現金を使う自由は社会保障の一部になるのか

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キャッシュレス決済が普及するなかで、現金を使う自由をどこまで保障するべきなのでしょうか。

スマートフォンやクレジットカードを利用すれば、現金を持ち歩かなくても買い物ができる時代になりました。

銀行もデジタル化を進め、店舗やATMの削減によって経営効率を高めようとしています。

しかし、全ての人がキャッシュレス決済を利用できるわけではありません。

高齢者や障害のある人、経済的に余裕のない人などにとって、現金は日常生活を維持するための重要な決済手段です。

世界有数のデジタル先進国であるシンガポールでは、キャッシュレス化を進めながら、現金を引き出せる拠点の拡充に乗り出しました。

この動きは、現金へのアクセスを単なる銀行サービスではなく、社会全体で考えるべき課題として捉える必要性を示しています。

現金を使う自由は、社会保障の一部として考えるべきなのでしょうか。

現金は単なる決済手段ではない

現金には、商品やサービスの代金を支払うという基本的な役割があります。

しかし、その役割は単なる決済手段にとどまりません。

現金は、銀行口座やスマートフォンを利用しなくても、一定の条件のもとで支払いができる手段です。

例えば、スマートフォンを持っていない人でも、現金があれば日常の買い物をすることができます。

銀行アプリの操作が難しい高齢者も、紙幣や硬貨を使って支払いができます。

また、通信障害や停電によってデジタル決済が利用できない場合にも、現金が役立つことがあります。

このように現金は、金融サービスへのアクセスが限られる人にとって、生活を維持するための重要な役割を果たしています。

キャッシュレス化が進んでも、現金の社会的な価値が完全になくなるわけではありません。

金融包摂という考え方

現金へのアクセスを考えるうえで重要なのが、金融包摂という考え方です。

金融包摂とは、年齢や所得、居住地域などにかかわらず、必要な金融サービスを利用できる環境を整えることです。

銀行口座を開設できることだけが金融包摂ではありません。

預金を安全に管理し、必要なときに現金を引き出し、日常生活の支払いを行えることも重要です。

例えば、銀行口座に100万円の預金があっても、現金を引き出せる場所が遠く、スマートフォンによる決済も利用できなければ、生活に支障が生じる可能性があります。

形式的には金融サービスを利用できても、実際には十分に利用できない状況が生じるのです。

金融包摂では、サービスが存在することだけでなく、利用者が実際に利用できることが重要になります。

シンガポールの現金拠点拡充は、こうした考え方に沿った取り組みといえるでしょう。

高齢者にとって現金は生活の安心につながる

高齢社会では、現金の役割が改めて注目されます。

シンガポールでは、65歳以上の国民の割合が2016年の13%余りから2026年には20%を超えました。

急速な高齢化によって、金融サービスに求められる条件も変化しています。

高齢者のなかには、スマートフォンの操作や銀行アプリの利用に不安を感じる人がいます。

特に視力や手指の動き、認知機能などに変化が生じると、デジタル決済の利用が難しくなる場合があります。

現金であれば、手元にある金額を確認しながら支払いができます。

長年慣れ親しんだ方法で買い物ができることは、高齢者の安心感につながります。

もちろん、高齢者の全てが現金を好むわけではありません。

デジタル決済を積極的に利用する高齢者もいます。

重要なのは、年齢によって決済方法を一律に決めるのではなく、本人が利用しやすい手段を選べることです。

現金を使えない社会で困るのは誰か

仮に、社会のほとんどの店舗がキャッシュレス決済だけに対応するようになった場合を考えてみます。

スマートフォンやクレジットカードを利用できる人にとっては、大きな問題にならないかもしれません。

しかし、現金しか利用できない人は、買い物をする場所が限られることになります。

例えば、銀行口座や決済サービスの利用に制約がある人が考えられます。

また、スマートフォンの購入費用や通信料金を負担することが難しい人もいます。

障害や身体機能の変化によって、デジタル機器の操作が難しい人もいるでしょう。

こうした人々が生活必需品を購入できなくなる状況は、社会全体で考える必要があります。

決済手段の選択肢が減少することによって、生活の自由が制限される可能性があるためです。

現金を利用できる環境の維持は、社会的な公平性にも関係する問題なのです。

現金を使う自由は法律で保障されているのか

日本では、日本銀行券は日本銀行法によって法貨として無制限に通用すると定められています。

また、硬貨については、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律によって、額面価格の20倍までを限度として法貨として通用するとされています。

