親が亡くなったとき、預貯金や不動産などの財産を引き継ぐことが一般的ですが、近年は相続そのものを放棄する人が急増しています。
2025年の相続放棄の新規受理件数は32万3,524件となり、過去最多を更新しました。10年間で7割以上増加しています。
背景には、借金などの負債だけでなく、売却も活用も難しい空き家や農地など、いわゆる負動産の問題があります。
相続放棄は、不要な財産や債務を引き継がないための重要な制度です。しかし、原則3カ月という手続き期限があり、対応を誤ると放棄できなくなる可能性があります。
今回は、相続放棄が増加している背景、具体的な手続き、税務上の取扱い、家族が注意すべき問題について解説します。
相続放棄が過去最多となった背景
最高裁判所の司法統計によると、2025年の相続放棄の新規受理件数は32万3,524件で、前年比4.8%増加しました。
相続放棄が増加する背景には、主に3つの要因があります。
第1は、被相続人の借金を引き継ぎたくないという事情です。
相続では、預貯金や有価証券、不動産などのプラスの財産だけでなく、借入金や未払金などのマイナスの財産も原則として承継します。
例えば、預貯金が500万円あっても借入金が1,000万円残っていれば、差し引き500万円の債務超過となります。
このような場合、相続放棄が有力な選択肢になります。
第2は、空き家や農地などの管理負担です。
地方にある実家を相続しても、相続人が都市部で生活している場合、利用する機会がないことも少なくありません。
売却できず、賃貸需要も乏しい不動産では、固定資産税や修繕費などの支出だけが続く可能性があります。
第3は、家族関係の変化です。
離婚や再婚、親族間の交流の減少などにより、長年会っていない親族の相続人になるケースがあります。
財産の内容も十分に把握できず、相続手続きに関わりたくないという理由から、相続放棄を選択する人もいます。
相続放棄と単純承認と限定承認の違い
相続が発生した場合、相続人には原則として3つの選択肢があります。
1つ目は単純承認です。
被相続人のプラスの財産とマイナスの財産をすべて引き継ぐ方法です。
2つ目は相続放棄です。
家庭裁判所に申述し、相続人としての地位を放棄する方法です。
相続放棄が認められると、原則として最初から相続人ではなかったものとして扱われます。
預貯金などの財産を取得できなくなる一方、被相続人の借金を相続することもありません。
3つ目は限定承認です。
相続によって取得した財産の範囲内で、被相続人の債務を弁済する方法です。
例えば、相続財産が1,000万円、借金が1,500万円の場合、限定承認では原則として相続によって取得した財産の範囲で債務を清算します。
ただし、限定承認は共同相続人全員で行う必要があり、手続きも複雑です。
一方、相続放棄は相続人が複数いても各人が単独で行えます。
相続放棄の期限は原則3カ月
相続放棄で最も重要なのが手続き期限です。
民法では、相続人が自己のために相続の開始があったことを知った時から、原則3カ月以内に相続放棄などの判断をする必要があります。
この期間を熟慮期間と呼びます。
注意したいのは、必ずしも被相続人の死亡日から3カ月ではないことです。
例えば、長年交流のなかった父親が死亡し、その事実を1年後に初めて知った場合、通常は自分が相続人になったことを知った時から熟慮期間が始まります。
ただし、具体的な起算日は個別事情によって判断されます。
相続財産の調査が終わらず、3カ月以内に判断できない場合には、家庭裁判所に熟慮期間の伸長を申し立てることができます。
この申立て自体も原則として熟慮期間内に行う必要があります。
財産調査が難航している場合には、期限を迎える前に専門家へ相談することが重要です。
相続財産の調査が重要になる
相続放棄を判断するには、被相続人の財産と債務をできるだけ正確に把握する必要があります。
預貯金については、通帳やキャッシュカード、金融機関からの郵便物などを確認します。
株式や投資信託については、証券会社からの取引報告書や残高報告書が手掛かりになります。
不動産については、固定資産税の納税通知書や登記事項証明書などを確認します。
2026年2月に始まった所有不動産記録証明制度も活用できます。
