日本の転職市場で、これまでとは異なる動きが広がっています。
転職に関心を持ち、求人情報を調べたり、転職サイトに登録したりする人が増えている一方、実際に転職する人の数はそれほど増えていません。
今すぐ会社を辞めるつもりはないものの、将来の転職に備えて情報収集を続ける人たちは、ゆる転職層と呼ばれています。
2026年10月21日の日本経済新聞によると、2026年4月から6月期の転職者数は325万人でした。一方、転職等希望者数は969万人に達しています。
転職を希望する人が増えているにもかかわらず、実際に転職する人が大幅には増えていないという現象が起きているのです。
背景には、現在の勤務先の労働条件の改善、転職先に求める条件の厳格化、AIの普及による将来の雇用不安などがあります。
今回は、ゆる転職層が増加している背景を統計から読み解き、日本の雇用市場がどのように変化しているのかを考えます。
転職希望者969万人という数字の意味
総務省の労働力調査によると、2026年4月から6月期の転職者数は325万人でした。
2020年同期と比較してもほぼ同じ水準です。
就業者に占める転職者の割合も、2020年同期の4.9%から2026年同期は4.7%となり、大きな変化はありません。
一方、転職等希望者数は969万人となり、2020年同期から約20%増加しました。
さらに、このうち実際に求職活動をしている人は254万人から351万人へと約38%増加しています。
ここで重要なのは、転職者、転職等希望者、求職活動者という3つの数字の違いです。
転職者は実際に勤務先を変更した人です。
転職等希望者には、現在の仕事を辞めて別の仕事に就きたい人だけでなく、現在の仕事に加えて別の仕事をしたい人も含まれます。
求職活動者は、その中で具体的に仕事を探している人です。
したがって、969万人全員が現在の会社を辞めたいと考えているわけではありません。
また、転職者数と転職等希望者数は集計対象や期間の考え方が異なるため、単純に割り算して転職成功率を求めることも適切ではありません。
それでも、転職への関心が広がっている一方で、実際の労働移動は限定的であるという傾向を読み取ることができます。
転職活動をしても転職しない人が増加
リクルートワークス研究所の調査によると、前年に転職活動をしていた人のうち、実際に転職した人の割合は2025年に32.6%でした。
2019年の42.8%と比較すると、10.2ポイント低下しています。
転職活動をした人のうち、実際に転職する人の割合が下がっているのです。
この背景には、転職活動に対する考え方の変化があります。
以前は、転職活動を始める段階で現在の勤務先を辞める意思が固まっているケースが多かったと考えられます。
しかし、現在では転職するかどうかを決める前に、求人情報を調べたり、自分の市場価値を確認したりする人が増えています。
マイナビの調査でも、転職活動中の人のうち、必ず転職したいと回答した人は28.5%にとどまり、良い会社が見つかれば転職したいという人が56.9%を占めています。
つまり、転職活動は必ずしも退職を前提とした行動ではなくなっているのです。
現在の勤務先にとどまる合理的な理由
転職活動をしても実際には転職しない理由として、現在の勤務先の労働条件が改善していることも考えられます。
働き方改革の進展によって、長時間労働の是正、有給休暇の取得促進、育児や介護との両立支援などが進んできました。
企業によっては、在宅勤務やフレックスタイム制度も定着しています。
こうした環境で働いている人にとって、転職は必ずしも労働条件の改善につながるとは限りません。
例えば、現在の年収が700万円で、転職先から750万円を提示された場合を考えてみます。
年収は50万円増加しますが、転職先では在宅勤務が認められず、毎日の通勤が必要になるかもしれません。
さらに、転勤の可能性や福利厚生の違い、退職金制度の変更なども考慮する必要があります。
年収だけを比較すれば転職先が有利でも、生活全体で考えれば現在の勤務先にとどまる方が合理的な場合があります。
転職活動によって外部の労働条件を知った結果、現在の勤務先の価値を再認識することもあるでしょう。
AIの普及が将来の仕事への不安を高める
ゆる転職層の増加を考えるうえで、AIの普及も重要な要因です。
生成AIの進化によって、これまで人間が担当してきた業務の一部が自動化されるようになりました。
経理部門では仕訳入力や請求書処理、法務部門では契約書の確認、金融機関では資料作成や情報分析などでAIの活用が進んでいます。
IT業界でも、プログラムの作成や修正にAIを利用する機会が増えています。
こうした変化によって、自分の仕事が将来も必要とされるのかという不安を抱く人が増えていると考えられます。
ただし、AIの普及によってすべての専門職が不要になるわけではありません。
むしろ、AIを使いこなしながら複雑な問題を解決できる人材の重要性は高まる可能性があります。
例えば、税務の分野では、制度の概要や一般的な取扱いをAIで調べることは容易になっています。
一方、個別の取引について事実関係を確認し、法令や通達を踏まえて判断する業務には、引き続き高度な専門能力が求められます。
AIによって自分の仕事がどう変わるのかを把握するためにも、外部の求人市場を確認することには意味があります。
若手社員にも広がる市場価値の確認
ゆる転職は、社会人経験の長い人だけの現象ではありません。
パーソルキャリアによると、2026年春に転職サービスのdodaへ登録した新社会人の数は、調査を開始した2011年と比較して約28倍になりました。
