経営戦略というと、社長や経営幹部が会議室で策定し、それを現場の社員が実行するものだと考えられがちです。
中期経営計画を策定し、売上高や利益率などの目標を設定し、それを事業部や各部署へ落とし込んでいく。
確かに、これは経営戦略の重要な側面です。
しかし、実際の企業経営では、最初につくられた計画通りにすべてが進むわけではありません。
顧客から予想外の要望が出ることもあります。
新しい技術が登場することもあります。
現場の社員が偶然、新しい市場を発見することもあります。
こうした日々の行動を通じて経営戦略そのものが変化していくことを考えるうえで重要になるのが、戦略実践という考え方です。
戦略策定と戦略実践は何が違うのか
経営戦略には、大きく分けて二つの側面があります。
一つが戦略策定です。
もう一つが戦略実践です。
戦略策定とは、企業が将来どこを目指し、そのために何をするのかを決めることです。
例えば、
どの市場で競争するのか
どの商品を成長させるのか
どの事業から撤退するのか
どこへ経営資源を投入するのか
といったことを決めます。
中期経営計画や事業計画は、その代表的なものです。
これに対して戦略実践とは、策定された戦略を実際の仕事や行動に変えていく過程を指します。
重要なのは、単に計画を忠実に実行するだけではないという点です。
実践してみることで初めて分かることがあります。
その発見によって、当初の戦略そのものを修正する場合もあります。
経営戦略は計画通りには進まない
例えば、ある会社が若者向けの商品を開発したとします。
経営陣は20代を主要顧客と想定し、広告や販売戦略も20代向けに設計しました。
ところが販売してみると、意外にも50代や60代から高い支持を得ました。
ここで会社には二つの選択肢があります。
当初の計画通り20代向けの商品として売り続けるのか。
それとも現場で得られた情報をもとに、中高年向けの商品として戦略を修正するのか。
後者を選べば、実践から得られた情報によって戦略そのものが変わったことになります。
経営戦略は、計画してから実行するという一方向のものではありません。
計画する。
実践する。
結果を見る。
学習する。
戦略を修正する。
そして再び実践する。
こうした循環によって形づくられていきます。
現場から経営戦略が生まれることもある
経営戦略の種は、必ずしも経営会議から生まれるわけではありません。
むしろ、顧客や商品、サービスに近い現場だからこそ発見できるものがあります。
営業担当者は顧客との会話から、新しい需要に気づくかもしれません。
製造担当者は、生産工程を改善する中で新しい技術の利用方法を発見するかもしれません。
店舗スタッフは、顧客の購買行動の変化をいち早く感じるかもしれません。
経理担当者であれば、数字を分析する中で利益率の高い顧客層や商品を発見することもあります。
こうした発見が現場だけで終われば、経営戦略にはなりません。
しかし、情報が組織内で共有され、経営資源が投入され、新しい事業へ発展すれば、現場で生まれた発見が会社の戦略になります。
つまり、社員の日常業務の中にも経営戦略の入口が存在しているのです。
試行錯誤が戦略をつくる
将来を完全に予測できるのであれば、経営者が最初から最適な戦略を策定すればよいでしょう。
しかし、現実にはそうはいきません。
新しい商品が売れるかどうか。
新しい市場に需要があるか。
生成AIによって自社の業界がどう変わるか。
競合企業がどのような行動を取るか。
正確に予測することは困難です。
そこで重要になるのが試行錯誤です。
小さく始めてみる。
結果を確認する。
うまくいかなければ修正する。
うまくいけば投資を増やす。
この繰り返しによって、最初には見えていなかった戦略が少しずつ見えるようになります。
戦略実践とは、完成した戦略を実行するだけではなく、実行しながら戦略を発見するプロセスでもあるのです。
失敗も重要な情報になる
試行錯誤には失敗が伴います。
しかし、戦略実践では失敗そのものが必ずしも悪いとは限りません。
例えば、新しい商品を小規模に販売したところ、ほとんど売れなかったとします。
短期的に見れば失敗です。
しかし、
価格が高かったのか
商品そのものに需要がなかったのか
販売方法が悪かったのか
想定していた顧客層が違ったのか
を分析すれば、次の戦略につながります。
逆に、失敗を避けるために何も試さなければ、新しい情報も得られません。