この制度では、一定の請求資格を持つ相続人などが、登記名義人ごとに全国の登記された不動産の情報を一覧で確認できます。
ただし、未登記不動産や登記名義が適切に更新されていない不動産などは把握できない場合があります。
借入金については、金融機関の取引履歴や請求書の確認に加え、信用情報機関への照会も有効です。
全国銀行個人信用情報センターやCIC、日本信用情報機構などが代表的です。
もっとも、個人間の借入金や保証債務など、信用情報だけでは確認できない負債もあります。
財産調査は、プラスの財産だけでなく、見えにくい債務まで確認することが大切です。
空き家が負動産になる時代
相続放棄の増加を考えるうえで、空き家問題は避けて通れません。
親が所有していた住宅を相続しても、子どもがすでに持ち家を取得している場合、実家に住む予定がないことがあります。
建物が古く、人口減少が進む地域では、売却しようとしても買い手が見つからないケースがあります。
空き家を所有すると、固定資産税や都市計画税のほか、草木の管理、建物の修繕、火災保険などの負担が発生します。
さらに、管理不全空家や特定空家として行政から勧告を受けた場合、住宅用地の固定資産税軽減措置が適用されなくなる可能性もあります。
例えば、年間の維持費が20万円かかる空き家を20年間保有すると、単純計算で400万円になります。
大規模修繕や解体費用が発生すれば、さらに負担が増えます。
相続財産は金額だけでなく、将来の管理費用や処分可能性まで考慮して判断する必要があります。
相続登記の義務化も影響する
2024年4月から相続登記が義務化されました。
相続によって不動産を取得したことを知った日から、原則3年以内に相続登記を申請する必要があります。
正当な理由なく申請を怠った場合には、10万円以下の過料が科される可能性があります。
2024年4月より前に発生した相続も義務化の対象です。
こうした制度変更によって、これまで名義変更をせずに放置されていた不動産についても、相続人が対応を迫られる場面が増えています。
ただし、相続登記の3年という期限と、相続放棄の3カ月という期限は別の制度です。
相続登記の期限まで待ってから相続放棄を検討するのでは、原則として間に合いません。
相続放棄を検討している場合には、まず熟慮期間を確認することが重要です。
財産を処分すると相続放棄できない場合がある
相続放棄を検討している段階では、被相続人の財産を勝手に処分しないよう注意する必要があります。
民法では、相続財産の全部または一部を処分した場合、原則として単純承認したものとみなされます。
例えば、被相続人の預貯金を引き出して自分の生活費に使ったり、相続財産である自動車を売却したりすると、相続放棄が認められなくなる可能性があります。
一方、財産の保存行為など、直ちに単純承認に当たらない行為もあります。
葬儀費用の支払いや遺品整理などについても、財産の性質、金額、行為の内容によって判断が異なります。
相続放棄を検討している場合は、安易に財産を処分せず、事前に専門家へ確認することが安全です。
相続放棄をすると次の相続人に影響する
相続放棄は本人だけの問題ではありません。
民法では相続人の順位が定められています。
被相続人の子どもが第1順位、父母などの直系尊属が第2順位、兄弟姉妹が第3順位です。
配偶者は常に相続人となります。
例えば、父親が死亡し、子ども全員が相続放棄した場合、父親の両親が存命であれば、次に相続人となる可能性があります。
父親の両親などもすでに亡くなっている場合には、父親の兄弟姉妹が相続人になることがあります。
借金がある場合、相続放棄によって次順位の親族が債務の相続問題に直面することになります。
なお、相続放棄をしても、家庭裁判所から次順位の相続人に自動的に通知されるわけではありません。
親族間のトラブルを防ぐためには、相続放棄の予定や債務の存在について、必要に応じて情報共有することが望ましいでしょう。
相続放棄後も財産の管理責任が残る場合がある
相続放棄をすれば、必ずしもすべての責任から直ちに解放されるわけではありません。
民法940条では、相続放棄をした人が放棄時に相続財産を現に占有している場合、次の相続人や相続財産清算人に引き渡すまで、一定の保存義務を負うと定めています。
例えば、相続したくない実家を事実上管理し、自分の荷物を保管している場合などは、現に占有していると判断される可能性があります。
