企業が事業を売却すると、売却によって生じた利益には法人税などがかかります。
例えば、ある事業を売却して1000億円の利益が出た場合、実効税率を30%とすれば、単純計算で最大300億円程度の税負担が発生します。
企業から見れば、せっかく事業を売却して資金を確保しても、その一部をすぐに税金として支払わなければなりません。
そこで経済産業省が2027年度の税制改正で創設を求めるのが、事業売却益に対する課税を将来に繰り延べる制度です。
狙いは単なる減税ではありません。
収益性の低い事業から資金を引き揚げ、AIや半導体など成長性の高い事業へ資金を移す企業の事業ポートフォリオ改革を税制面から後押しすることにあります。
事業を売却すると税金が発生する
企業が持つ事業には、それぞれ資産や負債があります。
その事業を他社に売却し、帳簿上の価値を上回る金額で売れれば、企業には売却益が発生します。
この売却益は原則として法人税などの課税対象になります。
現在、大企業にかかる国税と地方税を合わせた実効税率は30%程度です。
仮に1000億円の売却益が発生したとします。
単純化すると、
売却益1000億円
税負担約300億円
税引き後約700億円
となります。
企業が次の成長事業へ投資したいと考えていても、売却時点で税金を支払えば、その分だけ投資に回せる資金が少なくなります。
これが事業売却をためらう一つの要因になるという考え方です。
税金をなくすのではなく支払いを先送りする
今回検討されている制度で重要なのが、課税の繰り延べです。
繰り延べとは、税金そのものを直ちに免除することではありません。
本来なら現在支払う税金を、一定の条件を満たした場合に将来へ先送りする仕組みです。
例えば1000億円の売却益に対して300億円程度の税負担が生じる場合、この300億円をすぐに納税する必要がなくなれば、その資金を新しい事業の買収や設備投資、研究開発などに利用できます。
企業にとっては300億円を無利息で長期間使えるような効果が生まれるため、資金繰りへの影響は非常に大きくなります。
成長分野への再投資が条件になる
ただし、単に事業を売れば税金を繰り延べられるわけではありません。
経済産業省の構想では、新たな事業買収や、その後の設備投資、研究開発などを行うことが条件になります。
企業は投資計画を国に提出し、承認を受ける必要があります。
つまり、
既存事業を売却する
売却資金を確保する
成長が期待できる事業を買収する
設備投資や研究開発を進める
という資金の循環を促す制度です。
売却と買収については、どちらが先でもよく、原則として5年間の期間を想定しています。
先に不要な事業を売却してから新事業を探す場合だけでなく、先に成長事業を買収し、その後で既存事業を売却するケースにも対応できる仕組みが想定されています。
参考になるのが事業用不動産の買い替え特例
今回の仕組みには、すでに存在する事業用不動産の税制が参考にされています。
企業などが事業用不動産を売却し、別の事業用不動産へ買い替える場合、一定の条件を満たせば売却益への課税を将来に繰り延べることができます。
考え方としては、
古い資産を売る
新しい資産へ買い替える
資産の入れ替えが続いている間は課税を先送りする
というものです。
今回検討されている新税制は、この考え方を不動産だけではなく事業そのものの売買へ広げようとするものです。
長期間保有すれば事実上の非課税に近づく
今回の制度で特に注目されるのが、買収した事業を保有している間は課税の繰り延べが続くと想定されている点です。
例えば、ある企業が既存事業を売却し、その資金で成長企業を買収したとします。
その買収した事業を10年、20年と保有し続ければ、その間は売却益に対する税金を支払わずに済む可能性があります。
法律上は課税の繰り延べであっても、企業が買収した事業を長期間保有すれば、実質的には非課税に近い効果が生まれます。
このため企業にとっては、事業売却を決断する強いインセンティブになる可能性があります。
なぜ政府は事業売却を促したいのか
背景には、日本企業の資本効率の低さがあります。
企業は株主や銀行などから集めた資金を事業へ投じています。
重要なのは、その資金をどれだけ効率よく利益へ変えられるかです。
その代表的な指標がROICです。
ROICは投下資本利益率と呼ばれ、企業が事業へ投入した資本からどれだけ利益を生み出したかを示します。
