政府が企業の設備投資や研究開発を促すため、新しい税制優遇を作ったとします。
制度が始まった当初は、特定の政策目的を実現するための一時的な支援策だったかもしれません。
ところが制度が長く続くと、それを利用する企業にとって税制優遇があることが当たり前になっていきます。
そして政府が制度を廃止しようとすると、
税負担が増える
投資計画に影響する
競争力が低下する
などとして反対する企業や業界が出てきます。
このように、すでに得ている利益や権利を維持しようとする状態を考えるときに重要になるのが「既得権」です。
日本版DOGEで租税特別措置を見直す際にも、この既得権の問題を避けて通ることはできません。
既得権とは何か
既得権とは、すでに獲得している権利や利益のことです。
税制優遇の場合、一定の条件を満たした企業が通常より軽い税負担を受けていることがあります。
例えば通常なら法人税を1億円支払う企業が、ある税額控除によって8000万円の負担で済んでいるとします。
企業にとって2000万円の税負担軽減は実際の経済的利益です。
制度が1年だけなら一時的な支援と考えやすいでしょう。
しかし10年、20年と続けば、企業はその税負担を前提に事業計画や投資判断をするようになる可能性があります。
すると本来は特別措置だったものが、企業にとって通常の状態に変わっていきます。
優遇廃止が増税のように見える
既得権の問題を理解するには、制度を廃止する側と利用する側の見え方の違いが重要です。
政府から見ると、税制優遇の廃止は、
特別扱いを終了して通常の税制へ戻す
ということです。
ところが利用企業から見ると、
今まで8000万円だった税金が1億円になる
ということになります。
つまり2000万円の負担増です。
企業にとっては実質的な増税と同じように感じられるでしょう。
このため制度を作るときよりも、廃止するときの方が強い反発が起こりやすくなります。
受益者とは何か
政策によって利益を受ける人や企業を受益者といいます。
税制優遇であれば、その制度を利用して税負担を軽減できる企業や個人が受益者です。
例えば1000社だけが利用できる税制優遇によって、年間100億円の税収が減っているとします。
単純化すれば、1000社に100億円の利益が集中していることになります。
1社当たりでは平均1000万円です。
企業にとって1000万円は無視できない金額でしょう。
そのため制度の廃止が議論されれば、継続を求める強い動機が生まれます。
負担する側は誰なのか
税制優遇によって政府の税収が減れば、その影響は財政全体に及びます。
例えば100億円の税収が減れば、
別の税金で補う
政府支出を減らす
国債を発行する
といった対応が必要になる可能性があります。
つまり税制優遇のコストは、最終的には広い範囲の国民に関係します。
しかし、一人ひとりが負担している金額は見えにくくなります。
100億円という財政負担が社会全体へ広く分散されれば、個々の国民が、
この租特を廃止してほしい
と強く主張する動機は小さくなりやすいでしょう。
利益が集中し負担が分散する
既得権を理解するうえで重要なのが、
利益は少数に集中する
負担は多数に分散する
という構造です。
例えば1000社に合計100億円の税制優遇があるとします。
利用企業には1社平均1000万円の利益があります。
一方、100億円の財政負担が社会全体に広く分散されているとすれば、一人ひとりがその制度によって負担している金額は見えにくくなります。
制度を維持したい1000社には強い動機があります。
しかし制度を廃止したい一般の納税者には、個別の租特について調べて反対運動をするほどの直接的な動機が生まれにくくなります。
この非対称性が制度を残りやすくします。
業界団体が継続を求める理由
税制優遇が特定の業界に関係していれば、業界団体などが制度の延長を求めることがあります。
個々の企業が別々に意見を出すより、業界全体として政府に要望した方が効率的だからです。
制度廃止によって設備投資が減る可能性や、国際競争力への影響などを説明し、継続を求めることもあります。
もちろん、その主張が政策的に正しい場合もあります。
重要なのは、
継続を求める側は組織化されやすい
という点です。
一方、その租特による税収減を負担する納税者全体が、一つの制度について組織的に廃止を求めることは簡単ではありません。
