国税庁の税務調査は、限られた人員と予算の中で、より効果的な調査を実施する方向へと変化しています。
2026年10月26日付の「税のしるべ」に掲載された高橋俊一国税庁課税部長へのインタビューでは、調査必要度に応じた最適な接触方法を選択し、調査必要性が高い納税者に重点的に対応する方針が示されました。
この考え方は、リスク・ベース・アプローチと呼ばれています。
すべての納税者に同じような調査を実施するのではなく、申告内容や各種情報を分析し、必要性に応じて調査方法や行政資源の配分を判断するものです。
AIやデータ分析の活用、KSK2による情報管理の高度化も、こうした方針を支える重要な取組です。
今後の税務調査では、調査件数だけでなく、対象選定の精度や調査内容の充実が一層重要になると考えられます。
企業や個人事業主にとっても、税務調査の考え方を理解し、日常の経理・税務管理を適切に行うことが重要です。
リスク・ベース・アプローチとは何か
リスク・ベース・アプローチとは、問題が発生する可能性や影響の大きさなどを踏まえ、限られた資源を重点的に配分する考え方です。
金融機関のリスク管理、内部監査、企業の内部統制など、さまざまな分野で活用されています。
税務行政では、申告漏れなどのリスクを分析し、調査の必要性が高い事案に重点的に対応することを意味します。
日本の税制は、納税者が自ら所得や税額を計算し、申告・納税する申告納税制度を基本としています。
この制度を適切に機能させるためには、納税者の自主的な申告を尊重するとともに、申告内容に問題がある場合には適切に対応する必要があります。
しかし、すべての納税者に対して実地調査を行うことは現実的ではありません。
そのため、税務当局には、調査が必要な事案を適切に選定し、効率的に対応することが求められます。
リスク・ベース・アプローチは、こうした課題に対応するための重要な考え方です。
税務調査の件数だけでは成果を測れない
税務調査の実績を考える際には、調査件数が注目されることがあります。
しかし、調査件数が多ければ、それだけ税務行政が効果的に運営されているとは限りません。
調査の必要性が低い事案に多くの時間を費やせば、より重要な事案への対応が十分にできなくなる可能性があります。
また、税務調査は納税者にとっても負担を伴います。
帳簿や証憑の準備、取引内容の説明、担当者による対応など、企業や個人事業主には一定の時間と労力が必要です。
そのため、調査の必要性を適切に判断することは、税務当局の効率化だけでなく、納税者の負担軽減にも関係します。
今後は、調査件数という量的な指標だけでなく、対象選定の適切性や調査の実効性といった質的な側面も重要になります。
ただし、国税庁が調査件数を評価しなくなると表明したわけではありません。
重要なのは、調査の量と質を適切に組み合わせ、限られた行政資源を有効に活用することです。
調査必要度に応じた接触方法の選択
高橋課税部長は、調査必要度に応じた最適な接触方法を選択する方針を示しています。
税務当局が納税者に接触する方法には、実地調査のほか、行政指導による申告内容の確認などがあります。
例えば、申告書に記載漏れや計算誤りが疑われる事項がある場合、内容によっては、納税者に確認を求めることで対応できることがあります。
一方、取引の実態や帳簿の内容を詳しく確認する必要がある場合には、実地調査が必要になることもあります。
このように、確認すべき事項の内容や重要性に応じて、適切な方法を選択することが重要です。
ただし、具体的な接触方法は個別の事情によって異なります。
また、行政指導と税務調査では、法的な位置付けや手続が異なるため、その違いを理解しておく必要があります。
税務調査と行政指導の違い
税務当局から申告内容について問い合わせがあった場合、それが税務調査なのか行政指導なのかを確認することが重要です。
税務調査は、課税標準や税額などを確認するため、法令に基づいて実施されるものです。
質問検査権に基づく調査では、一定の要件の下で、帳簿書類の提示や説明などが求められます。
一方、行政指導は、納税者の自主的な申告内容の見直しなどを促すために行われるものです。
行政指導そのものは、質問検査権の行使とは異なります。
国税庁は、納税者に接触する際には、原則として税務調査と行政指導のいずれに該当するかを明示する取扱いを示しています。
納税者としては、連絡を受けた際に、その目的や法的な位置付けを確認することが大切です。
また、行政指導によって自主的に修正申告を行う場合と、税務調査に基づいて修正申告を行う場合とでは、加算税の取扱いが異なることがあります。
ただし、行政指導の名目で連絡を受けた場合でも、調査通知や更正を予知したかどうかなど、具体的な事情によって判断が必要になることがあります。
修正申告を行う際には、事実関係と手続の状況を確認することが重要です。
AIとデータ分析が支える調査対象の選定
リスク・ベース・アプローチを実現するうえで、AIやデータ分析は重要な役割を果たします。
国税庁では、過去の税務調査の結果、申告・決算情報、法定調書などを利用し、申告漏れのリスクを予測するモデルを構築しています。
この予測モデルでは、申告漏れの可能性をスコア化し、調査対象の選定などに活用しています。
職員は、予測モデルの判定結果と各種保有資料を併せて検討し、調査の必要性を判断します。
重要なのは、AIが調査対象を自動的に決定するわけではないことです。
事業内容や取引の特殊性など、数値だけでは把握できない事情も存在します。
例えば、企業が新規事業に進出した場合には、先行投資によって利益率が低下することがあります。
また、取引先の倒産や災害などによって、一時的に大きな損失が発生することもあります。
