企業の内部統制は、経営者や管理者が定められたルールを遵守することを前提として設計されています。
しかし、経営者自身が不正に関与した場合、通常の承認手続きや監督機能が十分に働かなくなることがあります。
特に海外子会社では、現地法人の責任者に営業、経理、人事、資金管理などの権限が集中しやすく、本社による監督が届きにくいという問題があります。
2026年10月25日の日本経済新聞では、日本企業の中国現地法人で発生した架空領収書を利用した不正経理事件が報じられました。
大阪市に本社を置く商社の上海現地法人では、責任者が私的な飲食費や住居費などを会社に負担させ、部下の社員が架空領収書の入手に関与していました。
本社が確認した社員名義の口座への経費支払総額は約2,500万円に達し、裁判所は少なくとも440万円の不要な支出が発生したと認定しました。
この事件で重要なのは、不正を行った人物の中に現地法人の責任者が含まれていたことです。
本来、不正を防止する立場にある責任者自身が不正に関与すると、内部統制の仕組みが機能しなくなる危険があります。
今回は、経営者による内部統制の無効化という問題を中心に、海外子会社の責任者不正が発生する背景と、本社が講じるべき対策について考えます。
経営者による内部統制の無効化とは何か
内部統制とは、企業が業務を適正かつ効率的に遂行し、財務報告の信頼性を確保し、法令を遵守するための仕組みです。
一般的には、業務の申請者と承認者を分けたり、支払いを実行する担当者と会計記録を行う担当者を分けたりすることで、不正や誤りを防止します。
しかし、経営者や管理者が自らの権限を利用して、通常の統制手続きを回避する場合があります。
これが経営者による内部統制の無効化です。
英語ではマネジメントオーバーライドと呼ばれます。
例えば、一定金額以上の支出には複数の承認が必要とされていても、経営者が特別扱いを指示し、通常の手続きを省略させる場合があります。
また、経営者が経理担当者に対して、実際とは異なる会計処理を指示することも考えられます。
経営者は企業の業務や内部統制に対して強い影響力を持っています。
そのため、一般の従業員による不正とは異なり、通常の内部統制だけでは防止や発見が難しくなることがあります。
今回の事件も、現地法人の責任者が不適切な経費精算に関与したという点で、管理者による内部統制の無効化を考えるうえで重要な事例です。
現地責任者への権限集中が不正の機会を生む
海外子会社では、現地法人の責任者に広範な権限が与えられることがあります。
特に規模の小さい海外拠点では、責任者が営業活動だけでなく、経理、人事、資金管理、取引先との契約などを統括している場合があります。
このような体制は、意思決定を迅速に行えるという利点があります。
一方で、責任者の判断を独立した立場から確認する仕組みが弱くなる危険があります。
例えば、責任者が接待交際費を使用し、その経費を自ら承認できる場合を考えます。
本来であれば、業務上必要な支出であるかを第三者が確認する必要があります。
しかし、申請者と承認者が実質的に同じ人物であれば、牽制機能は十分に働きません。
さらに、経理担当者の人事評価や処遇を責任者が決定している場合、担当者が不適切な指示に異議を唱えることは難しくなります。
海外子会社の内部統制では、責任者に必要な権限を与えながら、その権限の行使を独立して監督する仕組みが求められます。
私的な支出が会社経費に変わる仕組み
今回の事件では、現地法人の責任者が南京にある行きつけのスナックへ頻繁に通うため、上海の社宅とは別に南京にもマンションを借り、その費用を会社に負担させていました。
さらに、私的な飲食や物品購入などについても、業務上必要な経費であるかのように精算していました。
こうした支出は、本来であれば個人が負担すべきものです。
しかし、責任者が経費精算の承認権限を持っていれば、私的な支出を会社経費として処理しやすくなります。
例えば、個人的な飲食費を取引先との接待費として処理するケースが考えられます。
また、私的な旅行の宿泊費を出張費として処理することも考えられます。
さらに、実際には業務上の必要性がない住居費を、現地法人の事業活動に必要な費用として計上する場合もあります。