長く続くほど既得権化しやすい
制度が長く続けば続くほど、既得権化しやすくなります。
例えば設備投資減税が20年間続いているとします。
企業は長期的な投資計画の中に、その税制を織り込んでいる可能性があります。
金融機関や投資家も、企業の税負担を予測するときに制度の存在を前提としているかもしれません。
この状態で制度を廃止すれば、多くの企業の計画に影響します。
その結果、
今さら廃止できない
という議論が生まれます。
一時的な政策として始めた制度でも、時間の経過によって終了が難しくなるわけです。
政策効果がなくても残る可能性がある
既得権化で問題になるのは、制度の政策効果と継続の力が必ずしも一致しないことです。
例えば設備投資を増やすための税制優遇があったとします。
実際に検証すると、減税がなくてもほとんどの企業が同じ設備投資をしていたことが分かったとします。
政策効果だけを考えれば、制度を縮小したり廃止したりする余地があります。
しかし企業にとっては税負担が軽くなる制度です。
政策効果が小さくても、利用企業が継続を求める動機はなくなりません。
だからこそ租特の見直しでは、利用者の要望だけではなく客観的な政策評価が必要になります。
既得権があるから廃止すべきとは限らない
ここで注意したいのは、
利用企業が継続を求めているから悪い制度
というわけではないことです。
税制優遇によって研究開発や設備投資が大きく増え、社会全体に十分な利益をもたらしているのであれば、制度を継続する合理性があります。
重要なのは、
誰が制度を支持しているか
ではなく、
制度の政策効果が財政負担に見合っているか
です。
既得権の問題は、制度を一律に廃止する理由ではありません。
政策効果とは別の力によって制度が残る可能性があるため、客観的な検証が必要だという問題です。
日本版DOGEで改革が難しくなる理由
参考記事では、日本版DOGEによる点検で約120件の税制優遇が対象となったものの、2027年度税制改正要望で廃止を求めたのは3件でした。
ここにも既得権の問題が関係します。
多くの企業が利用する大規模な租特を廃止すれば、強い反対が出る可能性があります。
反対に、誰も利用していない制度であれば廃止への反発は小さくなります。
そのため、
廃止しやすい制度ほど利用者が少なく財源効果も小さい
という状況が生じやすくなります。
参考記事で、金額を把握できる範囲で3件の廃止による財源が年間約10万円にとどまったことは、この問題を象徴しています。
大きな財源を作るほど改革は難しくなる
日本版DOGEが大きな財源を生み出そうとすれば、利用実績の乏しい小規模な租特だけでは足りません。
参考記事では、法人税関係の租税特別措置による減収額は2024年度に約3.2兆円とされています。
この中から大きな財源を生み出そうとすれば、利用企業が多い制度にも踏み込む必要があります。
しかし利用企業が多ければ、それだけ制度廃止による影響も広がります。
財源効果が大きい制度ほど政治的、経済的な調整が難しくなる可能性があります。
日本版DOGEが本当に問われるのは、廃止しやすい小さな制度を整理した後です。
結論
既得権とは、すでに獲得している権利や利益のことです。
税制優遇が長期間続けば、利用企業はその制度を前提として経営や投資を行うようになり、制度の継続を強く求めるようになります。
税制優遇では特に、
利益が特定の企業や業界に集中する一方、税収減という負担は社会全体に分散する
という構造が生じます。
そのため制度を維持したい側には強い動機がある一方、廃止を求める側の力は弱くなりやすくなります。
ただし既得権が存在するからといって、その制度を廃止すべきとは限りません。
本当に重要なのは、制度による政策効果が財政負担に見合っているかです。
日本版DOGEが本格的な租特改革を進めるのであれば、利用者の少ない制度を整理するだけでなく、多くの受益者が存在する大規模な税制優遇についても客観的な政策効果を検証する必要があります。
制度を続けたい人が多いことと、その制度を続ける政策的な価値が高いことは同じではありません。
この二つを分けて考えることが、既得権に左右されない税制改革の出発点になります。
参考
日本経済新聞 2026年9月4日朝刊「日本版DOGE、税優遇廃止は3件どまり 財源捻出、年10万円」