親の介護をしながら働いているにもかかわらず、その事実を会社に伝えられない人がいます。
仕事を任されなくなるのではないか、昇進に影響するのではないか、同僚に迷惑をかけるのではないかという不安から、介護の負担を一人で抱え込んでしまうのです。
こうした状態は「隠れ介護」と呼ばれています。
日本経済新聞が紹介した事例では、両親を介護していた50代女性が、母親の認知症について約7年間も会社に打ち明けられませんでした。
父親の介護に続いて母親の介護まで必要になったことを伝えれば、職場での立場が変わってしまうのではないかという不安があったといいます。
人生100年時代を迎え、働く人の高齢化が進む日本では、介護と仕事の両立は避けて通れない問題です。
しかし、企業が介護休業制度を整備しても、社員が安心して利用できるとは限りません。
問題の本質は、制度の不足だけでなく、介護を抱える社員が相談しにくい日本企業の職場風土にもあります。
働く人の約2割が介護を経験する時代
NTTデータ経営研究所などが2025年10月に実施した調査では、働く30代以上の男女1,061人のうち、現在介護をしている人が9.0%、過去に介護を経験した人が11.5%でした。
合計すると約2割が介護経験者です。
また、介護経験者のうち、介護期間が5年以上に及んだ人は30.9%でした。
介護は短期間で終わるとは限りません。
親の病気や認知症の進行によって、必要な支援が増えることもあります。
その一方で、仕事上の責任が重くなる40代から60代は、親の介護が始まりやすい年代でもあります。
特に50代は、企業の管理職や専門職として重要な役割を担う時期です。
親の介護が始まったからといって、簡単に仕事を減らしたり、退職したりできるわけではありません。
仕事を続けたいという思いが強いほど、介護の問題を職場に伝えにくくなる場合があります。
昇進や人事評価への不安が生む沈黙
介護を会社に打ち明けられない最大の背景の一つは、人事評価への不安です。
企業では、重要な仕事を任せられる社員ほど、安定した勤務や迅速な対応を期待されることがあります。
突然の休暇や早退が増えれば、責任ある仕事を任せてもらえなくなるのではないかと心配する人もいます。
特に管理職への昇進を控えた社員や、昇進競争の中にいる社員にとって、介護の事情を伝えることは大きな心理的負担になり得ます。
介護を理由にした制度利用について、不利益な取り扱いをすることは法律で禁止されています。
しかし、法律上の禁止と社員が感じる不安は別の問題です。
評価基準が不明確な職場では、介護を理由に勤務時間を調整したことが、将来の人事評価に影響するのではないかという疑念が残ります。
企業には、制度利用の有無ではなく、担当する職務や成果に基づいて評価する仕組みが必要です。
管理職ほど介護を相談できない理由
管理職は、部下の勤務管理や業務配分、組織目標の達成に責任を負っています。
そのため、自分自身が介護によって勤務時間を調整することに、強い抵抗を感じる場合があります。
部下に負担をかけたくないという思いや、上司として弱みを見せたくないという心理も考えられます。
特に、長時間労働や休日対応を当然とする職場では、管理職が介護を理由に早退すること自体が難しくなります。
また、管理職の業務が特定の個人に集中している場合、代わりに判断できる人がいないという問題もあります。
重要な会議、決裁、取引先対応などを一人で抱えていれば、介護のために職場を離れることが難しくなります。
こうした状況を改善するには、管理職自身の業務を見える化し、権限委譲や代行体制を整える必要があります。
管理職が介護と仕事を両立できる組織は、部下にとっても働きやすい組織になると考えられます。
制度があっても利用できない職場の実態
NTTデータ経営研究所などの調査では、勤務先に仕事と介護の両立支援制度が導入されていると回答した介護経験者のうち、42.2%が制度を利用していませんでした。
制度が存在しても、利用につながらない人が少なくないことが分かります。
背景には、制度の内容を十分に理解していないことや、利用することへの心理的な抵抗などが考えられます。
例えば、介護休暇を取得できることを知っていても、同僚に仕事を引き継ぐことが難しければ、利用をためらう可能性があります。
在宅勤務制度があっても、上司が利用に消極的であれば、申請しにくい場合があります。
重要なのは、制度の整備と職場での運用を分けて考えることです。
人事部門が制度を用意するだけではなく、現場の管理職が制度を理解し、社員が利用できるように業務を調整する必要があります。
制度利用を特別扱いするのではなく、通常の勤務管理の一部として位置付けることが求められます。
介護は育児より相談しにくいという現実
同調査では、出産・育児と比較して、介護支援の必要性を職場に伝えるハードルが高いと感じる人が46.8%に上りました。
育児と介護には、いくつかの重要な違いがあります。
出産や育児は、一定程度予定を立てやすく、子どもの成長に応じて生活の見通しを考えることができます。
一方、介護は突然始まることが多く、終了時期も予測しにくい特徴があります。
さらに、介護では親の認知症、家族間の不和、経済状況など、職場に説明しにくい事情が関係することがあります。
親の病状や家庭内の問題を、会社に詳しく知られたくないと考えることは自然です。
企業が求めるべき情報は、家族の詳細な事情ではなく、仕事を続けるために必要な勤務上の配慮です。
社員のプライバシーを尊重しながら、必要な支援につなげる仕組みが重要になります。
2025年4月の法改正が企業に求める対応
2025年4月から、改正育児・介護休業法に基づく介護離職防止のための措置が強化されました。
企業は、介護に直面したことを申し出た社員に対し、介護休業や両立支援制度などを個別に周知し、利用意向を確認することが義務付けられています。
