在宅勤務から出社勤務へ回帰する企業が増えるなか、従業員との間で勤務場所を巡るトラブルが発生する可能性が高まっています。
企業側は、組織の一体感や人材育成、生産性向上などを目的として出社回帰を進めます。一方、従業員のなかには、在宅勤務を前提に転居や住宅購入、育児、介護などの生活設計を行ってきた人もいます。
こうした状況で企業が一方的に出社命令を出せば、従業員との間で労働条件の変更や業務命令権の濫用を巡る紛争が生じる可能性があります。
出社回帰を円滑に進めるためには、就業規則を変更するだけでは十分ではありません。
個別の労働契約を確認し、制度変更の必要性を説明し、従業員の事情を把握したうえで、適切な手続きを踏む必要があります。
今回は、出社回帰を巡る労働紛争を防ぐために、企業が整備すべき就業規則と社内手続きについて考えます。
出社回帰で労働紛争が発生する理由
出社回帰を巡る紛争の背景には、企業と従業員の認識の違いがあります。
企業側は、在宅勤務を業務運営上の一時的な措置と考えている場合があります。
そのため、経営環境や業務上の必要性が変われば、出社勤務に戻すことができると判断します。
一方、従業員側は、長期間にわたって在宅勤務が認められてきたことから、今後も同じ働き方を継続できると考えている場合があります。
特に、企業が居住地の制限を撤廃したり、完全在宅勤務を前提に採用したりしていた場合には、従業員の期待が強くなる可能性があります。
このような認識の違いがあるまま出社回帰を進めれば、従業員が出社命令の有効性を争うことも考えられます。
企業は、制度変更を決定する前に、在宅勤務がどのような法的根拠に基づいて認められていたのかを整理する必要があります。
就業規則と個別の労働契約を確認する
出社回帰を進める際に、最初に確認すべきなのが就業規則と個別の労働契約です。
労働契約法第7条は、合理的な労働条件を定めた就業規則が労働者に周知されている場合、一定の条件のもとで就業規則の内容が労働契約の内容になると定めています。
一方、労働契約法第8条は、労働者と使用者が合意によって労働条件を変更できるとしています。
さらに、同法第9条と第10条は、就業規則による労働条件の不利益変更について定めています。
企業は、在宅勤務制度が就業規則にどのように規定されているかを確認する必要があります。
例えば、会社が業務上の必要性に応じて在宅勤務を認めると定めている場合と、従業員が原則として在宅勤務を行うと定めている場合では、法的な意味が異なる可能性があります。
また、個別の労働契約で勤務場所を限定している場合には、就業規則の変更だけで対応できないことがあります。
特に、完全在宅勤務を前提に採用した従業員については、採用時の説明内容や労働条件通知書などを確認することが重要です。
勤務場所に関する規定を明確にする
出社回帰を巡る紛争を防ぐためには、勤務場所に関する規定を明確にする必要があります。
例えば、就業規則や在宅勤務規程に、在宅勤務の対象者、利用条件、申請手続き、出社を求める場合の取扱いなどを定めることが考えられます。
また、出社日数や出社日の決定方法についても、従業員が理解できる内容にすることが重要です。
ただし、会社が必要と認めた場合にはいつでも出社を命じることができると規定すれば、すべての出社命令が有効になるわけではありません。
実際の命令については、労働契約の内容や業務上の必要性、従業員が受ける不利益などが問題となる場合があります。
また、勤務場所を限定する個別合意がある場合には、その合意内容を尊重する必要があります。
就業規則は、企業の権限を広く定めるためだけのものではありません。
企業と従業員の双方が、勤務制度の内容を理解するための重要なルールなのです。
労働条件明示ルールへの対応
2024年4月から、労働条件明示のルールが変更されました。
労働契約の締結時などには、就業場所と業務の変更の範囲について明示することが必要になっています。
例えば、採用時の就業場所が東京都内の本社であっても、将来的に全国の事業所へ転勤する可能性がある場合には、その変更の範囲を明示する必要があります。
一方、就業場所を限定する契約であれば、その内容を明確にすることが重要です。
在宅勤務を前提に採用する場合にも、勤務場所に関する合意内容を曖昧にしないことが望まれます。
