を左右する
退職給付制度を変更する際には、経過措置が設けられる場合があります。
例えば、制度変更前に積み上げた退職給付相当額を一定の方法で保護し、変更後の勤務期間について新しい計算方法を適用する仕組みです。
また、一定年齢以上の従業員について、従来制度の一部を維持することも考えられます。
経過措置の内容によって、実際の退職金額は大きく変わります。
例えば、55歳時点で旧制度に基づく退職給付相当額が1,800万円あるとします。
その後、新制度へ移行した場合、既に積み上げた1,800万円相当をどのように取り扱うかが重要になります。
ただし、制度上の計算額が直ちに法的に確定した受給権を意味するとは限りません。
従業員は、制度変更前の見込額だけでなく、移行時点の取り扱い、将来の加算方法、退職理由による違いを確認する必要があります。
退職金が500万円減少した場合の影響
具体的な例で考えてみます。
65歳で退職する会社員が、当初2,500万円の退職金を見込んでいたとします。
しかし、制度変更によって受取額が2,000万円になった場合、差額は500万円です。
65歳から90歳までの25年間で、この500万円を均等に取り崩すとすると、次の計算になります。
500万円÷25年÷12カ月=約1万6,700円
退職金500万円の減少は、25年間にわたり毎月約1万7,000円の生活費が減ることに相当します。
もちろん、物価上昇や運用益、税金などは考慮していません。
しかし、毎月約1万7,000円の差は、日常生活に無視できない影響を与えます。
例えば、医療費、旅行費用、住宅修繕費、家電の買い替えなどに充てられる資金が減少します。
退職金の減額は、単なる一時的な収入減少ではなく、老後生活全体に影響する問題なのです。
退職時期によって受取額が変わる可能性
退職給付制度が変更される場合には、退職時期によって受取額が異なることがあります。
例えば、60歳で退職する場合と65歳まで勤務する場合では、勤続年数、役職、給与、退職理由などが異なるためです。
また、制度変更の適用日や経過措置によっても支給額が変わる可能性があります。
ただし、制度変更前に退職すれば必ず有利になるわけではありません。
退職時期を早めると、その後の給与収入や厚生年金の加入期間にも影響します。
例えば、年間給与600万円の会社員が60歳で退職する場合、65歳まで勤務すれば得られた可能性のある給与収入は、単純計算で3,000万円です。
実際には税金、社会保険料、昇給、賞与、再雇用条件などを考慮する必要があります。
退職金が増えるか減るかだけで退職時期を決めるのではなく、退職までの給与と老後の収入を含めた比較が重要です。
退職金の減少を補う3つの方法
退職金の減少が見込まれる場合には、早い段階で対応策を検討する必要があります。
第1は、現役時代の貯蓄額を増やすことです。
例えば、退職まで10年間ある場合、500万円を積み立てるには、運用益を考慮しなければ毎月約4万2,000円が必要です。
第2は、退職後の就労収入を確保することです。
例えば、65歳から70歳までの5年間、毎月8万円の手取り収入を得られれば、合計480万円になります。
ただし、就労収入には税金や社会保険料が関係し、年金の受給状況によっては在職老齢年金の調整も考慮する必要があります。
第3は、老後の支出を見直すことです。
例えば、毎月の生活費を2万円削減できれば、年間24万円、20年間で480万円の支出削減になります。
これらの方法を組み合わせることで、退職金の減少による影響を緩和できます。
退職金減額時に注意したい資産運用
退職金が減ると、資産運用で不足額を取り戻そうと考える人もいるかもしれません。
しかし、定年が近い時期に大きな運用リスクを取ることには注意が必要です。
例えば、老後資金2,000万円を株式中心で運用し、市場の下落によって30%減少した場合、資産額は1,400万円になります。
損失額は600万円です。
退職金の減少を補うために始めた運用が、かえって老後資金を大きく減らす可能性があります。
50代・60代では、資産形成だけでなく、資産を守ることも重要になります。
生活費として近い将来使用する資金は預貯金などで確保し、長期間使う予定のない資金について分散投資を検討する方法があります。
運用期間、資産残高、家計の状況、リスク許容度に応じた判断が必要です。
会社員が確認すべき退職給付の情報
退職給付制度の変更が発表された場合には、勤務先の人事部門などに具体的な情報を確認することが重要です。
特に確認したいのは、制度変更前後の退職給付見込額です。
60歳、65歳など、複数の退職時期について試算を依頼できれば、判断材料が増えます。
また、経過措置の内容、自己都合退職と会社都合退職の違い、企業年金の受取条件なども確認します。
企業型DCがある場合には、現在の資産残高や運用状況も把握する必要があります。
制度変更に疑問がある場合には、労働組合、社会保険労務士、弁護士などの専門家への相談も考えられます。
重要なのは、制度変更の内容を十分に理解しないまま退職時期や資産形成方針を決めないことです。
企業にも求められる従業員への説明責任
退職給付制度の改革は、企業の経営判断として必要になる場合があります。
しかし、退職金は従業員の長期的な生活設計に関わる重要な労働条件です。
特に50代・60代では、制度変更による影響を補うための時間が限られています。
企業には、変更の必要性だけでなく、従業員ごとの影響や経過措置を分かりやすく説明することが求められます。
また、退職給付の見込額を確認できる仕組みや、老後資金に関する情報提供も重要です。
制度改革の目的が人材の流動化や成果重視の処遇であっても、長年勤務してきた従業員の納得を得られなければ、企業への信頼が低下する可能性があります。
企業と従業員の双方が将来を見通せる制度設計が必要です。
結論
退職給付制度の改革が進む中で、50代・60代の会社員にとって退職金の減額リスクは重要な課題になっています。
退職金制度は企業が自由に変更できるものではなく、不利益変更には労働契約法上の規律が関係します。
また、制度変更時の経過措置によって、実際の退職給付額は大きく異なります。
従業員は、勤務先の制度変更を正確に理解し、退職時期ごとの見込額を確認することが必要です。
退職金が500万円減少した場合でも、現役時代の貯蓄、退職後の就労収入、生活費の見直しなどを組み合わせることで、影響を緩和できる可能性があります。
ただし、不足額を取り戻そうとして過度な運用リスクを取ることは避けるべきです。
人生100年時代には、退職金を確実に受け取れるものとして考えるのではなく、制度変更の可能性も踏まえた柔軟な資金計画が求められます。
老後資金を守るために最も重要なのは、退職金の見込額を早期に把握し、必要な対策を退職前から進めることです。
参考
日本経済新聞 2026/10/28 朝刊「三井住友信託銀行、退職金・年金の年功廃止 長く勤めても増額なし」
日本経済新聞 2026/10/28 朝刊「退職給付とは 大企業ほど充実、25%は制度なし」
厚生労働省「労働契約法のあらまし」
厚生労働省「確定給付企業年金制度について」
中央労働委員会「令和7年退職金、年金及び定年制事情調査」
国税庁「退職金を受け取ったとき(退職所得)」