日本基準からIFRSへ移行するとき、企業の資産や純資産が大きく変わることがあります。
その要因の1つが、みなし原価です。
特に長期間保有してきた土地などでは、取得したときの価格と現在の価値が大きく異なっている場合があります。
IFRSへの移行時には、一定の条件のもとで移行日時点の公正価値を、その後の取得原価として扱うことができます。
これがみなし原価です。
企業が長年保有してきた不動産には、財務諸表だけでは分かりにくい含み益や含み損が存在することがあります。
みなし原価を理解すると、IFRSへの移行によって企業の貸借対照表がなぜ大きく変わるのかが見えてきます。
土地は取得したときの価格で残り続ける
日本企業の貸借対照表を見ると、土地が取得原価を基礎として計上されていることがあります。
例えば、企業が1980年代に東京都内の土地を10億円で取得したとします。
その土地の現在の価値が100億円になっていたとしても、通常の会計処理では毎年100億円に評価し直すわけではありません。
そのため、貸借対照表上では10億円を基礎とした金額で計上されている一方、実際の不動産価値は100億円という状態が生じる可能性があります。
この差額がいわゆる含み益です。
企業が長期間保有している土地が多ければ、貸借対照表の数字だけでは分からない大きな含み益を抱えている可能性があります。
IFRS移行時に使えるみなし原価
IFRSを初めて適用する企業には、移行を円滑にするためのさまざまな措置があります。
その1つがみなし原価です。
一定の有形固定資産などについて、IFRS移行日時点の公正価値をみなし原価として使用することができます。
つまり、過去にさかのぼって取得原価をすべて再計算する代わりに、移行日時点の価値を新しい出発点として利用できる仕組みです。
例えば帳簿価額10億円の土地について、移行日時点の公正価値が100億円だったとします。
みなし原価として100億円を採用すれば、IFRS移行後の貸借対照表では、この100億円を基礎とした金額が新しいスタート地点になります。
それまで財務諸表に直接表れていなかった土地の価値が、貸借対照表に反映されることになります。
含み益は利益剰余金などに反映される
重要なのは、土地の評価額が90億円増加したからといって、通常の売上高や営業利益として90億円を計上するわけではないことです。
IFRS移行時の調整は、原則として移行日時点の利益剰余金など純資産に反映されます。
つまり、通常の事業活動によって90億円を稼いだわけではありません。
会計基準の変更に伴って、過去から存在していた資産価値の差が貸借対照表に表れたと考える必要があります。
IFRS移行年度の財務諸表を見るときには、通常の利益と移行調整を区別することが重要です。
逆に純資産が減る場合もある
みなし原価というと、土地の含み益を表面化させて純資産を増やす仕組みのように見えるかもしれません。
しかし、必ず純資産が増加するわけではありません。
企業が保有する資産の現在価値が帳簿価額を下回っている場合には、逆方向の調整が必要になることがあります。
さらにIFRS移行では、みなし原価だけでなく減損、リース、退職給付、各種引当金など、さまざまな項目について調整が行われます。
ある土地の評価額が増加しても、別の資産の減損や負債の増加によって、企業全体では純資産が減少することもあります。
したがってIFRS移行を見る場合には、個別項目だけではなく、調整全体を見る必要があります。
土地を多く持つ企業ほど注目したい
みなし原価との関係で特に注目したいのが、長期間にわたって不動産を保有している企業です。
鉄道会社。
百貨店。
不動産会社。
製造業。
倉庫会社。
ホテル会社。
こうした企業は、駅前や都市部などに古くから土地を保有していることがあります。
取得時期が古い土地ほど、現在の市場価値と帳簿価額との間に大きな差が生じている可能性があります。
IFRS移行によって、その差の一部が財務諸表上に表れることがあります。
企業分析では、土地の帳簿価額だけでなく、その土地がどこにあり、いつ頃取得されたものなのかを見ることも重要です。
含み益があっても現金が増えるわけではない
