転職活動は、現在の勤務先を辞めることを決めてから始めるものだと考えている人は少なくありません。
しかし、最近では、今すぐ転職するつもりがなくても、求人情報を調べたり、転職サイトに登録したりする人が増えています。
こうした人々は「ゆる転職層」と呼ばれています。
総務省の労働力調査によると、2026年4月から6月期の転職等希望者数は969万人に達しました。2020年同期と比較して約20%増加しています。
一方、実際の転職者数は325万人と、2020年同期から大きく変わっていません。
つまり、転職に関心を持つ人は増えているものの、実際に勤務先を変更する人はそれほど増えていないのです。
この背景には、AIの普及による雇用環境の変化や、現在の勤務先より良い条件の企業を見つけることの難しさがあります。
ただし、転職活動をしても転職しないことは、必ずしも無駄ではありません。
むしろ、現在の勤務先で働き続けながら自分の市場価値を確認することは、将来のキャリア形成に役立つ可能性があります。
今回は、転職を前提としない情報収集の方法と、特に50代以降の専門職が自分の市場価値を把握するための考え方について解説します。
転職活動の目的が変わり始めている
従来の転職活動では、現在の勤務先に不満があることや、給与を増やしたいことなどが主な動機でした。
そのため、転職活動を始めることは、現在の会社を辞める準備を意味する場合が多かったと考えられます。
しかし、最近では転職活動の目的が多様化しています。
例えば、現在の給与が同業他社と比較して高いのか低いのかを確認したい人がいます。
自分の専門知識や経験が、他社でも通用するのかを知りたい人もいます。
さらに、AIの普及によって将来の仕事がどう変わるのかを調べるため、求人情報を確認する人も増えています。
こうした活動は、必ずしも転職を前提としていません。
むしろ、現在の勤務先で働き続けることが合理的かどうかを判断するための情報収集といえます。
転職活動は、会社を辞めるための手段から、自分のキャリアを点検する手段へと変化しつつあるのです。
市場価値は現在の年収だけでは判断できない
自分の市場価値を考える際、最も分かりやすい指標は年収です。
例えば、現在の年収が800万円で、他社から1,000万円の条件を提示された場合、市場価値が高いと感じるかもしれません。
しかし、年収だけで市場価値を判断することは適切ではありません。
企業が支払う給与には、本人の専門能力だけでなく、企業規模、業績、給与制度、勤務地、役職などが影響します。
同じ能力を持つ人でも、大企業と中小企業では給与水準が異なる場合があります。
また、現在の勤務先で高い給与を受け取っていても、社外では同じ水準の給与を得られないことがあります。
これは、長年の勤務によって形成された社内での評価と、外部の労働市場における評価が必ずしも一致しないためです。
例えば、年収1,200万円の管理職が転職市場で評価を受けた結果、提示される年収が800万円程度になる場合も考えられます。
反対に、現在の年収が600万円でも、専門性の高い人材であれば、より高い条件を提示される可能性があります。
市場価値を知るためには、現在の年収と外部で提示される条件を区別して考える必要があります。
転職サイトは労働市場を知る情報源になる
転職サイトは、転職先を探すためだけのものではありません。
どのような企業が人材を求めているのか、どのような能力が評価されているのかを確認する情報源としても利用できます。
例えば、経理職の求人情報を調べる場合を考えてみます。
従来は、月次決算、年次決算、税務申告、連結決算などの経験が重視されてきました。
最近では、これらに加えて、会計システムの導入、業務効率化、データ分析、内部統制などの経験を求める求人も見られます。
求人情報を継続的に確認することで、企業が求める能力の変化を把握できます。
また、給与水準だけでなく、勤務地、勤務時間、在宅勤務の可否、定年制度などを比較することも重要です。
ただし、求人広告に記載された年収は、必ずしも自分が実際に受け取れる金額ではありません。
募集条件と採用時の提示条件には違いが生じる場合があります。
求人情報は市場価値を判断するための参考資料であり、それだけで自分の評価が確定するわけではないことに注意が必要です。
スカウトサービスで外部からの評価を確認する
転職市場では、企業や人材紹介会社が求職者に直接連絡するスカウト型のサービスが普及しています。
こうしたサービスを利用すると、職務経歴や専門分野に関心を持った企業から連絡を受ける可能性があります。
例えば、経理部長の経験がある人に対して、別の企業から管理部門の責任者としての打診が届くことがあります。
税務や金融の専門知識を持つ人には、専門職やアドバイザーとしての求人が紹介される場合もあります。
スカウトを通じて、これまで考えていなかった職種や業界で自分の経験が評価されることもあるでしょう。
ただし、スカウトが届いたからといって、採用が保証されているわけではありません。
多くの候補者に一斉送信される案内もあり、職務経歴を十分に確認せず送られている場合もあります。
そのため、スカウトの件数だけで市場価値を判断することは適切ではありません。
重要なのは、具体的な職務内容、役職、給与水準、求められる経験などを確認することです。
自分の専門性がどのような企業で必要とされているのかを知ることが、スカウトサービスを利用する大きな意味になります。
カジュアル面談で企業の実態を知る
最近では、正式な採用面接の前に、企業と求職者が情報交換するカジュアル面談が広がっています。
カジュアル面談は、応募するかどうかを決める前に、仕事内容や職場環境について確認する機会です。
例えば、求人情報に経理部門の責任者と記載されていても、実際には経理だけでなく、人事、総務、法務などを幅広く担当する場合があります。
また、管理職として採用されても、部下の人数や決裁権限が現在の勤務先と大きく異なることがあります。
こうした情報は、求人広告だけでは十分に把握できません。
カジュアル面談を通じて、企業が抱える課題や期待する役割を確認することが重要です。