重要なのは、失敗を放置することではなく、失敗を学習に変えることです。
小さな失敗から学び、大きな失敗を防ぐ。
これも戦略実践の重要な考え方です。
社員の日常業務が戦略を変える
戦略実践という考え方では、一般社員の日常業務も重要になります。
例えば営業担当者が、顧客から繰り返し同じ相談を受けているとします。
単に問い合わせへ回答するだけなら、通常業務です。
しかし、
なぜ多くの顧客が同じことで困っているのだろう
と考えれば、新しい商品やサービスの可能性が見えてくるかもしれません。
社員の行動が、
問題の発見
仮説の設定
小さな実験
結果の確認
組織への共有
という流れにつながれば、それは戦略形成の一部になります。
経営戦略は経営企画部だけが扱うものではなくなるのです。
上からの戦略と下からの戦略をつなぐ
もちろん、現場の社員が自由に好きなことをすればよいわけではありません。
企業には限られた資金、人材、時間しかありません。
経営陣には、会社としてどこを目指すのかという大きな方向性を示す役割があります。
一方、現場には、その方向性を実際の顧客や市場に合わせて具体化する役割があります。
つまり、
経営陣が方向を示す
現場が試す
現場から情報が上がる
経営陣が戦略を修正する
再び現場が実践する
という循環が重要になります。
上からの戦略と下からの発見のどちらか一方だけではありません。
両方をつなぐ仕組みが必要なのです。
細かすぎるKPIが戦略実践を妨げることもある
ここで問題になるのが管理の方法です。
企業では経営戦略を実行するため、売上高、利益率、新規顧客数などさまざまなKPIを設定します。
KPIには、組織の方向性をそろえるという重要な役割があります。
しかし、数字を細かく設定しすぎると、社員がその数字を達成することだけを考えるようになる場合があります。
例えば、新しい顧客ニーズを発見しても、
今年の自分の目標には関係ない
となれば、社員は動かないかもしれません。
新規事業の可能性があっても、短期的な売上につながらなければ評価されない制度では挑戦しにくくなります。
戦略を管理するためのKPIが、かえって新しい戦略の芽を摘んでしまうこともあるのです。
人事にも戦略実践を支える役割がある
社員に戦略実践を求めるのであれば、人事制度もそれに対応する必要があります。
例えば、
社員に一定の裁量を与える
新しい挑戦を評価する
長期的な成果を見る
部署を越えた協働を評価する
失敗から得た学習を認める
キャリア形成の機会を提供する
といった仕組みです。
社員に挑戦を求めながら、評価制度では失敗を厳しく減点する。
会社は長期的な成長を掲げながら、社員は一年間の数字だけで評価する。
これでは戦略実践は進みにくくなります。
経営戦略と人事制度の間に矛盾をつくらないことが重要です。
生成AI時代には戦略実践の重要性が高まる
生成AIの普及によって、経営戦略のあり方も変わる可能性があります。
情報収集や分析、資料作成などはAIによって大幅に効率化できます。
しかし、
どの問題に取り組むのか
どの顧客ニーズに注目するのか
何を試すのか
結果から何を学ぶのか
といった判断は依然として重要です。
さらにAIによって小さな実験のコストが下がれば、現場の社員がアイデアを試せる機会は増えていくでしょう。
経営陣がすべてを考え、それを社員が実行するという企業よりも、多くの社員が実験し、その結果を経営戦略に反映できる企業の方が環境変化に対応しやすくなる可能性があります。
結論
戦略実践とは、経営陣が策定した経営戦略を単に現場で実行することではありません。
実際に行動し、顧客や市場の反応を確認し、試行錯誤しながら学習し、その結果によって経営戦略そのものを変えていくプロセスです。
その意味では、経営戦略をつくるのは経営者だけではありません。
営業、製造、開発、人事、経理など、顧客や事業に接する社員の日常業務からも次の戦略が生まれます。
経営者が方向性を示し、現場が試し、その結果を経営へ戻す。
そして経営が戦略を修正し、再び現場が動く。
この循環をつくれる企業ほど、変化の激しい時代に対応しやすくなります。
経営戦略とは、完成した計画書ではありません。
組織の人々が日々の仕事を通じてつくり続けるものなのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月14日朝刊 新しい企業戦略を考える(下) 人事の真の価値を問い直せ