このような不正は、経費の支出目的を確認する仕組みがなければ発見しにくくなります。
特に責任者自身が支出目的を説明し、その説明を部下が確認する体制では、実効性のある牽制が働かない可能性があります。
責任者自身の経費については、本社が直接確認するなど、通常とは異なる承認手続きを設けることが重要です。
部下を巻き込むことで不正が組織化する
今回の事件では、現地法人の責任者だけでなく、部下の社員も架空領収書の入手に関与していました。
社員は領収書の売買業者から証憑を入手し、不適切な経費精算に利用していました。
裁判では、社員側が責任者の指示に従わざるを得なかった事情を主張しました。
しかし、大阪地裁は、違法な業務命令に従うべきではないという判断を示しました。
この点は、企業のコンプライアンス管理において重要です。
上司の指示であっても、違法な行為が正当化されるわけではありません。
一方で、組織の実態として、部下が上司の指示を拒否することは容易ではない場合があります。
特に海外拠点では、少人数の組織で上司と部下の関係が固定化しやすく、人事評価や昇進への影響を懸念することも考えられます。
そのため、企業は従業員個人の倫理観だけに依存するのではなく、不適切な指示を受けた場合に相談できる仕組みを整備する必要があります。
現地責任者を経由せず、日本本社の法務部門や内部監査部門へ直接相談できる体制が重要です。
経営者不正は通常の承認手続きでは防げない
一般的な経費精算では、従業員が申請し、上司が承認し、経理担当者が支払いを実行します。
この仕組みは、申請者と承認者が独立していることを前提としています。
しかし、上司自身が不正を指示している場合には、承認手続きが形式的なものになってしまいます。
例えば、現地法人の責任者が部下に対して、私的な飲食費を接待交際費として精算するよう指示した場合を考えます。
部下が申請し、責任者が承認すれば、書類上は通常の経費精算手続きが完了したように見えます。
経理担当者が領収書と承認印だけを確認していれば、不正を発見できない可能性があります。
このような問題に対応するためには、承認者自身を監督する仕組みが必要です。
例えば、現地責任者の経費については日本本社の担当役員が承認する方法があります。
また、現地責任者が承認した経費について、本社の経理部門が定期的に抽出確認する方法も考えられます。
重要なのは、現地責任者の権限から独立した確認機能を設けることです。
本社による監督責任をどう考えるか
海外子会社の責任者が不正を行った場合、直接的な責任は不正に関与した本人にあります。
しかし、企業経営の観点からは、本社の監督体制にも目を向ける必要があります。
今回の事件では、本社社長が決算資料を確認したことで異常な経費支払いが発覚しました。
このことは、本社による確認が不正発見につながったことを示しています。
一方で、約1年間にわたって不適切な経費精算が行われていたことから、日常的な管理体制に改善の余地がなかったかを検討する必要があります。
例えば、現地責任者自身の経費について、本社が定期的に確認していたかという点です。
また、社員別の経費精算額や取引先別の支出状況を分析していたかという点も重要です。
さらに、現地従業員が本社へ直接問題を報告できる仕組みがあったかどうかも確認すべき事項です。
ただし、不正が発生したという事実だけで、直ちに本社経営陣に法的責任が生じるわけではありません。
法的責任の有無は、具体的な職務権限、監督義務、認識していた事実、損害との因果関係などによって判断されます。
経営管理上の改善課題と、法律上の責任は区別して考える必要があります。
内部監査では経営者不正を重点的に確認する
海外子会社の内部監査では、現地責任者が承認した取引についても独立した確認が必要です。
特に接待交際費、旅費交通費、宿泊費、住居費などは、私的な支出との区別が難しい場合があります。
例えば、現地責任者の経費精算について、領収書だけでなく、支出目的、参加者、訪問先、業務記録などを確認することが考えられます。
また、特定の飲食店や宿泊施設への支払いが集中している場合には、その理由を確認します。
さらに、現地責任者の承認によって通常の手続きが省略されている取引がないかを調査することも重要です。
経営者による内部統制の無効化は、通常の業務手続きの外側で発生することがあります。
