銀行のATMが減り続けています。
キャッシュレス決済やインターネットバンキングの普及によって、現金を引き出す機会が減少しているためです。
銀行にとって、利用者の少ないATMを維持することは大きな負担になります。
しかし、高齢者や地方の住民にとって、ATMは生活を支える重要な金融インフラです。
世界有数のキャッシュレス先進国であるシンガポールでは、ATMの削減が進んだ一方、高齢化への対応として現金を引き出せる拠点を拡充する方針が示されました。
この動きは、日本の銀行が進める店舗やATMの統廃合について、改めて考えるきっかけになります。
銀行の経営効率化と国民の金融サービスへのアクセスを、どのように両立させればよいのでしょうか。
ATM削減が進む背景
ATMの削減が進む最大の理由は、現金の利用機会が減少していることです。
給与や年金は銀行口座に振り込まれ、買い物ではクレジットカードや電子マネー、QRコード決済などが利用されています。
公共料金や通信費も口座振替やカード決済で支払うことができます。
銀行の窓口に行かなくても、スマートフォンから振り込みや残高確認ができるようになりました。
こうした変化によって、ATMの利用件数は減少しています。
シンガポールでは、2024年のATM設置台数が2,506台となり、2018年のピークから22%減少しました。
また、2015年から2024年までの間に、ATMでの現金引き出し件数は30%以上減少しています。
利用者が減少すれば、銀行がATMの設置場所や台数を見直すことは自然な経営判断です。
しかし、ATMの利用件数だけで必要性を判断してよいのかという問題が残ります。
ATMの維持には多額の費用がかかる
ATMは、設置すれば終わりという設備ではありません。
機器の導入費用に加えて、設置場所の賃料、通信費、電気代、保守点検費用などが発生します。
現金を補充したり、回収したりするための費用も必要です。
さらに、現金輸送時の警備や機器の故障対応、システムの安全対策などにも費用がかかります。
ATMの利用件数が減少しても、こうした固定的な費用が同じ割合で減るわけではありません。
そのため、利用者の少ないATMほど、1件当たりの運営費用が高くなる傾向があります。
銀行は預金者から預かった資金を安全に管理し、持続可能な経営を維持する責任があります。
採算性を無視して全てのATMを維持することは、必ずしも合理的ではありません。
一方で、ATMには単純な収益性だけでは評価できない社会的な役割があります。
ATMは地域の生活インフラでもある
ATMの役割を考える際には、銀行側の費用だけでなく、利用者側の負担にも注目する必要があります。
例えば、徒歩5分の場所にあったATMが撤去され、最寄りのATMまでバスで30分かかるようになった場合を考えてみます。
自家用車を利用できる人にとっては、大きな問題ではないかもしれません。
しかし、運転免許証を返納した高齢者にとっては、現金を引き出すこと自体が負担になります。
バスの運行本数が少ない地域では、ATMを利用するために半日近く必要になる場合もあるでしょう。
交通費が発生することもあります。
仮に往復の交通費が600円で、月に2回ATMを利用するとすれば、年間の交通費は14,400円になります。
現金を引き出すためだけに、これだけの費用を負担することになります。
ATMの削減によって銀行の費用が減っても、その負担が地域住民に移転する可能性があるのです。
銀行の経営効率化を考える際には、社会全体の費用という視点も必要になります。
シンガポールが示した500メートルという目標
シンガポールの三大銀行は、2027年末までに公団住宅であるHDBの全てについて、500メートル以内に現金を引き出せる拠点を設ける方針を示しました。
HDBには国民の約8割が暮らしています。
この取り組みで注目されるのは、ATMの台数ではなく、住民が現金にアクセスできる距離を重視していることです。
銀行にとって重要なのは、必ずしもATMを増やすことではありません。
住民が日常生活のなかで現金を引き出せる環境を確保することです。
そのため、銀行の支店やATMだけでなく、スーパーやコンビニエンスストアなども活用します。
この考え方は、金融インフラの整備を考えるうえで参考になります。
ただし、500メートルという距離は、人口密度が高く都市機能が集約されたシンガポールの事情を踏まえた目標です。
日本の地方で同じ基準を一律に適用することは現実的ではありません。
地域の人口密度や公共交通機関の状況などに応じた基準が必要になります。
日本の地方銀行が直面する難題
日本では人口減少と高齢化が同時に進んでいます。
地方銀行や信用金庫などの地域金融機関は、人口減少による顧客基盤の縮小に直面しています。
店舗やATMを維持する費用が経営上の負担になる一方、地域住民からは金融サービスの維持を求められます。
特に地方では、銀行店舗の統廃合が地域の生活環境に大きな影響を与える場合があります。
銀行が撤退すると、現金の引き出しだけでなく、振り込みや各種相談なども不便になります。
高齢者のなかには、インターネットバンキングを利用していない人もいます。
また、銀行の職員との対面でのやり取りを重視する人もいます。
金融機関が地域から撤退することは、単なる店舗数の減少ではありません。
地域住民が金融サービスを利用する機会そのものが減少する可能性があるのです。
コンビニATMは解決策になるのか
銀行のATMを維持する代わりに、コンビニATMを活用する方法があります。
日本ではコンビニATMが広く普及しており、複数の金融機関のキャッシュカードを利用できます。
銀行が独自にATMを設置する場合と比べて、設備を共同利用できる利点があります。
しかし、コンビニATMだけで全ての問題が解決するわけではありません。