こうした事情を踏まえずに数値だけで判断することは適切ではありません。
AIによる分析と職員の専門的な判断を組み合わせることが重要です。
調査必要性が高い事案への深度ある調査
国税庁は、調査必要性が高い納税者に対して、深度ある調査を実施する方針を示しています。
深度ある調査とは、単に調査期間を長くすることではありません。
課税上の問題が疑われる事項について、必要な資料や取引の実態を十分に確認することが重要になります。
例えば、複雑な取引関係が存在する場合には、契約内容、資金の流れ、取引の経済的な合理性などを確認する必要があります。
また、関連会社との取引や海外取引などでは、通常の国内取引とは異なる税務上の論点が生じることがあります。
ただし、特定の取引形態が存在することだけで、不適正な申告と判断されるわけではありません。
税務上の問題の有無は、法令と具体的な事実関係に基づいて判断されます。
企業にとって重要なのは、取引内容を正確に記録し、必要な資料を適切に保存しておくことです。
納税者の負担軽減との両立
税務調査の高度化では、適正・公平な課税の実現とともに、納税者の負担軽減も重要です。
適正に申告している納税者に対して、不必要な確認や調査が繰り返されれば、事業活動に支障が生じる可能性があります。
一方、申告漏れのリスクが高い事案に十分な対応ができなければ、税負担の公平性が損なわれます。
そのため、調査必要性に応じた対応を行うことには、双方の課題を改善する意義があります。
ただし、データ分析が高度化したからといって、適正な申告を行っている納税者が調査対象にならなくなるわけではありません。
税務調査の対象選定には、さまざまな要素が関係します。
重要なのは、調査が実施される場合にも、納税者の権利に配慮し、法令に基づく適切な手続が行われることです。
企業が整備すべき税務調査への対応体制
税務調査の高度化に対応するためには、企業の日常的な経理・税務管理が重要になります。
特に中小企業では、経理担当者が限られていることも多く、税務調査の際に必要な資料を短期間で準備することが難しい場合があります。
そのため、日頃から帳簿や証憑を適切に管理しておくことが望まれます。
具体的には、次のような取組が考えられます。
- 売上や仕入、経費について正確な記帳を行うこと
- 契約書、請求書、領収書などを適切に保存すること
- 重要な取引について税務上の判断根拠を記録すること
- 法人税、消費税、源泉所得税などの申告情報の整合性を確認すること
- 前年度から大きく変動した数値について理由を把握すること
これらは、税務調査の対象にならないための対策ではありません。
適正な申告を行い、必要な場合に取引内容を合理的に説明できるようにするための基本的な管理です。
税務調査を受けた場合の基本的な対応
税務調査の連絡を受けた場合には、まず調査の目的や対象税目、対象期間などを確認することが重要です。
実地調査では、原則として事前通知が行われますが、法令上の要件に該当する場合には、事前通知を行わずに調査が実施されることもあります。
調査に際しては、帳簿や証憑など、必要な資料を適切に準備します。
また、質問に対しては、事実関係を正確に説明することが重要です。
不明な事項について、その場で推測による回答をする必要はありません。
必要な資料を確認したうえで、正確に回答することが望まれます。
税理士が関与している場合には、調査の連絡を受けた段階から相談し、適切な対応を検討することも有効です。
税務調査は、納税者と税務当局の間で事実関係や税務上の取扱いを確認する手続です。
必要以上に恐れるのではなく、法令に基づいて冷静に対応することが大切です。
税理士に求められる調査前のリスク管理
税務調査の対象選定が高度化する中で、税理士の役割も変化していくと考えられます。
従来から税理士は、申告書の作成や税務相談、税務調査への対応などを行ってきました。
今後は、税務調査が始まる前の段階で、企業の税務リスクを把握し、適切な対応を助言することが一層重要になります。
例えば、申告内容に大きな変動がある場合には、その理由を確認し、必要な資料を整備することが考えられます。
また、複数の税目に関係する取引について、税務上の取扱いに問題がないかを検討することも重要です。
税務調査への対応は、調査当日の説明だけで完結するものではありません。
日常の経理処理や申告書作成の段階から、適切な税務判断を積み重ねることが重要です。
結論
国税庁の税務調査は、リスク・ベース・アプローチによって、調査必要性に応じた重点的な対応へと進んでいます。
AIやデータ分析を活用して申告漏れのリスクを把握し、必要性の高い事案に行政資源を配分することが基本的な方向性です。
その結果、税務調査では、件数だけでなく、対象選定の精度や調査内容の充実が一層重要になると考えられます。
一方、納税者にとっては、適正・公平な課税の実現とともに、不必要な事務負担の軽減も期待されます。
ただし、AIによる分析が進んでも、税務上の判断には個別の事実関係の確認が不可欠です。
企業や個人事業主に求められるのは、税務調査を避けるための特別な対策ではありません。
正確な記帳、適切な申告、証憑の保存、取引内容の説明可能性を確保することです。
税務調査の高度化が進むほど、日常の経理・税務管理の重要性は高まります。
リスク・ベース・アプローチの時代においても、適正な申告を支える基本的な管理体制を整えることが、最も重要な対応になります。
参考
税のしるべ 2026年10月26日「令和8年国税庁の幹部に聞く/課税部長・高橋 俊一」
国税庁「税務行政のデジタル・トランスフォーメーション―税務行政の将来像2023―」(2023年6月)
国税庁「税務調査手続に関するFAQ(一般納税者向け)」