給与が毎月変わるパート労働者にとって、標準報酬月額と実際の給与とのずれは大きな問題になることがあります。
それなら、毎月実際に支払われた給与に保険料率を掛けて社会保険料を計算すればよいのではないか。
そう考えるのは自然です。
現在のように4月から6月の給与を基準として、その後の社会保険料を決める必要があるのかという疑問です。
この仕組みを理解するには、標準報酬制度が作られた時代までさかのぼる必要があります。
参考記事によると、現在につながる仕組みは1922年に制定された健康保険法で制度化されました。
約100年前には、給与計算や事務処理を簡単にすることに大きな意味があったのです。
標準報酬月額は給与を等級に分ける仕組み
現在の健康保険や厚生年金では、実際の給与そのものではなく標準報酬月額を使って保険料を計算します。
例えば毎月の給与が少しずつ違っていても、それぞれを一定の等級に当てはめます。
その等級に対応する標準報酬月額を基準として保険料を計算します。
そのため給与が数千円変わっても、同じ等級の範囲であれば社会保険料は基本的に変わりません。
毎月の給与の細かな変動をそのまま保険料へ反映させない仕組みです。
約100年前には計算を簡単にする意味が大きかった
標準報酬の仕組みが制度化されたのは、現在のようにパソコンや給与計算ソフトが存在しない時代です。
参考記事では、1922年の健康保険法によって標準報酬の仕組みが制度化されたことが紹介されています。
当時は給与データをコンピューターで自動処理することはできません。
毎月の実際の給与に応じて、すべての加入者の保険料を細かく計算し直すことには大きな事務負担がありました。
そこで給与を一定の等級に分け、一定期間同じ標準報酬を使う仕組みには合理性がありました。
毎月保険料が変わらないメリットもある
標準報酬月額には、現在でも一定のメリットがあります。
毎月の残業時間が少し変わるたびに健康保険料や厚生年金保険料まで変化すると、給与計算は複雑になります。
従業員にとっても、毎月いくら社会保険料が差し引かれるのか予測しにくくなります。
標準報酬月額を一定期間固定すれば、給与が多少変動しても社会保険料は安定します。
企業側も毎月すべての従業員について新しい保険料を計算し直す必要がありません。
制度を安定して運営するという意味では、現在でも利点があります。
問題は働き方が変わったこと
一方、標準報酬制度が作られた時代と現在では働き方が大きく変化しています。
現在では時給制のパートやアルバイトが数多く働いています。
勤務時間が毎月変わる人もいます。
繁忙期と閑散期で給与が大きく違う人もいます。
複数の仕事を組み合わせて働く人もいます。
こうした働き方では、特定の期間の給与を基準として一定期間同じ標準報酬月額を使う方法が、実際の収入を十分に反映しない場合があります。
4月から6月だけ給与が高い人には不利になりやすい
現在の定時決定では、原則として4月から6月に支払われた報酬をもとに標準報酬月額を決めます。
参考記事では、この3カ月の平均月収が約50万円で、それ以外の時期は平均約28万円というパート労働者の事例が紹介されています。
4月から6月だけ仕事が多いにもかかわらず、その高い給与を基準とした社会保険料がその後も続くことになります。
記事では、実際の給与水準に合わせて計算した場合と比べ、社会保険料を月3万円以上多く支払う計算になるとしています。
計算を簡単にするための制度が、給与変動の大きな人にとっては負担のずれを生むことがあります。
反対に4月から6月だけ給与を下げることもできる
同じ仕組みには反対方向の問題もあります。
4月から6月の勤務時間を意図的に減らし、この期間の給与を低くすれば、その後の標準報酬月額も低くなる可能性があります。
年間では多く働いているのに、社会保険料の基準だけが低くなるケースが考えられます。
参考記事では、こうした社会保険料逃れの可能性も指摘されています。
つまり、特定の3カ月を基準とする仕組みは、ある人には負担を重くし、別の人には負担を低くする余地を生みます。
負担の公平性という点からも課題があります。
毎月の実際の給与で計算する方法にも課題はある
それでは、標準報酬月額をなくして毎月の実際の給与から社会保険料を計算すれば、すべて解決するのでしょうか。
そう単純でもありません。
毎月の給与が変われば、社会保険料も毎月変わります。
残業が多い月は保険料が増え、勤務時間が少ない月は保険料が減ることになります。
給与計算を行う企業の事務処理も増える可能性があります。
給与の訂正や遡及支給があった場合に、社会保険料をどのように調整するのかという問題もあります。
現在の標準報酬制度には、こうした細かな変動を吸収する役割もあります。
100年前と違ってデジタル技術がある
ただし、現在と1922年には決定的な違いがあります。
コンピューターがあります。
給与計算ソフトがあります。
電子申請があります。
マイナンバーなどのデジタル基盤も整備されてきました。
約100年前には膨大な事務作業になった計算でも、現在ならシステムで処理できる可能性があります。
そのため、標準報酬制度を作った当時の事務負担を、そのまま現在の制度を維持する理由にできるのかという議論が出てきます。
日本商工会議所も見直しを求めている
参考記事によると、日本商工会議所は2024年の年金制度に関する提言で、標準報酬月額の仕組みの見直しを求めています。
マイナンバーなどを活用し、実際に支払われた給与に基づいて合理的に保険料を計算し、届け出る仕組みを検討する考え方です。
社会保険料の計算方法を変えるには、企業の給与計算や行政システムなど幅広い仕組みを変更する必要があります。
それでも、デジタル化によって約100年前には難しかった制度設計が可能になりつつあります。
制度を残すかなくすかだけではない
標準報酬月額の見直しは、現在の制度を完全に廃止するか、そのまま維持するかという2択とは限りません。
例えば実際の給与とのずれが大きい場合だけ調整しやすくする方法も考えられます。
年間の給与をより反映する仕組みを広げる方法もあります。
デジタル技術によって随時改定を迅速にする方法も考えられます。
重要なのは、事務負担を抑えるという標準報酬制度のメリットを残しながら、実際の給与との大きなずれを減らせるかということです。
結論
標準報酬月額の仕組みは、1922年に制定された健康保険法で制度化されました。
コンピューターのない時代には、給与を一定の等級に分け、一定期間同じ金額を使って社会保険料を計算することに大きな意味がありました。
現在でも社会保険料を安定させ、企業の事務負担を抑えるメリットがあります。
一方、パートなど給与が毎月変動する働き方が増え、実際の給与と標準報酬月額とのずれが問題になっています。
さらに現在では給与計算のデジタル化やマイナンバーなど、約100年前には存在しなかった仕組みがあります。
社会保険料の計算方法についても、デジタル時代に合わせて見直せる余地があります。
そこで次に考えたいのが、マイナンバーなどを利用すれば、実際の給与を社会保険料へもっと早く反映できるのかという問題です。
次は、社会保険料計算のデジタル化について見ていきます。
参考
日本経済新聞 2026年9月25日朝刊 パートの社会保険料ひずみ 給与変動、反映間に合わず 経済団体、制度見直し要望