ただし、労働条件通知書に変更の範囲を広く記載しただけで、企業が無制限に勤務場所を変更できるわけではありません。
実際の勤務場所の変更については、労働契約の内容や権利濫用の有無などが問題となります。
企業は、採用時の説明と実際の勤務制度に矛盾が生じないようにする必要があります。
就業規則の変更には適切な手続きが必要
出社回帰に伴って就業規則を変更する場合には、労働基準法に基づく手続きを確認する必要があります。
常時10人以上の労働者を使用する事業場では、就業規則を作成または変更する際に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にはその労働組合、ない場合には過半数代表者の意見を聴く必要があります。
また、変更後の就業規則について、労働基準監督署への届出も必要です。
ただし、労働基準法第90条に基づく意見聴取は、原則として労働組合や過半数代表者の同意まで求めるものではありません。
一方、労働条件の不利益変更に当たる場合には、労働契約法第9条と第10条の問題が生じます。
変更後の就業規則を周知し、その内容が合理的であることなどが求められます。
また、勤務場所に関する個別合意がある場合には、就業規則の変更だけで対応できない可能性があります。
企業は、就業規則の変更手続きと、個々の従業員に対する労働条件変更の有効性を区別して考える必要があります。
制度変更の必要性を具体的に説明する
出社回帰を巡る紛争を防ぐためには、制度変更の必要性を具体的に説明することが重要です。
例えば、組織の一体感を高めるためという説明だけでは、従業員が出社の必要性を十分に理解できない場合があります。
一方、若手従業員の育成、部門間の情報共有、顧客対応の迅速化など、具体的な課題を示せば、出社回帰の目的を理解しやすくなります。
ただし、説明が具体的であることだけで、制度変更の法的な合理性が認められるわけではありません。
出社回帰の必要性と従業員が受ける不利益を総合的に検討する必要があります。
また、企業は出社日数を増やす以外の方法で目的を達成できないかについても検討することが望まれます。
例えば、週5回の出社ではなく、会議や研修のある日に出社する方法も考えられます。
出社回帰の目的と手段を整理することが、従業員の納得につながります。
個別事情を把握する仕組みを整える
出社回帰による影響は、従業員によって異なります。
勤務先の近くに住む従業員と、遠方に居住する従業員では、通勤時間や交通費の負担が大きく異なります。
また、育児や介護を担う従業員にとっては、出社日数の増加が家庭生活に重大な影響を与える場合があります。
企業は、制度変更を進める前に、従業員の事情を把握する仕組みを整える必要があります。
例えば、従業員アンケートや個別面談、相談窓口などを設けることが考えられます。
その際、家庭事情や健康に関する情報などは、必要な範囲で取得し、適切に管理することが重要です。
また、従業員が相談したことを理由に不利益な取扱いを受けるのではないかと不安を感じないよう、相談体制の独立性や公平性にも配慮する必要があります。
個別事情を把握することは、例外措置の必要性を判断するうえでも重要になります。
例外措置と経過措置を明確にする
出社回帰を進める企業では、基本的な出社ルールと例外措置を組み合わせることが考えられます。
例えば、原則週3回の出社としながら、遠方居住者や育児、介護を担う従業員については、個別事情に応じた対応を検討する方法があります。
また、制度変更によって転居や単身赴任が必要になる従業員については、一定の経過措置を設けることも考えられます。
ただし、例外措置の判断基準が不明確であれば、従業員間で不公平感が生じる可能性があります。
企業は、例外措置の対象となる事情や申請手続き、審査方法などを明確にする必要があります。
また、例外措置を認める期間や見直しの方法についても、あらかじめ整理しておくことが望まれます。
制度の公平性を確保するためには、すべての従業員を同じように扱うことだけでなく、合理的な理由に基づいて異なる取扱いを行うことも重要です。
出社命令に従わない従業員への対応
企業が出社回帰を進める際には、出社命令に従わない従業員への対応も問題となります。
例えば、週3回の出社を求めたにもかかわらず、従業員が在宅勤務を継続した場合を考えます。
