最低賃金の引上げが続くなか、中小企業にとって賃金管理の重要性が一段と高まっています。
2026年度の最低賃金は、全国加重平均で56円の引上げとなりました。人手不足や物価上昇が続くなか、賃上げは従業員の生活を支えるだけでなく、人材の確保や定着にも欠かせない経営課題となっています。
一方で、最低賃金の引上げに十分対応できていない中小企業も少なくありません。
日本商工会議所と東京商工会議所が実施した調査では、2026年度の最低賃金引上げについて、対象となる企業の45.1%が、引上げ後の最低賃金を下回る従業員がいると回答しました。
これは、調査時点で新しい最低賃金への対応が必要な企業の割合を示したものであり、45.1%の企業が実際に最低賃金法に違反していたという意味ではありません。
しかし、最低賃金の引上げが多くの中小企業に直接的な影響を及ぼしていることは明らかです。
重要なのは、単に最低賃金を下回る従業員の給与を引き上げることではありません。賃金制度全体を点検し、生産性向上や価格転嫁と組み合わせながら、持続可能な賃上げを実現することです。
最低賃金はすべての従業員について確認が必要
最低賃金には、都道府県ごとに定められる地域別最低賃金と、特定の産業に適用される特定(産業別)最低賃金があります。
地域別最低賃金は、原則としてその地域の事業場で働くすべての労働者に適用されます。
正社員だけでなく、パート、アルバイト、契約社員なども対象です。
また、時給制の従業員だけでなく、日給制や月給制の従業員についても最低賃金を満たしているか確認する必要があります。
複数の都道府県に事業場がある企業では、それぞれの所在地に適用される最低賃金を確認しなければなりません。
さらに、最低賃金の改定日は全国一律ではありません。
都道府県によって発効日が異なるため、給与の支払日ではなく、新しい最低賃金が適用される労働日を基準として給与計算を行うことが重要です。
月給制でも最低賃金違反が発生する可能性
最低賃金の確認で特に注意したいのが、月給制の従業員です。
月給が一定額以上であっても、最低賃金の計算対象とならない手当が含まれている場合には、最低賃金を下回る可能性があります。
例えば、次の条件を考えます。
- 月給25万円
- 年間所定労働日数240日
- 1日の所定労働時間8時間
- 月給に通勤手当2万円、家族手当1万円、固定残業代3万円を含む
年間所定労働時間は1,920時間です。
これを12か月で割ると、月平均所定労働時間は160時間となります。
月給25万円をそのまま160時間で割れば、時間額は1,562.5円です。
しかし、最低賃金の計算では、通勤手当、家族手当、時間外労働に対する賃金などを除外する必要があります。
したがって、比較対象となる月額賃金は19万円です。
19万円を160時間で割ると、時間額は1,187.5円となります。
仮に適用される最低賃金が1,200円であれば、月給25万円を支給していても最低賃金を下回ります。
このように、給与の総支給額だけで最低賃金への適合を判断することはできません。
最低賃金の計算から除外する賃金
最低賃金の対象となる賃金は、原則として毎月支払われる基本的な賃金です。
一方、次の賃金は最低賃金の計算から除外されます。
- 臨時に支払われる賃金
- 1か月を超える期間ごとに支払われる賃金
- 所定労働時間を超える労働に対する賃金
- 所定労働日以外の労働に対する賃金
- 深夜労働に対する通常の賃金を超える部分
- 精皆勤手当、通勤手当、家族手当
注意したいのは、手当の名称だけで判断しないことです。
職務手当、役割手当、資格手当などは、通常の労働時間に対して毎月支払われるものであれば、最低賃金の対象に含まれる場合があります。
逆に、名称が基本給に近いものであっても、実質的に時間外労働の対価であれば、最低賃金の比較対象には含められません。
賃金規程と給与明細を照合し、それぞれの手当の支給目的と実態を確認する必要があります。
最低賃金違反が判明した場合の対応
最低賃金を下回る従業員が見つかった場合には、将来の賃金を引き上げるだけでは不十分です。
まず、いつから不足していたのかを確認し、対象期間と不足額を計算する必要があります。
例えば、最低賃金との差額が1時間50円で、1日8時間、月20日勤務している場合、1人当たりの不足額は月8,000円です。
対象者が10人であれば月8万円、年間では96万円になります。
不足額が少額でも、対象者が多く、期間が長ければ、企業全体の負担は大きくなります。
地域別最低賃金に違反した場合には、最低賃金法に基づき50万円以下の罰金の対象となる可能性もあります。
また、従業員との信頼関係にも影響します。
法律で定められた最低限の賃金が支払われていなかったという事実は、従業員の会社に対する不信感につながりかねません。
そのため、違反が判明した場合には、不足額の精算だけでなく、給与計算の仕組みや賃金規程の見直し、再発防止策の整備が重要です。
最低賃金付近の従業員との賃金格差
最低賃金の引上げは、最低賃金を下回る従業員だけの問題ではありません。
例えば、従来の時給が1,100円だった従業員を1,150円に引き上げる一方、経験豊富な従業員の時給が1,200円のままであれば、両者の賃金差は100円から50円に縮小します。
この状態が続くと、経験や能力、責任に見合った賃金が支払われていないという不満が生じる可能性があります。
最低賃金の引上げを契機として、職務内容、経験年数、能力、責任などに応じた賃金体系を見直すことが必要です。
