海外子会社の不正経理を防止するために、AIを活用する動きが注目されています。
従来、経費精算の確認は、経理担当者が領収書や申請内容を一件ずつ確認する方法が中心でした。
しかし、海外子会社の数が増え、経費精算の件数も増加すると、すべての取引を人の目で詳細に確認することは難しくなります。
そこで期待されているのが、AIやデータ分析を活用した経費精算の自動監視です。
2026年10月25日の日本経済新聞では、日本企業の中国現地法人で発生した架空領収書による不正経理事件が報じられました。
大阪市に本社を置く商社の上海現地法人では、責任者が私的な飲食費や住居費などを会社に負担させ、部下の社員が架空領収書の入手に関与していました。
本社が確認した社員名義の口座への経費支払総額は約2,500万円に達し、裁判所は少なくとも440万円の不要な支出が発生したと認定しました。
今回の事件では、本社社長が決算資料を確認したことが不正発見のきっかけとなりました。
もし経費精算データを継続的に分析し、通常とは異なる支出を自動的に検知する仕組みがあれば、より早い段階で問題を発見できた可能性があります。
今回は、AIを利用した経費精算の不正検知の仕組みと、海外子会社で導入する際の実務上のポイントについて考えます。
AIによる経費精算の不正検知とは何か
AIによる経費精算の不正検知とは、過去の経費精算データや領収書の情報などを分析し、通常とは異なる取引を抽出する仕組みです。
例えば、特定の社員の経費精算額が急増した場合や、同じ店舗への支払いが短期間に集中した場合などを検知することが考えられます。
従来の経費管理では、一定金額以上の支出や予算超過など、あらかじめ設定した条件によって確認対象を抽出する方法が一般的でした。
これに対して、AIを活用した分析では、過去の取引傾向や複数の情報を組み合わせ、通常とは異なるパターンを発見することが期待できます。
例えば、同じ営業部門の社員と比較して接待交際費が著しく多い場合や、出張頻度に比べて宿泊費が多い場合などを分析できます。
ただし、AIが異常と判定した取引が、必ずしも不正であるとは限りません。
新規顧客の開拓や大型商談など、合理的な理由によって経費が増加することもあります。
そのため、AIは不正を断定する仕組みではなく、重点的に確認すべき取引を抽出するための補助的な手段として活用することが重要です。
社員別の経費精算額を自動監視する
今回の事件で注目すべきなのは、特定の社員名義の口座への経費支払いが大きな金額に達していたことです。
従来の経費精算額は月30万円程度でしたが、本社が確認した支払総額は約2,500万円に達していました。
ただし、月30万円は従来の月額水準であり、約2,500万円は一定期間の支払総額です。
両者の対象期間は異なるため、単純に増加率を計算することはできません。
それでも、特定の社員に対する経費支払いの変化は、重要な確認対象となります。
例えば、過去6カ月の平均経費精算額が月20万円だった社員について、ある月に100万円の精算が発生した場合を考えます。
この場合、通常の5倍の経費が発生していることになります。
AIやデータ分析システムを利用すれば、このような取引を自動的に抽出することが可能です。
さらに、社員の役職、担当業務、営業地域、出張頻度などを組み合わせれば、より実態に即した分析ができます。
ただし、過去の平均額から大きく外れているという理由だけで、不正と判断することはできません。
重要なのは、異常値を検知した後に、業務上の合理的な理由を確認することです。
領収書の画像分析で不正を発見する
AIの活用が期待される分野の一つが、領収書や請求書の画像分析です。
従来は、経理担当者が領収書に記載された日付、金額、取引先、支出内容などを確認していました。
しかし、経費精算の件数が多い場合には、確認作業に相当な時間がかかります。
AIを活用した文字認識技術を利用すれば、領収書の画像から日付、金額、店舗名などの情報を抽出できます。
さらに、抽出した情報と経費精算システムの申請内容を照合することも可能です。
例えば、領収書の金額が5万円であるにもかかわらず、経費精算では8万円と申請されている場合には、不一致を検知できます。