ただし、カジュアル面談という名称であっても、企業側が候補者の経験や適性を確認している場合があります。
正式な選考ではないからといって、準備が不要というわけではありません。
また、現在の勤務先の機密情報や顧客情報を話さないよう注意する必要があります。
50代以降は専門性の整理が重要になる
50代以降の転職市場では、若手社員とは異なる評価が行われることがあります。
企業が50代以上の人材を採用する場合、これまでの経験を生かして、具体的な課題を解決することを期待する場合があるためです。
例えば、経理部門で30年間勤務したという経歴だけでは、外部の企業に自分の強みが十分に伝わらないことがあります。
それよりも、連結決算の導入、税務調査への対応、資金繰りの改善、内部統制の整備など、具体的な経験を示すことが重要です。
管理職経験についても同様です。
部下が何人いたかという情報だけでなく、どのような組織課題を解決したのか、どの程度の成果を上げたのかを説明できることが望ましいでしょう。
例えば、決算業務の効率化によって決算日程を5日短縮した経験があれば、企業にとって分かりやすい実績になります。
50代以降の市場価値は、勤続年数や役職名だけでなく、再現可能な専門能力によって評価されると考えられます。
現在の給与が高い人ほど慎重な判断が必要
50代以降で高い給与水準を維持している人の場合、転職による経済的な損失にも注意する必要があります。
例えば、現在の年収が1,200万円で、65歳まで同じ給与水準で働ける人を考えてみます。
60歳時点で年収800万円の企業へ転職すると、年間の給与差は400万円になります。
単純計算では、5年間で2,000万円の差が生じます。
実際には税金や社会保険料の違いがあるため、手取り収入の差はこの金額とは一致しません。
さらに、退職金制度や企業年金、福利厚生などの違いも考慮する必要があります。
転職先で役職が上がったとしても、生涯の経済的利益が減少する可能性があります。
一方、現在の勤務先での雇用継続が不確実な場合や、健康面で負担が大きい場合には、給与以外の要素を重視することも合理的です。
重要なのは、転職による利益と不利益を総合的に比較することです。
ゆる転職によって外部の条件を把握しておけば、現在の勤務先にとどまる判断にも客観的な根拠を持たせることができます。
独立開業を考える人にも市場調査は役立つ
ゆる転職の考え方は、将来の独立開業にも応用できます。
例えば、経理、税務、金融などの分野で長年勤務してきた人が、定年後にコンサルティング業務を始めたいと考える場合です。
独立後にどのような相談需要があるのか、企業がどのような専門能力を求めているのかを把握しておくことは重要です。
転職市場で専門人材の求人が多い分野は、企業がその能力を必要としていることを示す一つの材料になります。
ただし、企業が従業員として採用したいと考えることと、外部の専門家に報酬を支払って相談したいと考えることは同じではありません。
そのため、転職市場の調査に加えて、外部委託や専門相談に対する需要も確認する必要があります。
また、独立開業には営業活動、契約管理、資金繰り、税務処理など、会社員とは異なる能力が求められます。
現在の勤務先で安定した収入を得ながら、将来の事業内容を研究することは、開業後のリスクを抑えるための準備になります。
ただし、副業禁止規定や守秘義務がある場合には、在職中の活動範囲を慎重に判断する必要があります。
市場価値は定期的に確認することが重要
自分の市場価値は、一度確認すれば十分というものではありません。
企業が求める能力は、景気や技術革新、産業構造の変化によって変わります。
例えば、数年前には高く評価されていた業務経験が、AIの普及によって相対的に重要性を失う可能性があります。
反対に、AIを活用した業務改革やデータ分析の経験が、新たに評価される場合もあります。
そのため、年に1回程度、求人情報や給与水準を確認し、自分の専門能力を点検することには意味があります。
確認する際には、現在の年収と外部の給与水準だけでなく、求められる資格、経験、デジタル技術、働き方なども比較するとよいでしょう。
自分に不足している能力が分かれば、現在の勤務先で経験を積んだり、学習を進めたりすることができます。
転職活動を通じて得た情報を、現在の仕事に生かすことも可能です。
ゆる転職は、転職するためだけでなく、働き続けるための能力を高める活動にもなるのです。
結論
転職活動は、必ずしも現在の勤務先を辞めるために行うものではありません。
転職サイトへの登録、求人情報の確認、スカウトサービス、カジュアル面談などを通じて、自分の市場価値を把握することにも意味があります。
特にAIの普及によって仕事内容が変化する時代には、現在の専門能力が将来も評価されるのかを定期的に確認することが重要です。
50代以降の人材にとっては、長年の実務経験を整理し、社外でも通用する専門能力を明確にすることが求められます。
また、現在の勤務先で高い給与水準を維持できる場合には、転職による経済的な損失も慎重に検討する必要があります。
外部の労働市場を調べた結果、現在の勤務先にとどまることが最も合理的だと判断できる場合もあるでしょう。
それは、転職活動が失敗したことを意味しません。
自分の市場価値を理解したうえで、現在の仕事を続けるという選択ができたことに意味があります。
人生100年時代には、60歳や65歳になってからも働き方を見直す機会が訪れます。
そのときに初めて将来を考えるのではなく、現役時代から選択肢を準備しておくことが重要です。
転職するかどうかよりも、自分の意思で働き方を選択できる状態を維持することが、これからのキャリア形成の基本になると考えます。
参考
日本経済新聞 2026年10月21日 ゆる転職層広がる 焦らず慎重に検討、AI時代の変化に備え
総務省 2026年 労働力調査 2026年4月から6月期平均
リクルートワークス研究所 転職活動と転職実現率に関する調査
マイナビキャリアリサーチラボ 転職希望者の働き方に関する調査