日本企業の海外進出が進むなか、海外子会社のガバナンスと内部統制の重要性が高まっています。
海外子会社は現地市場の開拓や事業拡大を担う重要な存在ですが、本社から離れた場所で事業活動を行うため、経理処理や資金管理の実態が見えにくくなるという問題があります。
2026年10月25日の日本経済新聞では、日本企業の中国現地法人で発生した架空領収書を利用した不正経理事件が取り上げられました。
大阪市に本社を置く商社の上海現地法人で、社員名義の口座に総額約2,500万円の経費が支払われていたことが発覚しました。
調査の結果、架空領収書による経費精算や私的な支出の会社負担が判明し、現地法人の責任者と社員が懲戒解雇されました。
裁判所は少なくとも440万円の不要な支出が発生したと認定し、社員の懲戒解雇を有効と判断しました。
この事件は、海外子会社の不正経理がどのような環境で発生し、なぜ長期間見過ごされるのかを考えるうえで、重要な事例です。
今回は事件の経緯を整理するとともに、海外子会社の不正を生み出す構造的な原因と、本社が取り組むべき管理体制について考えます。
中国現地法人で発覚した架空領収書事件
事件が明らかになったのは2023年4月です。
大阪市に本社を置く商社の社長が、上海現地法人の決算資料を確認したところ、日本から出向していた社員名義の口座に多額の経費が支払われていることに気づきました。
その総額は約2,500万円でした。
以前の経費精算額は月30万円程度だったため、通常とは大きく異なる支出が発生していたことになります。
本社は直ちに詳細資料の提出を求め、現地法人の責任者と社員に帰国を指示しました。
調査では、中国で経費精算に利用される発票と呼ばれる証憑に問題があることが判明しました。
約120万円を支払ったとされるホテルに確認したところ、領収書に記載された担当者は存在しないとの回答がありました。
さらに、中国の税務当局のシステムに登録されていない領収書も次々に発見されました。
現地法人の責任者は、私的な飲食や物品購入などを会社経費として精算していたことを認めました。
社員も領収書の売買業者から書類を入手していたことを認めています。
こうした不正経理が約1年間にわたって行われていたことが明らかになりました。
不正の発端は責任者の私的な支出だった
今回の事件で特徴的なのは、不正経理の発端が現地法人責任者の私的な生活にあったことです。
責任者には、中国南京に行きつけのスナックがありました。
上海から南京までは約300キロ離れています。
責任者は頻繁に店へ通うため、上海の社宅とは別に南京にもマンションを借り、その費用を現地法人に負担させていました。
さらに、架空領収書の売買業者を紹介したのは、そのスナックの経営者でした。
本来は個人が負担すべき支出を会社経費として処理するため、架空の証憑を利用するようになったのです。
企業不正というと、売上高の水増しや架空取引、大規模な資金流用などを想像するかもしれません。
しかし、実際の不正は日常的な経費精算から始まることがあります。
私的な飲食費や宿泊費を会社経費として処理し、それが繰り返されるうちに金額が拡大していく構造です。
特に現地法人の責任者自身が不正に関与している場合、部下が問題を指摘しにくくなります。
小さな不正を放置することが、組織全体の規律を低下させる原因になるのです。
海外子会社では本社の監督が届きにくい
海外子会社の不正経理が発生する背景には、本社と現地法人の間に存在する情報格差があります。
日本国内の子会社であれば、本社の経理担当者や内部監査担当者が比較的容易に現地を訪問し、証憑や取引内容を確認できます。
一方、海外子会社では言語、法律、会計制度、商習慣などが異なります。
現地の取引先や経費精算の実態を本社が直接確認することも容易ではありません。
その結果、現地法人の責任者から提出された報告書や決算資料に依存する管理体制になりやすいのです。
特に問題となるのが、現地責任者への権限集中です。
経費の申請、承認、支払い、会計処理などが少人数で行われている場合、相互牽制が十分に働かないことがあります。
現地責任者が経費を承認していれば、本社は適切な支出だと考えてしまう可能性があります。
しかし、責任者自身が不正に関与していれば、承認手続きは不正を防止する機能を失います。
海外子会社では、責任者を信頼することと、責任者の行動を監督することを両立させる必要があります。
中国の商慣習は不正経理を正当化できない
今回の事件では、懲戒解雇された社員が裁判で興味深い主張をしています。
第三者から購入した領収書を利用する経費精算は、中国では慣例的に認められていたというものです。
また、中国政府のゼロコロナ政策によって店舗が突然閉鎖されるなど、正規の領収書を入手することが難しかった事情も説明しました。
さらに、現地法人の責任者からの指示に従わざるを得なかったとも主張しています。
しかし、大阪地裁は2026年1月の判決で、第三者が発行した領収書を利用する実態が一定程度存在していたとしても、中国で正当化されているわけではないと判断しました。
また、違法な業務命令には従うべきではないという考え方を示しました。
裁判所は少なくとも440万円の不要な支出を認定し、懲戒解雇を相当と判断しています。
この判断は、海外事業を展開する企業に重要な教訓を与えています。
現地の商慣習を理解することは必要ですが、慣習が存在することと、その行為が法律上認められることは別問題です。
経理処理については、現地の法令を遵守するとともに、企業グループ全体で定めた内部統制基準を適用することが重要です。
不正経理が発生する3つの構造的原因
今回の事件からは、海外子会社で不正経理が発生する3つの構造的な原因が見えてきます。
第1は、現地責任者への権限集中です。
現地法人の規模が小さい場合、責任者が営業、経理、人事、資金管理などを幅広く統括することがあります。
経営判断を迅速に行える一方で、責任者の行動を独立した立場から確認する仕組みが弱くなりがちです。
第2は、本社と現地法人の情報格差です。
本社が確認するのは月次決算や四半期決算などの集計資料が中心となり、個々の取引内容まで十分に把握できない場合があります。
不適切な経費が会計システムに正規の取引として登録されてしまえば、財務諸表だけから不正を発見することは難しくなります。
第3は、現地の商慣習を理由とする管理基準の曖昧さです。
現地で一般的に行われているという説明だけで、不適切な処理を容認してしまう危険があります。
これらの要因が重なると、不正を行う機会が生まれ、不適切な行為を正当化しやすい環境が形成されます。
不正防止では、個人の倫理観だけに依存するのではなく、不正を実行しにくく、発見しやすい仕組みを整備することが必要です。
経費精算の異常値を早期に発見する仕組み
今回の事件では、本社社長が決算資料を確認したことが不正発見の契機となりました。
従来は月30万円程度だった経費精算について、社員名義の口座への支払総額が約2,500万円に達していたことが問題視されました。
ただし、約2,500万円は確認された経費支払総額であり、その全額が不正と認定されたわけではありません。
経理管理では、このような異常な支出を早期に発見する仕組みが重要です。
例えば、社員別の経費精算額を毎月集計し、過去の平均額と比較する方法があります。
特定の社員の経費が急増した場合には、その理由を確認します。
また、費目別の分析も有効です。
接待交際費、旅費交通費、宿泊費などについて、予算と実績を比較し、通常とは異なる支出が発生していないか確認します。
さらに、経費の発生地域を分析することも考えられます。
今回の事件では、上海の現地法人の責任者が南京にマンションを借りていました。
業務上の必要性が明確でない地域で継続的に支出が発生していれば、確認すべき対象になります。
こうした分析は、必ずしも高度なシステムを必要としません。
既存の会計データを利用し、Excelなどで定期的に分析することから始められます。
重要なのは、異常値を発見した後に、その原因を確認する管理手続きを確立することです。
本社が取り組むべき海外子会社管理
海外子会社の不正を防止するためには、本社が管理体制を明確にする必要があります。
まず、経費精算に関するグループ共通の基本ルールを整備することが重要です。
接待交際費や旅費交通費などについて、承認権限、必要な証憑、支出目的の記録方法を定めます。
次に、現地責任者自身の経費については、本社による承認を求める仕組みが考えられます。
現地責任者が自分自身の経費を承認できる体制では、十分な牽制機能が働きません。
また、一定金額以上の支出や通常とは異なる取引については、本社への報告を義務付けることも有効です。
さらに、内部監査部門による定期的な確認が欠かせません。
証憑の形式だけでなく、取引の実在性や業務上の必要性を検証する必要があります。
現地従業員が本社へ直接相談できる内部通報制度も重要です。
特に責任者自身が不正に関与している場合、通常の報告経路では問題が表面化しない可能性があります。
本社による監督と現地法人の自主性を両立させることが、海外ガバナンスの基本になります。
海外子会社の不正は経営全体の問題になる
海外子会社の不正経理は、単なる経費の使い込みにとどまりません。
不正な経費が計上されれば、現地法人の損益が正しく表示されなくなる可能性があります。
連結決算を行う企業では、海外子会社の財務情報がグループ全体の財務諸表にも反映されます。
また、架空領収書を利用した経費計上は、現地の税務処理にも影響する可能性があります。
不正の内容によっては、税務申告の修正や追加納税などが必要になることも考えられます。
さらに、現地責任者が関与する不正は、内部統制の実効性に疑問を生じさせます。
上場企業であれば、財務報告に係る内部統制の評価や監査上の対応が問題となる場合もあります。
したがって、海外子会社の不正は、経理部門だけで対応すればよい問題ではありません。
経営陣、内部監査部門、法務部門、人事部門などが連携して対応する必要があります。
結論
今回の中国現地法人における架空領収書事件は、海外子会社の不正経理が発生する構造を具体的に示しています。
不正の発端は現地責任者の私的な支出でしたが、架空領収書を利用した経費精算が繰り返され、会社に少なくとも440万円の不要な支出を発生させました。
問題の本質は、個人の不正行為だけではありません。
現地責任者への権限集中、本社と現地法人の情報格差、経費精算に対する監督の不足など、不正を許す環境が存在していたことが重要です。
海外子会社の管理では、現地責任者の能力や誠実さを信頼するだけでは十分ではありません。
責任者が不適切な判断をした場合でも、不正を防止し、早期に発見できる内部統制が必要です。
また、現地の商慣習を尊重することと、不適切な経理処理を容認することは明確に区別しなければなりません。
海外事業の成長を支えるのは、営業力や市場開拓力だけではありません。
正確な会計情報、適切な資金管理、実効性のある内部統制があってこそ、海外事業を持続的に発展させることができます。
今回の事件を教訓として、海外子会社の経費精算や承認権限、内部監査の仕組みを改めて点検することが重要だと考えられます。
参考
日本経済新聞 2026年10月25日 朝刊 海外法人で不正経理、使われた架空領収書 解雇の社員は「中国の慣例」
日本在外企業協会 2023年 経営のグローバル化に関する調査