第一に、コンビニが少ない地域では利用できる場所が限られます。
第二に、利用する金融機関や時間帯によって手数料が発生する場合があります。
第三に、現金の引き出しや預け入れ以外の手続きには対応できない場合があります。
特に高齢者にとっては、ATMの操作方法や手数料の仕組みが分かりやすいことも重要です。
銀行とコンビニの連携を進める場合には、設置場所だけでなく、利用条件や手数料にも配慮する必要があります。
スーパーのレジを現金拠点にする発想
シンガポールでは、スーパーやコンビニのレジで銀行口座から現金を引き出せる仕組みの拡充が検討されています。
これは、銀行の専用設備に依存せず、既存の小売店舗を金融インフラとして活用する考え方です。
例えば、日常の買い物の際に、銀行口座から5,000円を引き出せる仕組みがあれば、ATMに立ち寄る必要がなくなります。
銀行にとっては、専用ATMの設置費用を抑えられる可能性があります。
小売店にとっても、来店機会の増加につながることが期待できます。
ただし、導入には課題があります。
店舗側が現金を十分に保有する必要があり、現金管理や防犯対策の負担も増えます。
銀行口座との連携、本人確認、システム障害への対応なども必要です。
また、日本で導入する場合には、サービスの仕組みに応じた法令上の整理が欠かせません。
既存の小売店舗を活用することは有力な選択肢ですが、銀行と店舗の双方にとって持続可能な制度設計が求められます。
ATM削減の判断基準を変える必要がある
今後の銀行経営では、ATMの利用件数だけで撤去を判断する方法を見直す必要があるでしょう。
例えば、次のような要素を総合的に評価することが考えられます。
第一に、周辺地域の高齢化率です。
高齢者の割合が高い地域では、現金への依存度が相対的に高い可能性があります。
第二に、最寄りの代替ATMまでの距離です。
徒歩圏内に別のATMがある地域と、数キロメートル離れた場所にしかない地域では、撤去の影響が異なります。
第三に、公共交通機関の状況です。
自家用車を利用できない住民が多い地域では、ATMへの移動手段が重要になります。
第四に、現金以外の金融サービスへのアクセスです。
スマートフォンやインターネットを利用しにくい住民が多い場合には、対面サービスを維持する必要性も高まります。
第五に、災害時の金融サービスの継続性です。
停電や通信障害が発生した場合でも、地域住民が生活に必要な資金を確保できる仕組みが求められます。
こうした要素を踏まえ、ATMの撤去による社会的な影響を評価することが重要です。
銀行だけに負担を求めることにも限界がある
ATMの維持には公共的な役割がありますが、その費用を全て銀行に負担させることには限界があります。
銀行も民間企業であり、健全な経営を維持する必要があるためです。
そこで考えられるのが、地域全体で金融インフラを支える仕組みです。
例えば、複数の金融機関が共同でATMを運営する方法があります。
郵便局やコンビニなどの既存施設を活用することも考えられます。
また、自治体が地域住民の金融アクセスの状況を把握し、金融機関との協議を進めることも重要です。
ただし、公的な支援を行う場合には、必要性や費用対効果を十分に検証する必要があります。
利用者の少ない設備を無条件に維持するのではなく、地域住民が必要な金融サービスを利用できることを目標にするべきでしょう。
銀行、自治体、小売事業者などが役割を分担することが、持続可能な金融インフラの構築につながります。
人生100年時代には金融アクセスの確保が不可欠
人生100年時代には、退職後も数十年間にわたって金融サービスを利用することになります。
年金の受け取り、生活費の支払い、医療費や介護費の支出など、銀行口座と現金は日常生活に深く関係しています。
60代ではスマートフォンを問題なく利用できても、80代や90代になったときに同じように操作できるとは限りません。
そのため、金融サービスの利用方法を複数確保しておくことが重要です。
日常的にはキャッシュレス決済を利用しながら、必要なときには現金を引き出せる環境が望まれます。
また、銀行口座を選ぶ際には、金利や手数料だけでなく、将来の利用しやすさも考慮する必要があります。
自宅の近くに利用可能なATMがあるか、窓口で相談できるか、家族による適切な支援が可能かといった点も重要です。
金融機関の選択は、老後の生活設計の一部になっているのです。
結論
ATMの削減は、キャッシュレス化が進む社会では避けられない面があります。
利用者が減少するなかで、全てのATMを従来どおり維持することは現実的ではありません。
しかし、銀行の経営効率化だけを優先すれば、高齢者や地方の住民が金融サービスを利用しにくくなる可能性があります。
シンガポールの取り組みが示しているのは、ATMの台数ではなく、現金へのアクセスを確保することの重要性です。
日本でも、銀行店舗やATMの削減を進める際には、地域住民の生活への影響を十分に考慮する必要があります。
銀行、自治体、小売事業者などが連携し、現金を必要とする人が無理なく利用できる仕組みを構築することが求められます。
ATM削減がどこまで許されるのかという問いに、全国共通の数字で答えることは難しいでしょう。
重要なのは、ATMを何台残すかではなく、誰もが必要なときに自分のお金を利用できるかどうかです。
金融の効率化と生活の安心を両立させることが、高齢社会における銀行経営の重要な課題ではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月17日 デジタル先進国で「現金回帰」 高齢社会のシンガポール
シンガポール銀行協会 2026年6月 高齢社会への対応に関する行動指針
国際通貨基金 金融アクセス調査
金融庁 金融行政方針
日本銀行 決済システムに関する公表資料