また、社員が40歳に達する時期に、介護休業制度などに関する情報を提供することも義務となりました。
さらに、相談窓口の設置や研修など、制度を利用しやすい雇用環境の整備が求められています。
これらの改正は、介護が始まってから慌てて対応するのではなく、事前に制度を理解し、相談できる環境を整えることを目的としています。
ただし、制度を周知するだけでは十分ではありません。
社員が実際に介護に直面した際、どこに相談すればよいのか、誰が勤務調整を判断するのか、相談内容がどの範囲まで共有されるのかを明確にする必要があります。
介護を抱える社員を孤立させない管理職の役割
管理職には、部下の仕事の成果だけでなく、勤務状況の変化にも目を向けることが求められます。
遅刻や早退が増えた場合、単に勤務態度の問題と捉えるのではなく、何らかの事情がある可能性を考えることが重要です。
ただし、家庭事情を無理に聞き出すことは適切ではありません。
仕事の進め方について困っていることがないか、勤務時間の調整が必要ではないかなど、業務上の課題から相談を始める方法が考えられます。
また、介護の事情を相談された場合には、本人の同意なく職場全体に情報を広げない配慮も必要です。
必要な情報を必要な人だけで共有することが、安心して相談できる職場づくりにつながります。
管理職自身がすべての介護制度を理解する必要はありません。
人事部門や地域包括支援センターなど、専門的な相談先につなぐ役割を果たすことが重要です。
業務の属人化が介護離職を招く
介護との両立を難しくする職場には、業務の属人化という共通の課題があります。
特定の社員しか分からない業務が多ければ、その社員が休暇を取得した際に仕事が止まってしまいます。
その結果、本人は休暇を取りにくくなり、介護の負担を抱えたまま働き続けることになります。
企業は、業務手順の標準化、情報共有、複数担当制、権限委譲などを進める必要があります。
これらの取り組みは、介護支援だけに役立つものではありません。
病気による休職、育児休業、退職、災害など、さまざまな事態への対応力を高めます。
特に経理、財務、人事、情報システムなどの専門部門では、担当者に知識や経験が集中しやすいため、日頃から業務の引き継ぎ体制を整えることが重要です。
介護支援をきっかけに業務改革を進めることは、企業の事業継続力を高めることにもつながります。
人的資本経営としての介護支援
経済産業省は、2030年にワーキングケアラーが約318万人に達し、介護離職や労働生産性の低下などによる経済損失が約9兆円に上ると推計しています。
この問題は、企業の福利厚生だけでなく、経営戦略として考える必要があります。
経験豊富な社員が介護を理由に退職すれば、企業は長年蓄積された知識や経験を失います。
代替人材の採用や育成にも費用がかかります。
特に管理職や専門職の離職は、組織運営や後継者育成に影響する可能性があります。
一方、柔軟な勤務制度や相談体制を整えれば、社員が働き続けられる可能性が高まります。
介護支援への投資は、社員の生活を守ると同時に、企業の競争力を維持する取り組みでもあります。
企業は、制度の利用件数だけでなく、介護を理由とする離職の状況、社員の制度認知度、相談体制への信頼なども確認することが望まれます。
FPの視点から考える介護とキャリアの両立
介護を会社に打ち明けられない問題は、本人の家計や老後資金にも関係します。
介護の負担が大きくなり、十分な準備をしないまま退職すれば、その後の生活設計に影響する可能性があります。
特に50代での退職は、給与収入の減少だけでなく、厚生年金の加入期間や退職給付にも影響する場合があります。
また、親の介護費用を子どもが負担することで、自分自身の老後資金の準備が遅れることも考えられます。
そのため、介護離職を検討する前に、勤務先の支援制度、介護保険サービス、親の年金や預貯金、家族間の役割分担などを確認することが重要です。
介護を理由に仕事を辞めることが唯一の選択肢とは限りません。
勤務時間の調整や外部サービスの利用によって、仕事を続けられる可能性があります。
親の介護を支えることと、自分自身の経済的な生活基盤を守ることを、同時に考える必要があります。
結論
「隠れ介護」は、介護を担う社員個人の問題だけではありません。
介護を会社に伝えることで、人事評価や昇進に影響するのではないかという不安がある限り、社員は安心して相談することができません。
企業には、制度の整備だけでなく、相談しやすい職場風土、透明性のある人事評価、柔軟な勤務制度、業務の属人化を防ぐ組織運営が求められます。
特に管理職が率先して仕事と家庭の両立を認める姿勢を示すことは、社員の心理的な負担を軽減するうえで重要です。
また、介護を担う社員自身も、家族の事情をすべて説明する必要はありませんが、仕事を続けるために必要な配慮について、具体的に伝えることが大切です。
人生100年時代には、誰もが介護する側にも介護される側にもなる可能性があります。
介護を隠さなければ働き続けられない企業から、介護を抱えていても能力を発揮できる企業へ変わることが、日本の人的資本経営に求められる重要な課題です。
参考
日本経済新聞 2026/10/27 会社に言えず7年間「隠れ介護」 ワーキングケアラーの孤立救うには
NTTデータ経営研究所 2026/02/26 ワーキングケアラー実態を調査 就労者の約2割が介護を経験 両立支援制度の導入が進む一方、4割超は未活用
NTTデータ経営研究所 2026/08/20 第1回 企業における「仕事」と「介護」の両立支援制度は、なぜ利用につながりにくいのか
厚生労働省 介護休業制度特設サイト 法改正のポイント
経済産業省 仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン