高齢者の介護保険制度が、新たな転換点を迎えようとしています。
厚生労働省は、公的介護サービスの自己負担割合や介護保険料を算定する際に、株式の配当金などの金融所得を反映させる検討に入りました。
これまでは、同じ金額の金融所得があっても、確定申告をするかどうかによって介護保険の負担が異なる場合がありました。今回の改革は、こうした不公平を是正し、所得に応じた負担を徹底することが目的です。
一方で、退職後の生活資金を株式や投資信託などで運用している高齢者にとっては、金融所得が増えることで介護サービスの自己負担や保険料が上昇する可能性があります。
今後の老後資金計画では、金融商品の運用利回りや税負担だけでなく、社会保障制度への影響も考慮する必要が出てきそうです。
介護保険の自己負担は所得によって変わる
現在、公的介護サービスを利用する場合の自己負担割合は、原則として1割です。
ただし、65歳以上の第1号被保険者については、一定以上の所得がある場合、2割または3割の負担となります。
単身者の場合、年金収入とその他の合計所得金額などを合わせた年間所得が280万円以上で2割負担、340万円以上で3割負担となることが基本的な目安です。
ただし、実際の判定には本人の合計所得金額や世帯の所得状況なども関係するため、年間所得だけで一律に決まるわけではありません。
例えば、介護サービスの利用額が月20万円の場合、自己負担額は次のようになります。
1割負担では月2万円、年間24万円です。
2割負担では月4万円、年間48万円です。
3割負担では月6万円、年間72万円です。
同じ介護サービスを利用していても、負担割合が1割から3割に変わると、年間の自己負担額には48万円の差が生じます。
なお、実際には高額介護サービス費制度による月額上限などがあるため、必ずしもこの金額を全額負担するわけではありません。
それでも、負担割合の変更は高齢者の家計に大きな影響を及ぼします。
確定申告の有無によって生じる不公平
今回の改革で重要なのは、金融所得そのものに新たな税金を課すことではありません。
金融所得を介護保険の負担能力の判定に反映させることです。
例えば、上場株式から年間200万円の配当収入を受け取っている高齢者を考えてみます。
上場株式の配当金については、源泉徴収だけで課税関係を終了させることができる場合があります。
この場合、確定申告をしなければ、配当所得が介護保険の負担割合や保険料の算定に反映されないことがあります。
一方、同じ200万円の配当収入があっても、確定申告によって所得として把握されれば、介護保険の負担が増える可能性があります。
つまり、実際の経済的な負担能力が同じでも、申告方法によって社会保障の負担が異なる場合があるのです。
厚生労働省は、このような仕組みを見直し、確定申告の有無にかかわらず金融所得を把握する方向で検討しています。
2029年から後期高齢者医療制度で先行導入
金融所得を社会保障の負担割合に反映させる仕組みは、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度で先行して導入される予定です。
2029年1月から金融機関に対して、顧客の取引情報を記載した法定調書のオンライン提出を義務づけることになっています。
その情報を活用し、2029年8月から金融所得を含めた収入に基づいて、医療費の自己負担割合や保険料を算定する予定です。
介護保険についても、同様の仕組みを活用することが検討されています。
介護保険の第1号被保険者は65歳以上であるため、金融所得の情報収集対象を75歳以上から65歳以上へ拡大する方法などが想定されています。
ただし、介護保険への導入時期や具体的な対象所得、判定方法はまだ決まっていません。
早ければ2027年の国会に介護保険法改正案が提出される可能性がありますが、実際の制度導入は後期高齢者医療制度への反映以降になる見通しです。
金融所得と金融資産は区別する必要がある
今回の改革を理解するうえで、金融所得と金融資産の違いは重要です。
金融所得とは、株式の配当金や株式売却益、預貯金の利子など、金融資産から生じる所得を指します。
一方、金融資産とは、預貯金や株式、投資信託などの保有残高そのものです。
例えば、預貯金を3,000万円保有していても、その3,000万円がそのまま金融所得になるわけではありません。
また、株式を2,000万円保有していても、売却していない値上がり益は原則として実現した所得ではありません。
今回の検討は、主として金融所得を介護保険の負担判定に反映させるものです。
預貯金や株式の保有残高そのものを、直ちに自己負担割合の判定に加える制度が決まったわけではありません。
今後は、どの金融所得を対象にするのか、損失との通算をどのように扱うのかなど、制度設計の詳細が重要になります。
NISAの非課税所得はどうなるのか
高齢者の資産形成との関係で注目されるのが、NISA口座で得られる配当金や売却益の扱いです。
NISAは、一定の範囲内で株式や投資信託の運用益が非課税になる制度です。
通常の課税口座で得られる金融所得とは、税務上の取り扱いが異なります。
今回の改革でNISA口座内の運用益まで介護保険の負担判定に含めるのかについては、現時点で確定していません。
仮にNISA口座内の運用益を対象外とするならば、課税口座とNISA口座で社会保障負担にも違いが生じる可能性があります。
一方、非課税所得まで対象を広げる場合には、NISA制度の趣旨との整合性が問われることになります。
NISAは長期的な資産形成を支援するための制度です。
高齢者が老後資金を計画的に運用することを妨げないよう、慎重な制度設計が求められます。
介護給付費は2040年度に25兆円を超える見通し
今回の改革の背景には、介護保険財政の厳しさがあります。
2024年度の公的介護サービス費用は、利用者負担分を除いて11.2兆円でした。
これが2040年度には25.8兆円に増加する見込みです。
約16年間で2倍以上になる計算です。
高齢化の進展に加え、介護人材の不足や人件費の上昇なども制度の持続可能性に影響します。
介護保険制度は、利用者負担を除いた給付費について、原則として公費50%と保険料50%で支える仕組みです。
給付費が増えれば、現役世代の保険料負担や国・地方自治体の財政負担にも影響します。
そのため、支払い能力のある高齢者に一定の追加負担を求めるという考え方が強まっています。
ただし、負担能力を金融所得だけで正確に把握できるとは限りません。
資産を取り崩して生活する高齢者と、十分な年金収入がある高齢者では、家計の実態が異なるからです。
公平性と生活保障の両立が重要な課題になります。
老後の資産運用は手取り収入で考える時代へ
今回の制度改革は、老後の資産運用にも新しい視点を求めています。
従来、退職後の資産運用では、運用利回りや所得税、住民税などの税負担が主な検討事項でした。
しかし、今後は金融所得が医療保険や介護保険の負担に影響する可能性があります。
例えば、株式の配当金が年間100万円増えたとしても、所得税などを差し引いた金額が、そのまま家計の可処分所得の増加になるとは限りません。
金融所得の増加によって医療保険料や介護保険料が上がったり、介護サービスの自己負担割合が変わったりする場合があるためです。
特に、毎月継続して介護サービスを利用する高齢者にとっては、負担割合の変更が家計に与える影響は小さくありません。
今後の老後資金計画では、金融所得の税引後収入だけでなく、社会保障負担を含めた実質的な手取り収入を確認することが重要になります。
ただし、制度の詳細が決まっていない段階で、配当収入を減らすために金融商品を売却するなどの対応を急ぐ必要はありません。
まずは制度改正の内容を正確に把握することが大切です。
結論
介護保険の自己負担割合や保険料に金融所得を反映させる改革は、高齢者の負担能力をより正確に把握し、社会保障制度の公平性を高めようとするものです。
確定申告の有無によって負担が異なる現行の仕組みには、見直すべき課題があります。
一方で、老後の生活を支えるために資産運用を続けてきた高齢者にとっては、金融所得の増加が社会保障負担の増加につながる可能性があります。
重要なのは、金融所得が多いという理由だけで、一律に負担を増やすのではなく、年金収入や生活実態なども踏まえて制度を設計することです。
また、NISAの運用益や株式売却損失の扱いなど、今後の検討事項も少なくありません。
これからの老後資金計画では、資産をいくら保有しているかだけでなく、どのような所得を得て、税金や社会保障費を差し引いた後にいくら使えるのかが重要になります。
金融所得を社会保障負担に反映させる改革は、高齢者の資産運用と生活設計の関係を大きく変える可能性があります。
2027年以降の法改正の議論と、2029年に予定される後期高齢者医療制度への導入が、今後の重要な注目点となります。
参考
日本経済新聞 2026年10月23日 朝刊「高齢者の介護利用、負担割合算定に金融所得の反映検討 医療と同様に」