ただし、法貨としての通用力があることと、全ての店舗があらゆる取引で現金を受け入れる義務を負うことは同じではありません。

例えば、契約を成立させる前に、事業者がキャッシュレス決済のみを受け付ける条件を明示する場合があります。

取引条件や契約内容によって、現金での支払いを求められるかどうかは異なります。

したがって、日本で現金を使う自由があらゆる場面で無条件に保障されているわけではありません。

また、現金へのアクセスを確保することが、現行法上、直ちに社会保障上の権利として位置付けられているわけでもありません。

現金利用の法的な位置付けと、社会政策として現金へのアクセスを確保する必要性は、区別して考えることが重要です。

現金アクセスを社会保障の視点から考える

社会保障は、病気や高齢、障害、失業などによって生活上の困難が生じた場合に、国民の生活を支える仕組みです。

年金や医療保険、介護保険、生活保護などが代表的です。

一方、現金へのアクセスの確保は、一般にこれらの社会保障制度とは異なる政策分野に位置付けられます。

しかし、生活を維持するために必要な金融サービスという観点では、社会保障と密接に関係しています。

例えば、公的年金が銀行口座に振り込まれても、本人が必要な資金を引き出せなければ、生活費の支払いに支障が生じます。

生活保護などの給付を受けている人についても、支給された資金を実際に利用できることが重要です。

つまり、給付制度を整備するだけでは十分ではありません。

受け取った資金を生活のために利用できる環境も必要になります。

この意味で、現金アクセスの確保は、社会保障制度の実効性を支える基盤の一つと考えることができます。

ただし、それを社会保障制度そのものに組み込むべきかどうかについては、制度の目的や費用負担などを含めた議論が必要です。

銀行の公共性と経営効率化の関係

銀行は民間企業であり、健全な経営を維持する必要があります。

利用者が減少している店舗やATMを統廃合することには、経営上の合理性があります。

しかし、銀行は預金や決済を通じて社会の経済活動を支える重要な役割も担っています。

特に地方では、銀行店舗やATMが地域住民の生活を支える金融インフラになっています。

銀行が店舗を閉鎖した結果、地域住民が現金を引き出せなくなる場合には、社会的な影響が生じます。

一方で、銀行に全ての店舗やATMの維持を義務付ければ、経営負担が大きくなる可能性があります。

その費用が手数料の引き上げなどを通じて、他の利用者に転嫁されることも考えられます。

したがって、銀行の公共性を重視することと、全ての店舗を維持することは同じではありません。

重要なのは、必要な金融サービスを持続可能な方法で提供することです。

現金アクセスの費用は誰が負担するのか

現金へのアクセスを社会全体で確保する場合には、費用負担の問題を避けて通れません。

ATMの設置や維持には、機器の費用、通信費、警備費用、現金輸送費用などがかかります。

利用者が少ない地域では、1件当たりの運営費用が高くなる傾向があります。

これらの費用を銀行だけが負担する方法には限界があります。

一方、利用者に全ての費用を負担させれば、現金を必要とする高齢者などの負担が大きくなる可能性があります。

そこで考えられるのが、複数の金融機関によるATMの共同運営です。

また、コンビニやスーパー、郵便局などの既存施設を活用する方法もあります。

地域の事情によっては、自治体が金融機関との協議や拠点整備を支援することも考えられます。

ただし、公的資金を投入する場合には、必要性や費用対効果を検証することが欠かせません。

現金アクセスの確保は重要ですが、無制限に費用をかけられるわけではないためです。

シンガポールの取り組みが示す新しい方向性

シンガポールの三大銀行は、2027年末までに公団住宅であるHDBの全てについて、500メートル以内に現金を引き出せる拠点を設ける方針を示しています。

この取り組みで重要なのは、現金へのアクセスを具体的な距離で考えていることです。

銀行店舗やATMの数を増やすこと自体が目的ではありません。