また、同じ領収書の画像が複数回提出されている場合には、重複申請の可能性を確認できます。
ただし、画像分析だけで領収書の真正性を完全に判断することはできません。
実際に発行された領収書であっても、私的な支出に利用されている可能性があるからです。
領収書の画像分析は、証憑の確認を効率化する手段であり、取引の実在性や業務上の必要性の確認を代替するものではありません。
中国の発票制度とAIの活用
中国現地法人では、発票と呼ばれる税務上の証憑が重要な役割を果たしています。
今回の事件では、第三者から購入した領収書が経費精算に利用されていました。
また、ホテルへの照会によって、領収書に記載された担当者が存在しないことが判明しました。
さらに、中国の税務当局のシステムに登録されていない領収書も確認されました。
このような問題に対応するためには、発票の発行情報と経費精算データを照合する仕組みが有効です。
例えば、発票番号、発行日、金額、発行者などの情報を抽出し、税務当局が提供する確認手段を利用して真正性を検証する方法が考えられます。
ただし、税務当局のシステムとの連携方法や利用条件は、現地の制度や技術的な環境によって異なります。
また、発票が正式に発行されていることと、その取引が会社の業務に必要だったことは別の問題です。
例えば、実際に飲食店で発行された発票であっても、その飲食が私的なものであれば、適切な会社経費とは限りません。
したがって、AIによる発票確認と、支出目的の実質的な確認を組み合わせる必要があります。
取引先別の分析で不正の兆候を見つける
経費精算の不正を発見するためには、取引先別の分析も重要です。
例えば、特定の飲食店への支払いが短期間に集中している場合には、その理由を確認する必要があります。
また、同じホテルへの宿泊費が繰り返し発生している場合には、宿泊者や出張目的との整合性を確認することが有効です。
AIを利用すれば、取引先別の支払金額、取引回数、利用頻度などを継続的に分析できます。
さらに、社員別の経費精算データと組み合わせることで、特定の社員と特定の取引先との関係を把握できます。
例えば、ある社員だけが特定の飲食店を頻繁に利用している場合には、接待目的や参加者を確認することが考えられます。
ただし、特定の取引先への支払いが集中していること自体が不正を意味するわけではありません。
営業活動の実態によっては、同じ取引先を継続的に利用する合理的な理由が存在します。
重要なのは、AIによって通常とは異なる取引を抽出し、その背景を人が確認することです。
経費の発生地域を分析する
海外子会社では、経費が発生した地域を分析することも有効です。
今回の事件では、上海現地法人の責任者が南京にある行きつけのスナックへ頻繁に通い、南京にもマンションを借りていました。
上海と南京は約300キロ離れています。
業務上の必要性が明確でない地域で継続的に経費が発生していれば、確認すべき対象になります。
例えば、上海を拠点とする営業担当者が、特定の地方都市で毎月多額の宿泊費や飲食費を精算している場合を考えます。
その地域に重要な取引先が存在するのであれば、合理的な支出かもしれません。
一方、業務上の訪問先が存在しない場合には、私的な支出が含まれている可能性があります。
AIを利用すれば、経費の発生地域と出張申請書、訪問先、営業活動の記録などを組み合わせて分析することが考えられます。
ただし、経費精算データに地域情報が正確に記録されていなければ、適切な分析はできません。
AIの導入に先立って、分析に必要な情報を整備することが重要です。
AIだけでは経営者による不正を防げない
今回の事件では、現地法人の責任者自身が不正経理に関与していました。
このような場合、AIを導入しても、それだけで不正を防止できるわけではありません。
例えば、AIが異常な経費精算を検知しても、その警告を確認する人物が現地責任者本人であれば、問題が放置される可能性があります。
また、責任者が警告を無視したり、確認対象から除外したりすることも考えられます。
そのため、AIによる異常検知の結果を、日本本社の経理部門や内部監査部門が直接確認できる仕組みが必要です。
特に現地責任者自身の経費については、本社が独立して確認することが重要です。
また、AIが抽出した異常取引について、誰が確認し、どのような対応を行ったのかを記録する必要があります。
経営者による内部統制の無効化は、システムだけでは完全に防止できません。
AIを活用する場合にも、承認権限の分離や独立した監督体制を整備することが不可欠です。
中小企業でもAIを活用できるのか
AIによる不正検知というと、大企業が導入する高額なシステムを想像するかもしれません。
しかし、中小企業でも段階的にデータ分析を導入することは可能です。
例えば、既存の会計システムから経費精算データを出力し、Excelで社員別や勘定科目別の集計を行うことから始められます。
そのうえで、一定金額以上の経費や過去の平均額を大きく上回る取引を自動的に抽出する仕組みを整備します。
さらに、必要に応じてAIを活用した分析ツールを導入することが考えられます。
重要なのは、最初から高度なAIシステムを導入することではありません。
まず、経費精算データを正確に収集し、継続的に分析する管理体制を整えることです。
また、AIを利用する場合には、機密情報や個人情報の取扱いにも注意する必要があります。
特に海外子会社のデータを日本本社へ移転する場合には、現地の個人情報保護法令やデータ移転規制などを確認する必要があります。
AIの導入では、技術的な機能だけでなく、法令遵守と情報管理の体制を整備することが重要です。
AIを活用した不正検知の実務上の課題
AIによる不正検知には多くの可能性がありますが、実務上の課題も存在します。
第1は、データの品質です。
経費精算データに誤りや欠落が多ければ、AIによる分析結果の信頼性も低下します。
第2は、誤検知の問題です。
正常な取引であっても、通常とは異なるという理由で警告が発生する場合があります。
誤検知が多すぎると、経理担当者の確認負担が増加し、重要な警告が見落とされる危険があります。
第3は、AIの判断根拠を説明できるかという問題です。
不正の疑いがある取引については、なぜ確認対象となったのかを説明できることが望まれます。
第4は、責任の所在です。
AIが異常を検知した場合でも、最終的に調査や判断を行うのは企業の担当者です。
そのため、AIの分析結果を確認する責任者や対応手続きを明確にする必要があります。
AIは不正防止の有力な手段ですが、内部統制そのものを代替するものではありません。
結論
今回の中国現地法人における架空領収書事件は、経費精算データの異常な変化が不正発見の重要な手掛かりになることを示しています。
従来は月30万円程度だった経費精算について、社員名義の口座への支払総額が約2,500万円に達していたことが、本社による調査の契機となりました。
AIやデータ分析を活用すれば、社員別の経費精算額、取引先別の支出、領収書の重複、経費の発生地域などを継続的に分析することが可能になります。
また、通常とは異なる取引を自動的に抽出することで、経理担当者や内部監査担当者が重点的に確認すべき対象を把握できます。
しかし、AIが異常を検知したからといって、不正が確定するわけではありません。
反対に、AIが異常を検知しなかったからといって、不正が存在しないと判断することもできません。
特に現地責任者自身が不正に関与している場合には、AIによる警告を本社が独立して確認する仕組みが必要です。
海外子会社の不正防止において重要なのは、AIを導入すること自体ではありません。
正確なデータを収集し、異常を継続的に分析し、発見された問題を適切に調査する管理体制を構築することです。
AIと人による監督を組み合わせることで、海外子会社の経費精算に対する内部統制を強化し、不正の早期発見につなげることが期待できます。
参考
日本経済新聞 2026年10月25日 朝刊 海外法人で不正経理、使われた架空領収書 解雇の社員は「中国の慣例」
金融庁 財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準
日本公認会計士協会 監査基準報告書240 財務諸表監査における不正