もっとも、単に相続人であったという理由だけで、すべての空き家について管理義務が残るわけではありません。
実際に占有しているかどうかが重要になります。
相続人全員が相続放棄し、財産を管理する人がいなくなった場合には、利害関係人などの請求によって家庭裁判所が相続財産清算人を選任する制度があります。
相続放棄と財産管理の問題は分けて考える必要があります。
相続放棄と相続税の関係
相続放棄は、相続税にも影響します。
まず、相続放棄をした人は、原則として被相続人の財産を相続しないため、相続財産について相続税を負担しません。
ただし、生命保険金や死亡退職金などを受け取る場合は注意が必要です。
生命保険金は、契約上の受取人が相続人本人に指定されている場合、相続放棄をしても受け取れることがあります。
しかし、被相続人が保険料を負担していた死亡保険金などは、相続税法上のみなし相続財産として課税対象になる場合があります。
さらに重要なのは、相続放棄をした人が受け取る死亡保険金には、相続税法上の生命保険金の非課税枠が適用されないことです。
通常、相続人が受け取る死亡保険金には、500万円に法定相続人の数を乗じた非課税限度額があります。
しかし、相続放棄をした人自身は、この非課税措置の対象になりません。
一方、相続税の基礎控除額は、3,000万円に600万円と法定相続人の数を乗じた金額を加えて計算します。
この法定相続人の数は、相続放棄がなかったものとして計算します。
例えば、配偶者と子ども2人が法定相続人の場合、子どもの1人が相続放棄しても、基礎控除額は4,800万円です。
相続放棄をしたからといって、基礎控除額が自動的に減少するわけではありません。
なお、相続放棄をした人でも、課税対象となる生命保険金などを取得し、相続税の申告要件に該当する場合には、申告と納税が必要になります。
相続放棄を判断する前に考えたいこと
相続放棄は、借金や不要な不動産から身を守るための有効な制度です。
しかし、預貯金だけを相続し、不動産や借金だけを放棄することはできません。
原則として、相続人としての地位をまとめて放棄することになります。
また、相続放棄が受理された後は、原則として自由に撤回することはできません。
そのため、財産調査を十分に行い、相続する場合と放棄する場合の双方を比較することが重要です。
特に、不動産については現在の評価額だけでなく、売却可能性、固定資産税、管理費用、解体費用などを確認する必要があります。
借金についても、金融機関からの借入金だけでなく、保証債務や未払税金などの有無を調べることが大切です。
相続放棄は、単なる財産の損得だけでなく、将来の生活や家族関係にも影響する重要な判断なのです。
結論
2025年の相続放棄は32万3,524件となり、過去最多を記録しました。
相続放棄の増加は、借金問題だけでなく、空き家の増加、地方の人口減少、家族関係の変化など、日本社会が抱える構造的な問題を反映しています。
かつて相続は、財産を次世代へ引き継ぐことが中心でした。
しかし、これからは財産を引き継ぐこと自体が負担になるケースも増えていくと考えられます。
重要なのは、相続が発生してから慌てて対応するのではなく、親が元気なうちから財産の内容や不動産の将来について家族で話し合っておくことです。
特に地方の実家や農地については、誰が利用するのか、売却できるのか、維持管理にどれだけの費用がかかるのかを確認しておく必要があります。
そして、相続放棄を検討する場合には、原則3カ月という期限を最優先で意識しなければなりません。
人生100年時代の相続対策では、財産をいかに残すかだけでなく、不要な財産や負担を次世代に残さないという視点も欠かせません。
相続放棄は、そのための重要な選択肢の一つといえるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年10月24日朝刊「空き家・借金、相続放棄が急増 手続き期限は3カ月」
最高裁判所 司法統計年報 家事事件編
法務省 相続登記の申請義務化に関する制度案内
法務省 所有不動産記録証明制度に関する制度案内
国税庁 相続を放棄した人が生命保険金を受け取ったとき
民法第915条、第921条、第939条、第940条