そのため、内部監査では、形式的に承認されているかどうかだけでなく、承認の合理性や取引の実在性を確認する必要があります。
また、現地責任者への聞き取りだけでなく、経理担当者や一般従業員からも情報を収集することが有効です。
監査対象となる責任者の説明だけに依存しないことが、監査の独立性を確保するうえで重要になります。
経営者不正が連結決算に与える影響
海外子会社の責任者による不正は、現地法人の会計処理だけでなく、連結決算にも影響する可能性があります。
例えば、私的な支出を会社経費として計上していた場合、費用が過大に計上され、利益が過少に表示される可能性があります。
また、不正に関与した責任者や社員に対する返還請求権が発生する場合には、債権計上や回収可能性の検討が必要になることもあります。
さらに、税務上の損金算入が認められない支出であれば、現地法人の税務申告を修正する必要が生じる可能性があります。
連結決算を行う日本本社では、こうした会計処理や税務処理の影響を確認しなければなりません。
特に重要なのは、不正の金額だけでなく、経営者が関与していたという事実です。
金額が比較的小さくても、経営者による内部統制の無効化が認められる場合には、内部統制上の重要な問題として検討する必要があります。
上場企業であれば、財務報告に係る内部統制の評価や監査への影響も考えられます。
経営者不正は、単なる経費処理の問題ではなく、財務報告全体の信頼性に関わる問題なのです。
経営者不正を防止するための具体策
海外子会社の経営者不正を防止するためには、現地責任者への権限委譲と本社による監督を両立させる必要があります。
まず、現地責任者自身の経費については、本社による承認を基本とすることが考えられます。
次に、現地責任者が承認した高額な取引や通常とは異なる取引について、本社が定期的に確認する仕組みを整備します。
また、現地法人の銀行口座や資金移動について、一定金額以上の支払いには複数の承認を必要とすることも有効です。
さらに、経理担当者の報告経路を現地責任者だけに限定しないことが重要です。
例えば、現地経理責任者が日本本社の経理部門にも定期的に報告する体制が考えられます。
内部通報制度についても、現地責任者を経由せず、本社へ直接相談できる仕組みが必要です。
加えて、現地責任者の長期在任による権限集中や取引先との過度な密接関係にも注意する必要があります。
定期的な人事異動や職務権限の見直し、内部監査の実施などを組み合わせることで、不正の発生機会を減らすことが期待できます。
ただし、人事異動だけで不正を防止できるわけではありません。
重要なのは、誰が責任者になっても適切に機能する内部統制を整備することです。
結論
今回の中国現地法人における架空領収書事件は、海外子会社の責任者自身が不正に関与した場合、内部統制が十分に機能しなくなる危険を示しています。
現地責任者は、私的な支出を会社経費として処理し、部下の社員も架空領収書の入手に関与していました。
通常の経費精算では、上司による承認が不正防止の重要な役割を果たします。
しかし、承認する上司自身が不正を行っていれば、その仕組みは十分な牽制機能を発揮できません。
海外子会社の内部統制では、現地責任者を監督する独立した仕組みが不可欠です。
具体的には、本社による経費承認、定期的な取引確認、内部監査、内部通報制度などを組み合わせる必要があります。
また、現地責任者の権限が過度に集中していないか、経理担当者が不適切な指示を拒否できる環境が整っているかを確認することも重要です。
経営者による内部統制の無効化は、制度を整備するだけでは完全に防止できません。
だからこそ、経営者自身も監督の対象とする仕組みが必要になります。
海外子会社のガバナンスを強化するためには、現地責任者への信頼を維持しながら、その権限を適切に監督する体制を構築することが重要だと考えられます。
参考
日本経済新聞 2026年10月25日 朝刊 海外法人で不正経理、使われた架空領収書 解雇の社員は「中国の慣例」
金融庁 財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準
日本公認会計士協会 監査基準報告書240 財務諸表監査における不正