企業は、直ちに懲戒処分を検討するのではなく、まず出社しない理由を確認する必要があります。
勤務場所に関する個別合意がある場合には、出社命令そのものの有効性が問題となる可能性があります。
また、育児や介護、健康上の事情などによって出社が困難な場合には、法令上の権利や配慮義務を確認する必要があります。
労働契約法第15条は、懲戒処分について、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、権利の濫用として無効になると定めています。
したがって、出社命令への違反があったとしても、懲戒処分が当然に有効になるわけではありません。
企業は、命令の有効性、違反の経緯、従業員の事情、処分の相当性などを慎重に検討する必要があります。
制度変更の記録を残すことが重要
出社回帰を巡る紛争を防ぐためには、制度変更に関する記録を残すことも重要です。
例えば、出社回帰を決定した理由、検討した代替案、従業員への説明内容、労働組合などとの協議状況などを記録することが考えられます。
また、個別の従業員から相談を受けた場合には、相談内容や対応方針、判断理由などを適切に記録する必要があります。
こうした記録は、制度変更の経緯を明確にするだけでなく、従業員から説明を求められた際にも役立ちます。
ただし、記録を残すこと自体が、制度変更の有効性を保証するわけではありません。
重要なのは、合理的な判断を行い、その過程を説明できるようにすることです。
企業は、法令上の手続きを満たすだけでなく、従業員に対して透明性の高い制度運営を行う必要があります。
出社回帰後も制度を検証する
出社回帰は、制度を変更した時点で完了するものではありません。
実際に出社日数を増やした結果、業務効率や従業員の働き方にどのような変化が生じたのかを検証する必要があります。
例えば、部門間の情報共有が改善したのか、若手従業員の育成が進んだのか、顧客対応が迅速になったのかなどを確認することが考えられます。
一方、従業員の離職率や採用状況、残業時間、通勤負担などにも目を向ける必要があります。
出社回帰によって期待した効果が得られていない場合には、制度の見直しを検討することも重要です。
企業は、出社日数を維持すること自体を目的とするのではなく、業務成果や従業員の定着などを総合的に評価する必要があります。
制度変更後も従業員の意見を把握し、必要に応じて改善する姿勢が求められます。
結論
出社回帰を巡る労働紛争を防ぐためには、就業規則を変更するだけでは十分ではありません。
企業は、まず在宅勤務制度の法的な位置付けを確認し、個別の労働契約との関係を整理する必要があります。
そのうえで、制度変更の必要性を明確にし、従業員が受ける不利益を把握することが重要です。
就業規則の変更が必要な場合には、労働基準法や労働契約法に基づく手続きを適切に行わなければなりません。
また、遠方居住者や育児、介護を担う従業員については、個別事情に応じた例外措置や経過措置を検討することが望まれます。
出社命令に従わない従業員がいる場合にも、直ちに懲戒処分を行うのではなく、命令の有効性や従業員の事情を確認する必要があります。
さらに、制度変更の経緯や労使協議の内容を記録し、出社回帰後も制度の効果を検証することが重要です。
出社回帰は、企業の業務命令権だけで実現するものではありません。
従業員が制度変更の必要性を理解し、納得して働ける環境を整えることが求められます。
企業が目指すべきなのは、出社命令を徹底することではなく、業務上の必要性と従業員の生活の安定を両立させることです。
法令に基づく適切な手続きと、従業員との丁寧な対話を組み合わせることが、出社回帰を巡る労働紛争を防ぐための基本となるのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月26日朝刊 出社回帰トラブル回避には従業員の納得重要 往復10時間で悩む人も
労働契約法 第3条 第7条から第10条 第15条
労働基準法 第15条 第89条 第90条 第106条
厚生労働省 2024年4月 労働条件明示のルール変更
厚生労働省 テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン