企業が2050年のような長期を見据えて経営戦略を考えるとき、大きな問題があります。
未来が分からないことです。
人工知能がどこまで普及するのか。世界経済のブロック化がどこまで進むのか。脱炭素規制がどの程度強化されるのか。新しい技術によってどの産業が成長するのか。
正確に予測することはできません。
それでは、未来が分かるまで投資を待てばよいのでしょうか。
企業はそのようなこともできません。
人材育成や研究開発、デジタル化、設備投資などには長い時間が必要だからです。
そこで重要になるのがノーリグレット戦略です。
どの未来が実現しても、やっておいて損をしにくい取り組みから始めるという考え方です。
ノーリグレットとは何か
ノーリグレットは、後悔しないという意味です。
企業経営におけるノーリグレット戦略とは、将来の不確実性が大きくても、複数のシナリオで価値を生みやすい施策を優先する考え方です。
たとえば人工知能が急速に普及する未来と、比較的緩やかに普及する未来を考えます。
どちらになるのかは分かりません。
しかし、社内データを整理して利用しやすくしておくことは、どちらの未来でも役立つ可能性があります。
人工知能が急速に普及すれば、そのデータをAIに利用できます。
普及が遅くても、経営分析や業務効率化に利用できます。
特定の未来だけに賭けるのではなく、複数の未来で価値を持つ投資を先に行うわけです。
ロバスト戦略とは何が違うのか
前回取り上げたロバスト戦略とノーリグレット戦略はよく似ています。
どちらも未来を一つに決めないことが基本です。
ただし、考え方には少し違いがあります。
ロバスト戦略では、複数の未来のどれが実現しても大きく失敗しにくい経営構造を作ります。
調達先を分散する。
生産拠点を分散する。
財務に余裕を持つ。
こうした取り組みです。
一方、ノーリグレット戦略では、複数の未来で共通して役立つ施策を見つけて優先的に実行します。
未来を待ってから動くのではなく、将来の選択肢を広げる投資を現在から始めるところに特徴があります。
なぜ未来が決まるまで待てないのか
不確実性が大きい場合、何もしないという判断も一つの選択肢に見えます。
人工知能が本当に普及してから投資する。
脱炭素規制が決まってから設備を変更する。
世界経済の分断が進んでから調達先を変更する。
しかし、変化が明確になってからでは遅い場合があります。
専門人材はすぐには育ちません。
新しい仕入先も、必要になった日に突然大量の商品を供給してくれるとは限りません。
企業の基幹システムを短期間で入れ替えることも困難です。
変化が起きてから準備を始める企業と、変化が起きる前から小さく準備している企業では対応速度に大きな差が生まれます。
だからこそ、未来が確定していなくても始められる取り組みを探す必要があります。
人材投資は代表的なノーリグレット投資
代表的なものが人材投資です。
2050年にどの技術が中心になっているのかを正確に予測することはできません。
しかし、新しい技術を学び続けられる人材の価値が高まる可能性は高いでしょう。
人工知能を利用する能力。
データを分析する能力。
異なる専門分野を組み合わせる能力。
新しい業務を設計する能力。
変化する顧客ニーズを理解する能力。
こうした能力は特定の技術だけに依存しません。
仮に現在注目されている技術が期待ほど普及しなくても、従業員の学習能力や問題解決能力を高めることは多くの事業で役立ちます。
人材の適応力そのものを高める投資は、ノーリグレットになりやすいのです。
AI時代ほど基礎的な能力も重要になる
人工知能が高度化すると、特定の作業を行う能力の価値が変化する可能性があります。
しかし、すべてをAIに任せられるとは限りません。
どの問題を解くべきなのかを決める。
AIの回答が妥当なのかを判断する。
顧客の意図を理解する。
複数の利害関係者を調整する。
最終的な意思決定をする。
こうした能力は引き続き重要になる可能性があります。
そのため企業は、特定のAIツールの操作方法だけを教えるのではなく、問題設定、判断、コミュニケーションなど幅広い能力を育成する必要があります。
技術が変わっても使える能力への投資は、長期的なノーリグレット戦略になります。
デジタル投資も無駄になりにくい
デジタル化も代表的なノーリグレット投資になり得ます。
ただし、単に新しいシステムを購入することではありません。
重要なのは企業の情報を利用できる状態にすることです。
紙で保存されている情報をデジタル化する。
部署ごとに分かれているデータを連携する。
データの形式を標準化する。
必要な情報を検索できるようにする。
アクセス権限を整理する。
こうした基盤整備は人工知能が急速に普及する場合にはAI活用の土台になります。
AIの普及が想定より遅くても、業務効率化や経営管理の高度化に利用できます。
特定のAIサービスに賭けることとは異なり、データ基盤を整えることは複数の未来で価値を持ちやすいのです。
サイバーセキュリティへの投資も重要になる
デジタル化が進めばサイバー攻撃への備えも必要になります。
人工知能が急速に普及する未来でも、世界経済が分断される未来でも、企業がデジタルシステムへ依存する方向は大きく変わらない可能性があります。
顧客情報を守る。
重要な技術情報を守る。
バックアップを確保する。
従業員教育を行う。
システムへのアクセス権限を管理する。
こうした取り組みは特定の未来だけを前提とするものではありません。
どのような経営環境でも企業の基盤を守るために役立ちます。
サプライチェーンの可視化も無駄になりにくい
サプライチェーンについても、将来どの国との取引が難しくなるのかを正確に予測することはできません。
だからといって何もしないのではなく、まず自社の供給網を把握します。
どの企業から部品を購入しているのか。
その企業はどこから原材料を調達しているのか。
特定の国への依存度はどの程度なのか。
代替できない部品は何なのか。
こうした情報を整理しておけば、米中対立が激しくなった場合にも、自然災害が起きた場合にも、感染症によって物流が混乱した場合にも利用できます。
何が起きるかを予測する前に、自社がどこに依存しているのかを知っておくこと自体に価値があります。
調達先との関係を作っておく
供給網の強化では、代替調達先との関係を早めに作ることも考えられます。
危機が起きてから新しい仕入先を探しても、その企業には既存顧客がいます。
世界中の企業が同時に代替品を求めれば、必要な数量を確保できない可能性があります。
そこで平常時から少量でも取引を行います。
品質を確認する。
契約条件を確認する。
物流経路を確認する。
担当者との関係を作る。
こうした準備をしておけば、必要になったときに調達量を増やしやすくなります。
平常時には多少コストがかかりますが、さまざまな危機に対応できる選択肢になります。
省エネルギーも複数の未来で役立つ
脱炭素についてもノーリグレット戦略を考えることができます。
将来、炭素規制がどこまで厳しくなるのかは分かりません。
しかし、エネルギー使用量そのものを減らす投資であれば、規制の強弱にかかわらず利益につながる可能性があります。
規制が強化されれば温暖化ガス排出削減に役立ちます。
規制強化が緩やかでも、エネルギーコストを削減できます。
設備の効率改善やエネルギー使用状況の可視化などは、環境対応とコスト削減の両方につながる可能性があります。
複数の目的を同時に達成できる投資ほどノーリグレットになりやすいと考えられます。
すべての投資がノーリグレットになるわけではない
もちろん、どの未来でも絶対に損をしない投資が存在するわけではありません。
人材教育にも費用がかかります。
デジタルシステムも使われなければ無駄になります。
調達先を増やせば管理コストも増えます。
ノーリグレットという言葉は、損失が絶対に発生しないという意味ではありません。
重要なのは、特定の未来だけに依存せず、複数のシナリオで利用価値があるかどうかです。
投資判断では、一つの未来でどれだけ大きな利益を得られるかだけではなく、どの未来でも一定の価値を持つのかという視点が必要になります。
未来への選択肢を増やす
ノーリグレット戦略の本質は、未来の選択肢を増やすことにあります。
人材を育てておけば、新しい事業へ配置できます。
データを整備しておけば、新しい人工知能を導入できます。
複数の調達先を持っていれば、供給網を切り替えられます。
省エネルギー設備を導入しておけば、環境規制が強化されても対応しやすくなります。
未来が分からないから一つに賭けるのではありません。
未来が分からないからこそ、将来選べる道を増やしておくのです。
結論
ノーリグレット戦略とは、将来どのシナリオが実現しても無駄になりにくい取り組みを優先して進める考え方です。
2050年までには、人工知能、地政学、脱炭素、人口動態など企業経営を左右するさまざまな変化が起こる可能性があります。
どの未来になるのかを正確に予測することはできません。
しかし、未来が分かるまで何もしないという選択にもリスクがあります。
人材育成。
データ基盤の整備。
サイバーセキュリティ。
サプライチェーンの可視化。
代替調達先の確保。
省エネルギー。
こうした取り組みは複数の未来で価値を持つ可能性があります。
未来を正確に当ててから投資するのではなく、どの未来が来ても役立つ土台を現在から作っておくことが重要です。
不確実性が高い時代に必要なのは、未来について完璧な答えを持つことではありません。
未来がどの方向へ進んでも次の一手を選べる状態を作っておくことです。
そのために今できることから始めるのが、ノーリグレット戦略なのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月25日 朝刊 企業経営は2050年見据えて