単に最低賃金に合わせて給与を修正するのではなく、従業員全体の賃金バランスを確認することが、人材の定着につながります。
社会保険の適用拡大と人件費負担
最低賃金の引上げと併せて確認したいのが、短時間労働者に対する社会保険の適用拡大です。
2025年の年金制度改正法により、いわゆる106万円の壁に関係する賃金要件の撤廃や、企業規模要件の段階的な縮小が進められています。
企業規模要件については、2027年10月から36人以上、2029年10月から21人以上、2032年10月から11人以上、2035年10月からは企業規模要件が撤廃される予定です。
これにより、これまで社会保険の加入対象ではなかったパート・アルバイト従業員についても、勤務時間などの要件を満たせば加入対象となる可能性があります。
社会保険への加入は、従業員の保障を充実させる一方、企業にとっては社会保険料の事業主負担が増えることを意味します。
最低賃金の引上げによる給与負担と社会保険料の増加を一体として試算し、中長期的な人件費計画を作成することが重要です。
パート・有期雇用労働者の待遇改善
2026年10月からは、パート・有期雇用労働者に関するルールの見直しにも対応が求められています。
最低賃金の引上げに伴い、パート従業員の基本給を引き上げる場合には、正社員との待遇差についても確認する必要があります。
基本給だけでなく、賞与、各種手当、福利厚生、教育訓練などについて、不合理な待遇差がないか点検することが重要です。
待遇差がある場合には、その理由を職務内容、責任の程度、人材活用の仕組みなどに照らして説明できるようにしておく必要があります。
最低賃金の改定は、雇用形態ごとの待遇を見直す機会でもあります。
賃上げを支援する助成金・補助金
中小企業が継続的な賃上げを実現するためには、公的な支援制度の活用も有効です。
代表的な制度として、業務改善助成金、キャリアアップ助成金、中小企業省力化投資補助金があります。
業務改善助成金は、生産性向上につながる設備投資などと、事業場内最低賃金の引上げを組み合わせて支援する制度です。
キャリアアップ助成金は、非正規雇用労働者の正社員化や賃金規定の改定などを支援する制度です。
中小企業省力化投資補助金は、IoTやロボットなどのデジタル技術を活用した設備導入を通じて、省力化や生産性向上を支援するものです。
ただし、助成金や補助金には、それぞれ対象要件や申請期限があります。
特に、交付決定前に設備投資や賃上げを実施すると対象外になる制度もあるため、事前の確認が欠かせません。
支援制度は単なる人件費補填ではなく、生産性を高めるための投資と組み合わせて活用することが重要です。
賃上げを持続させる価格転嫁
最低賃金の引上げに対応するためには、給与計算や助成金の活用だけでは限界があります。
人件費の上昇を企業がすべて吸収し続ければ、利益が減少し、将来の設備投資や人材育成にも影響します。
そこで重要になるのが、適切な価格転嫁です。
価格交渉では、単に最低賃金が上がったことを説明するだけでは十分ではありません。
賃金上昇による年間人件費の増加額、社会保険料の事業主負担、原材料費やエネルギー費の上昇などを具体的に把握し、取引先に説明する必要があります。
例えば、従業員20人について時給を50円引き上げ、1人当たり年間1,800時間働く場合、年間の賃金増加額は180万円です。
さらに社会保険料の事業主負担などが増える場合には、その金額も含めて価格改定の必要性を検討します。
このように、数値に基づいて価格転嫁の必要性を説明することが、取引先との建設的な交渉につながります。
価格交渉に困った場合には、公的な相談窓口を活用することも選択肢となります。
最低賃金の引上げを経営改革につなげる
最低賃金の引上げは、中小企業にとって負担である一方、業務の見直しを進める契機にもなります。
例えば、手作業で行っている入力業務を自動化する、受発注管理をシステム化する、AIやRPAを活用して定型業務を削減するなどの取組みが考えられます。
これらの取組みによって生まれた時間を、営業活動、顧客対応、商品開発、人材育成など、より付加価値の高い業務に振り向けることができます。
賃上げを持続させるためには、単に人件費を抑えるのではなく、従業員1人当たりの付加価値を高めることが必要です。
経営者、経理担当者、人事労務担当者が連携し、賃金管理と経営改善を一体として進めることが求められます。
結論
最低賃金の引上げは、企業にとって単なる給与改定の問題ではありません。
最低賃金法への適合、賃金制度の公平性、社会保険料の負担、助成金の活用、価格転嫁、生産性向上など、経営全体に関わる課題です。
特に中小企業では、月給制の従業員について最低賃金の対象となる賃金を正しく計算し、地域別・特定(産業別)最低賃金と発効日を確認することが重要です。
また、最低賃金を下回る従業員がいないことを確認するだけでなく、賃金体系全体の見直しや将来の人件費負担の試算も欠かせません。
最低賃金の引上げを単なるコスト増加として捉えるのではなく、働く人の待遇改善と企業の生産性向上を両立させる経営改革の機会として活用することが、持続可能な企業経営につながります。
参考
『企業実務』2026年11月号「中小企業の4割超が割れていた……『最低賃金割れ』の点検実務と支援策」(坂本彩氏、TOMA社会保険労務士法人)
厚生労働省「最低賃金制度」「最低賃金の対象となる賃金」
厚生労働省「業務改善助成金」「キャリアアップ助成金」
中小企業庁「中小企業省力化投資補助金」
日本商工会議所・東京商工会議所「中小企業における最低賃金の影響に関する調査」