会社員が退職すると、勤務先から退職金が支給されることがあります。
退職金には給与や賞与とは異なる税金の計算方法が設けられており、一定の場合には所得税だけでなく住民税も退職時に精算されます。
その際、退職金を支払う会社側にもさまざまな税務手続きが必要です。
その一つが退職所得の特別徴収票です。
生命保険協会は令和9年度税制改正要望で、事務負荷が増大する退職所得の特別徴収票について、市町村長への月次提出ではなく年次での提出を可能にすることを求めています。
退職する本人から見るとあまり意識することのない書類ですが、企業の給与、退職金実務では重要な手続きです。
今回は、退職所得の源泉徴収から特別徴収票の役割、企業の事務負担、生命保険協会が提出方法の見直しを求める背景まで整理します。
退職金は給与とは別に税金を計算する
退職金は、長年の勤務に対する報償や退職後の生活保障という性格があります。
そのため、毎月の給与と同じ方法で所得税を計算すると、退職した年だけ所得が大きくなり、税負担が重くなる可能性があります。
そこで所得税では、退職金について退職所得という独立した所得区分を設けています。
一般的な退職所得は
退職金から退職所得控除額を差し引き、一定の場合にはその残額の2分の1を退職所得とする
という考え方で計算します。
ただし、勤続年数や役員等としての勤続期間などによって2分の1課税を利用できない場合などがあります。
退職金なら必ず同じ計算になるわけではありません。
退職所得控除とは何か
退職所得の計算で重要なのが退職所得控除です。
一般的には勤続年数に応じて控除額が大きくなる仕組みになっています。
勤続年数が20年以下の場合は
40万円×勤続年数
が基本です。
最低額は80万円です。
勤続年数が20年を超える場合には
800万円+70万円×20年を超える勤続年数
が基本となります。
例えば勤続30年であれば
800万円+70万円×10年=1500万円
となります。
長期間勤務した人ほど大きな控除を受けられる仕組みになっています。
退職所得の源泉徴収とは何か
会社が退職金を支払う場合には、一定のルールに従って所得税等を源泉徴収します。
退職する人が勤務先へ退職所得の受給に関する申告書を提出している場合には、会社側で勤続年数や退職所得控除などを考慮して税額を計算します。
そのため、適切に手続きが行われていれば、退職所得については退職金を受け取る段階で課税関係が完結するケースが多くなります。
一方、必要な申告書を提出していない場合には、支給額に対して一定の税率で所得税等が源泉徴収されることになります。
この場合には、確定申告によって精算することが考えられます。
住民税も退職時に徴収される
退職所得については、住民税にも通常の給与所得とは異なる仕組みがあります。
給与に対する住民税では、前年の所得をもとに計算した税額を翌年度に納める仕組みが基本です。
これに対して退職所得に対する住民税は、原則として退職金が支払われる際に計算され、支払者が特別徴収します。
会社は退職金から住民税を差し引き、市町村へ納入することになります。
退職金を支払う会社には、所得税の源泉徴収だけでなく、住民税についても事務手続きが発生します。
退職所得の特別徴収票とは何か
退職所得の特別徴収票は、退職金の支払いとそれに伴う税務情報を記録、報告するための重要な書類です。
退職手当等の支払金額や勤続年数、税額など、退職所得の課税に必要となる情報が記載されます。
退職金を受け取る本人にとっても、自分がどの程度の退職金を受け取り、どのような税額が計算されたのかを確認するための資料となります。
また、行政側にとっては退職所得に対する課税を適切に把握するための情報となります。
退職金を支払えば終わりではなく、その後の報告まで含めて会社側の税務実務となります。
なぜ市町村への提出が必要なのか
住民税は地方税です。
そのため、退職所得についても市町村が必要な課税情報を把握する必要があります。
会社は退職金を支給すると同時に、住民税を特別徴収する立場にもなります。
そのため
誰に
いくらの退職金を支払い
どの程度の税額を徴収したのか
といった情報を行政側へ適切に伝える仕組みが必要です。
退職所得の特別徴収票などの書類は、こうした退職所得課税を支える情報基盤の一つといえます。
なぜ企業の事務負担が問題になるのか
一人分だけを見れば、それほど大きな事務ではないように感じるかもしれません。
しかし、多数の従業員を抱える企業では事情が異なります。
定年退職だけでなく、中途退職も年間を通じて発生します。
退職者が発生するたびに
退職金額の確定
勤続期間の確認
退職所得控除の確認
所得税等の計算
住民税の計算
必要書類の作成
行政への提出
といった作業が必要になります。
提出頻度が高くなれば、人事や給与、税務を担当する部署の事務負担も増加します。
生命保険協会が問題としているのが、この提出事務です。
月次提出から年次提出への見直しを要望
生命保険協会は令和9年度税制改正要望で、事務負荷が増大する退職所得の特別徴収票について、市町村長への提出を年次で行えるようにすることを求めています。
ポイントは、退職所得に対する課税制度そのものをなくしてほしいという要望ではないことです。
必要な税務情報は行政へ提出する一方、その提出頻度を見直して企業の事務負担を軽減するという考え方です。
月ごとに提出する事務を一定期間分まとめて処理できれば、企業側の事務を効率化できる可能性があります。
税制改正というと税率や控除額に注目しがちですが、企業の申告や報告方法を簡素化することも重要な税制改正です。
デジタル化しても事務負担がなくなるとは限らない
税務行政では電子化が進んでいます。
紙で作成して郵送していた手続きが電子提出できるようになれば、確かに一定の効率化が期待できます。
しかし、電子化したからといって企業側の事務負担がすべてなくなるわけではありません。
提出するためには、元となるデータを作成し、内容を確認し、期限を管理する必要があります。
提出頻度そのものが高ければ、電子化されても担当者の業務は残ります。
そのため、税務行政のデジタル化では
紙を電子に置き換える
だけでなく
そもそも何回提出する必要があるのか
という業務プロセスそのものを見直すことも重要です。
退職所得をめぐる事務は今後さらに重要になる
働き方が多様化する中で、退職は必ずしも60歳や65歳の定年時だけに発生するものではありません。
転職や再就職が一般的になれば、一人の人が生涯に複数回退職金を受け取るケースも増える可能性があります。
さらに、退職一時金だけでなく
確定給付企業年金
企業型確定拠出年金
iDeCo
など複数の老後資産形成制度を利用する人も増えています。
退職所得課税では、こうした複数の退職給付の関係を適切に把握する必要があります。
行政が必要な情報を確保することと、企業や金融機関の事務負担を抑えることを両立させる制度設計が求められます。
税制改正では事務コストにも注目したい
税制について議論するときには
税率を上げるのか
控除を増やすのか
減税するのか
という金額面が注目されます。
しかし、税制にはもう一つ重要なコストがあります。
制度に対応するための事務コストです。
企業は税金そのものを負担するだけでなく、税額を計算し、書類を作成し、行政へ報告するための人員やシステムを用意しています。
制度が複雑になれば、そのコストも増加します。
税務行政を効率化するには、税額だけではなく納税者や企業が制度に対応するために必要な時間や費用まで考える必要があります。
今回の生命保険協会の要望は、そうした税務手続きのコストに焦点を当てたものといえます。
結論
退職所得の特別徴収票は、退職金の支払いに伴う税務情報を記録、報告するための重要な書類です。
退職金には給与とは異なる退職所得課税が適用され、会社は一定の場合に所得税等を源泉徴収するとともに、住民税についても特別徴収を行います。
そのため、退職金を支払う企業には税額計算だけでなく、さまざまな報告事務が発生します。
生命保険協会は令和9年度税制改正要望で、事務負荷が増大する退職所得の特別徴収票について、市町村長への月次の提出を年次で行えるようにすることを求めています。
これは退職所得課税をなくすという話ではありません。
行政に必要な情報を提供しながら、提出頻度を見直すことで企業の事務負担を軽減しようという要望です。
税制改正では、生命保険料控除や相続税の非課税枠といった税負担そのものに関する制度が注目されます。
しかし、制度を実際に動かす企業の事務負担をどこまで減らせるかも重要です。
税務行政のデジタル化が進むこれからは、書類を電子化するだけではなく、提出頻度や手続きそのものを見直すことが、税務実務の効率化につながっていくでしょう。
参考
税のしるべ 2026年8月3日 生保協会が9年度税制改正で要望、子育て世帯に対する生命保険料控除拡充の恒久化を