入社して間もない段階から、外部の雇用市場に関心を持つ若者が増えていることになります。
かつての日本企業では、新卒で入社した会社に長く勤めることが一般的なキャリア形成の方法でした。
しかし、現在では企業の事業再編やデジタル化が進み、将来の事業環境を予測することが難しくなっています。
大企業に入社したからといって、同じ仕事を定年まで続けられるとは限りません。
そのため、若い段階から自分の専門能力が他社でも評価されるのかを確認することは、将来のリスク管理につながります。
ただし、転職市場での評価を意識するあまり、現在の勤務先で経験を積む機会を軽視することは避けるべきです。
専門能力を高めるには、一定期間にわたって仕事に取り組み、成果を積み重ねることも重要です。
企業の採用活動にも変化が生じている
ゆる転職層の増加は、企業の採用活動にも影響しています。
従来の採用活動では、企業が求人広告を出し、応募者を書類選考や面接によって評価する方法が中心でした。
しかし、現在では正式な応募前に企業と求職者が情報交換するカジュアル面談が広がっています。
カジュアル面談では、仕事内容や職場環境、将来のキャリア形成などについて、比較的自由に意見交換することができます。
求職者は応募する前に企業の実態を知ることができ、企業側も将来の採用候補者と早い段階から関係を築けます。
また、企業が求職者に直接声をかけるダイレクトリクルーティングも普及しています。
今すぐ転職する予定がない人でも、企業からのスカウトを通じて、自分の経験や専門性に対する外部の評価を知ることができます。
採用活動は、転職を決意した人を対象とするものから、将来の転職可能性がある人との関係を構築するものへと広がりつつあります。
50代以降にも重要なゆる転職の考え方
ゆる転職の考え方は、50代以降のキャリア形成にも応用できます。
日本では高年齢者雇用安定法によって、企業に65歳までの雇用確保措置が義務付けられています。
さらに、70歳までの就業機会確保措置も努力義務とされています。
しかし、長く働ける制度が整っていても、希望する仕事や給与水準が維持されるとは限りません。
そのため、定年や再雇用の時期を迎える前から、自分の専門能力が社外でどの程度評価されるのかを確認しておくことが重要です。
例えば、経理、税務、金融、法務などの分野では、長年の実務経験が企業の課題解決に役立つ可能性があります。
一方、特定の企業内部でしか通用しない業務知識に依存している場合、外部での評価が限定されることもあります。
現在の勤務先で働きながら専門知識を更新し、資格取得や情報収集を進めることは、将来の選択肢を広げる準備になります。
特に60歳以降も高い給与水準で働ける人の場合、転職や独立を急ぐ必要性は必ずしも高くありません。
現在の安定した収入を維持しながら、将来の働き方を検討することも合理的な選択です。
転職市場の変化は日本経済にも影響する
ゆる転職層の増加は、個人のキャリア形成だけでなく、日本経済全体にも影響する可能性があります。
日本では長年、企業内部で人材を育成し、長期雇用を前提として配置転換を行う仕組みが重視されてきました。
しかし、産業構造が変化するなかでは、成長分野に必要な人材を円滑に移動させることも重要です。
政府も労働市場改革の一環として、本人の希望に応じた労働移動の円滑化を重視しています。
もっとも、転職者数が増えること自体が経済成長につながるわけではありません。
重要なのは、人材が能力を発揮できる仕事に就き、生産性の向上や賃金の改善につながることです。
転職希望者が増えても、希望する仕事内容や労働条件に合う求人がなければ、実際の労働移動は進みません。
企業には、給与だけでなく、働き方や人材育成の仕組みを改善することが求められます。
一方、働く側にも、外部の雇用市場で評価される専門能力を高める努力が必要になります。
結論
ゆる転職層の増加は、日本の働き方が新しい段階に入りつつあることを示しています。
2026年4月から6月期の転職者数は325万人と横ばいである一方、転職等希望者数は969万人に達しました。
実際に求職活動をしている人も351万人となり、2020年同期から大幅に増加しています。
こうした数字は、転職するかどうかを決める前に、外部の雇用市場を調べる人が増えていることを示唆しています。
AIの普及によって将来の仕事が変化する可能性が高まるなか、現在の勤務先だけに依存せず、自分の市場価値を把握することには大きな意味があります。
ただし、転職すること自体を目的にする必要はありません。
現在の勤務先で働き続けることが、経済的にも生活面でも最も合理的な場合もあります。
重要なのは、転職する自由と、現在の勤務先にとどまる自由の両方を持つことです。
特に人生100年時代には、50代や60代になってからも働き方を見直す機会が訪れます。
そのときに慌てて転職先を探すのではなく、日頃から専門能力を高め、将来の選択肢を準備しておくことが望ましいでしょう。
転職しないことと、転職できないことは異なります。
自分の意思で働き方を選択できる状態を維持することこそ、これからの時代に求められるキャリア戦略だと考えます。
参考
日本経済新聞 2026年10月21日 ゆる転職層広がる 焦らず慎重に検討、AI時代の変化に備え
総務省統計局 2026年8月10日 労働力調査 2026年4月から6月期平均
マイナビキャリアリサーチLab 2026年10月20日 大転職時代は本当か、人材の流動性のいまを確かめる
厚生労働省 2026年5月27日 第4回日本成長戦略会議労働市場改革分科会参考資料