住民が生活圏のなかで現金を利用できる環境を整えることが目標です。

また、スーパーやコンビニなどの小売店舗を活用することで、銀行の専用設備に依存しない仕組みを目指しています。

この考え方は、日本でも参考になります。

ただし、シンガポールと日本では人口密度や地理的条件が異なります。

日本では都市部と地方の格差が大きく、全国一律の距離基準を設定することは難しいでしょう。

地域の高齢化率や交通事情などを踏まえた対応が必要です。

現金を使う自由とデジタル化は両立できる

現金アクセスを確保することは、キャッシュレス化を否定するものではありません。

キャッシュレス決済には、支払いの迅速化や現金管理費用の削減など、多くの利点があります。

利用履歴を確認しやすく、家計管理にも役立ちます。

また、現金を持ち歩く必要がないため、紛失や盗難のリスクを抑えられる場合があります。

一方、現金には、通信ネットワークに依存せずに支払いができるという利点があります。

高齢者やデジタル機器の操作が難しい人にとっても、重要な決済手段です。

両者にはそれぞれ長所と短所があります。

したがって、どちらか一方に統一するのではなく、利用者が選択できる環境を維持することが重要です。

社会全体としてはデジタル化を進めながら、必要な人が現金を利用できる仕組みを残すことが望まれます。

人生100年時代の金融アクセスをどう守るか

人生100年時代には、金融サービスを利用する期間が長くなります。

60代では問題なくスマートフォンを使えていても、80代や90代になって同じように利用できるとは限りません。

身体機能や認知機能の変化によって、金融サービスの利用方法を見直す必要が生じる場合があります。

また、配偶者との死別や単身生活への移行によって、家族からの支援を受けにくくなることもあります。

そのため、現役時代から複数の決済手段を確保しておくことが重要です。

日常の買い物ではキャッシュレス決済を利用しながら、必要なときには現金を引き出せる環境を維持することが考えられます。

銀行口座を選ぶ際にも、金利や手数料だけでなく、ATMや相談窓口の利用しやすさを確認する必要があります。

さらに、将来の判断能力の低下に備え、財産管理や家族による支援の方法を検討しておくことも大切です。

金融アクセスの確保は、老後の生活設計の重要な要素なのです。

結論

現金を使う自由は、現行制度上、あらゆる場面で保障された無条件の権利ではありません。

また、現金アクセスの確保が、そのまま社会保障制度に位置付けられているわけでもありません。

しかし、現金を利用できる環境は、高齢者や障害のある人などが日常生活を維持するうえで重要な役割を果たしています。

年金や生活保護などの給付を受けても、その資金を実際に利用できなければ、制度の目的を十分に達成できません。

この意味で、現金へのアクセスは社会保障の実効性を支える生活インフラの一つと考えられます。

シンガポールの取り組みは、キャッシュレス化を進めながら、現金を必要とする人を取り残さない方向性を示しています。

日本でも、銀行の経営効率化と国民の金融アクセスを両立させる仕組みが必要です。

現金を使う自由を守ることは、単に昔ながらの支払い方法を残すことではありません。

年齢や身体的な条件、経済状況にかかわらず、誰もが自分のお金を安心して利用できる社会を維持することです。

人生100年時代の金融政策では、現金へのアクセスを社会全体の課題として考える必要があるのではないでしょうか。

参考

日本経済新聞 2026年10月17日 デジタル先進国で「現金回帰」 高齢社会のシンガポール

シンガポール銀行協会 2026年6月 高齢社会への対応に関する行動指針

日本銀行法 第46条

通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律 第7条

金融庁 金融行政方針

内閣府 高齢社会白書

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