一方、企業が資金を調達するためにはコストがかかります。
株主が求める収益率や銀行などへの利息を合わせた資金調達コストを示す代表的な指標がWACCです。
企業が価値を生み出すためには、基本的にはROICがWACCを上回る必要があります。
ROICがWACCを下回る事業は価値を壊す
例えば、ある事業のROICが4%だったとします。
ところが、その事業に必要な資金のWACCが6%ならどうでしょうか。
100億円を投じても4億円程度の利益しか生み出せない一方、資金提供者は6億円相当の収益を求めています。
この場合、
ROIC4%
WACC6%
差はマイナス2%
となります。
企業は利益を出しているように見えても、資本コストまで考えると企業価値を減らしていることになります。
経済産業省はこうした考え方をEconomic Profit、EPという指標で捉えています。
日本企業では、このEPがマイナスとなる価値毀損セグメントに多くの資本が残っていることが問題視されています。
日本企業は低収益事業を抱え込みやすい
経済産業省の分析では、日本の主要企業350社について、EPがマイナスとなっている価値毀損セグメントへの投下資本は全体の65%を占めます。
これに対して米国の主要企業では39%、欧州では42%です。
日本企業では、十分な収益を生み出していない事業にも多額の資金が残っていることになります。
もちろん、現在の利益率が低いからといって直ちに事業を売るべきとは限りません。
将来の成長が期待できる事業もあります。
しかし、将来的にも十分な収益が期待できない事業を抱え続ければ、本来成長分野へ投入できる人材や資金まで固定されてしまいます。
そこで政府は企業に事業の入れ替えを促そうとしています。
ベストオーナー原則とは何か
今回の政策を理解するうえでもう一つ重要なのが、ベストオーナー原則です。
これは、ある事業について、その価値を最も高められる経営主体が保有するべきだという考え方です。
例えば大企業の中では小さな事業であっても、その事業を専門とする別の企業に売却すれば、大きく成長する可能性があります。
売り手企業は売却資金を自社の成長分野へ投資できます。
買い手企業は自社の強みを生かして取得した事業を成長させます。
社会全体で見ると、資金や人材がより生産性の高い場所へ移動することになります。
企業が事業を売ることを敗北や撤退と考えるのではなく、企業価値を高める経営判断として捉える発想です。
税制が企業の事業構成を変える可能性がある
これまで企業にとって事業売却は簡単な判断ではありませんでした。
従業員や取引先への影響だけでなく、売却益に対する税負担も発生するからです。
しかし売却益への課税を繰り延べられるようになれば、企業は売却資金をより多く次の投資へ回せます。
特にAI、半導体、造船など政府が戦略分野として位置づける分野では、企業買収や大型設備投資が増える可能性があります。
今回の制度は単なる企業向け減税ではなく、
低収益事業から資金を出す
成長事業へ資金を移す
企業全体のROICを高める
企業価値を高める
という一連の事業ポートフォリオ改革を促す政策と見ることができます。
結論
経済産業省が2027年度税制改正で求める事業ポートフォリオ転換・強化促進税制は、企業が既存事業を売却した際に生じる利益への課税を将来へ繰り延べる仕組みです。
重要なのは、税金を単純に安くする制度ではなく、売却によって確保した資金を新たな事業買収や設備投資、研究開発などへ振り向けることを条件としている点です。
1000億円の売却益なら、30%の実効税率を前提にすると最大300億円程度の税負担が生じます。この納税を先送りできれば、企業はその資金を次の成長投資に利用できます。
背景には、日本企業が収益性の低い事業を抱え込み、資本効率を十分に高められていないという問題があります。
これからの企業経営では、事業を増やすことだけでなく、どの事業を手放し、そこで生まれた資金をどこへ再投資するかが重要になります。
今回の税制が実現すれば、事業売却は単なる撤退ではなく、企業の資金と人材を成長分野へ移すための経営戦略として、これまで以上に重要になるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年8月25日朝刊 事業売却益に税優遇 経産省要望 成長分野へ投資が条件 ポートフォリオ改善促す