土地の評価額が増加すると、企業の資産や純資産が増えます。
しかし、それだけで企業の手元資金が増えるわけではありません。
100億円の土地を保有していても、その土地を売却しなければ100億円の現金が入ってくるわけではありません。
さらに、本社や工場など事業に不可欠な土地であれば、簡単に売却できないこともあります。
そのため、土地の含み益が大きい企業だからといって、その金額をそのまま自由に使える資金と考えることはできません。
会計上の資産価値と資金繰りは分けて考える必要があります。
自己資本比率にも影響する
みなし原価によって純資産が増加すると、企業の財務指標にも影響します。
代表的なのが自己資本比率です。
資産の評価額が増え、その差額が純資産に反映されれば、自己資本比率が変化する可能性があります。
一方で、同じ企業の事業そのものが突然改善したわけではありません。
売上高が増えたわけでも、営業キャッシュフローが増えたわけでもありません。
会計上の評価方法が変わったことで財務指標が変化した部分があります。
IFRS移行前後の自己資本比率を比較するときには、この影響を確認する必要があります。
ROEには逆方向の影響が出ることもある
純資産の増加はROEにも影響します。
ROEは利益を自己資本で割って求めるため、利益が同じで自己資本だけが増加すれば、ROEは低下します。
例えば年間利益が500億円で、自己資本が5,000億円なら単純計算のROEは10%です。
みなし原価などの影響で自己資本が6,000億円になれば、利益が500億円のままであればROEは約8.3%になります。
企業の収益力が低下していなくても、会計基準の変更によってROEが変わることがあるわけです。
逆に、減損などによって純資産が減少すれば、利益が変わらなくてもROEが上昇する場合があります。
IFRS移行前後のROEを単純比較するときには注意が必要です。
将来の減価償却費にも影響する
みなし原価の影響は移行時だけとは限りません。
建物や設備など減価償却の対象となる資産についてみなし原価を適用すれば、その後の減価償却費にも影響する可能性があります。
資産の新しい帳簿価額が大きくなれば、条件によっては将来の減価償却費も大きくなります。
逆に帳簿価額が小さくなれば、その後の費用負担が小さくなることがあります。
つまり、IFRS移行時の資産評価は貸借対照表だけの問題ではありません。
その後の損益計算書にも影響する可能性があります。
企業分析では移行年度だけでなく、その後数年間の利益への影響も考える必要があります。
IFRS移行調整表から企業の隠れた特徴が見える
IFRSへ移行した企業は、日本基準からIFRSへどのように数字が変化したのかを開示します。
ここには企業分析の重要な情報があります。
土地などの資産がどの程度増減したのか。
どの事業で減損が発生したのか。
リース負債がどの程度増えたのか。
退職給付などの負債がどう変化したのか。
利益剰余金が最終的にどれだけ変わったのか。
こうした項目を確認すると、通常の決算書だけでは見えにくかった企業の財務構造が浮かび上がってきます。
IFRS移行は、企業の貸借対照表を改めて点検する絶好の機会ともいえます。
結論
みなし原価は、IFRSを初めて適用する企業が一定の資産について、移行日時点の公正価値などを新たな取得原価として利用できる仕組みです。
特に古くから保有する土地では、帳簿価額と現在価値との間に大きな差が存在することがあります。
その差がIFRS移行によって貸借対照表に表れる場合があります。
しかし、資産や純資産が増加したからといって、その企業の収益力や現金が同じだけ増えたわけではありません。
反対に純資産が減少しても、それだけで財務状態が急激に悪化したとは限りません。
重要なのは、数字がいくら変わったかではなく、なぜ変わったのかを見ることです。
IFRS移行時のみなし原価を理解することは、企業が長年保有してきた資産の実態と、貸借対照表の裏側にある含み益や含み損を考える手掛かりになるのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月30日夕刊 IFRS移行時の注目点