健康のためには毎日8時間眠るべきだと考えている人は少なくありません。
しかし、睡眠科学の研究が進むにつれて、必要な睡眠時間には大きな個人差があることが明らかになってきました。
筑波大学の柳沢正史教授は、必要十分な睡眠時間の個人差には遺伝的な要因が大きく関係していると説明しています。
つまり、誰もが同じ時間だけ眠ればよいわけではありません。
ある人にとって7時間の睡眠が十分であっても、別の人には8時間以上の睡眠が必要な場合があります。
反対に、比較的短い睡眠時間でも日中の活動に支障がない人も存在します。
重要なのは、一般的な平均値に自分を合わせることではなく、自分自身に必要な睡眠時間を把握することです。
人生100年時代を健康に過ごし、仕事や学習の生産性を維持するためには、自分に合った睡眠習慣を確立することが欠かせません。
成人に必要な睡眠時間の目安
厚生労働省が公表した健康づくりのための睡眠ガイド2023では、成人について、個人差を踏まえながら6時間以上を目安として必要な睡眠時間を確保することが推奨されています。
また、米国の睡眠医学会などは、成人が健康を維持するためには、日常的に7時間以上の睡眠を取ることを推奨しています。
ただし、これらは集団を対象とした研究に基づく目安です。
すべての人に当てはまる絶対的な基準ではありません。
例えば、7時間の睡眠で自然に目覚め、日中も眠気を感じず、集中力を維持できる人がいます。
一方、同じ7時間の睡眠では疲労感が残り、8時間以上眠ることで調子が良くなる人もいます。
この違いを無視して、全員が同じ睡眠時間を目指すことは合理的ではありません。
また、睡眠時間だけで健康状態を判断することも適切ではありません。
睡眠の質、規則性、日中の眠気、身体の状態などを総合的に考える必要があります。
睡眠時間は重要ですが、それだけで睡眠の良し悪しが決まるわけではないのです。
睡眠時間の個人差には遺伝が関係する
柳沢教授は、必要な睡眠時間には遺伝的な要因が大きく関係すると指摘しています。
睡眠と覚醒を制御する仕組みには、多くの遺伝子が関与していることが知られています。
睡眠時間や睡眠のタイミングには、遺伝的な特徴による違いが存在するのです。
例えば、朝早く起きることが得意な人と、夜遅い時間に活動しやすい人がいます。
これは一般に朝型、夜型と呼ばれる違いです。
朝型と夜型の傾向にも、遺伝的な要因が関係しています。
ただし、睡眠習慣は遺伝だけで決まるわけではありません。
年齢、仕事、家庭環境、光の浴び方、生活習慣なども影響します。
また、必要な睡眠時間が短いことと、夜型であることは別の問題です。
夜遅くまで起きていられるからといって、短時間睡眠に適応できるわけではありません。
自分の睡眠の特徴を理解するには、睡眠時間だけでなく、眠くなる時刻や自然に目が覚める時刻にも注目することが大切です。
短時間睡眠に適応できる人は限られている
世の中には、毎日4時間から5時間程度の睡眠でも元気に活動しているとされる人がいます。
こうした人は、ショートスリーパーと呼ばれることがあります。
実際に、生まれつき必要な睡眠時間が短い人が存在することは、遺伝学的な研究からも示されています。
しかし、真に短時間睡眠で十分な人は限られていると考えられています。
多くの場合、睡眠時間が短い人は、必要な睡眠時間が短いのではなく、慢性的な睡眠不足の状態にある可能性があります。
特に注意したいのは、睡眠不足に慣れたと感じることです。
睡眠時間を削る生活を続けていると、本人は眠気をそれほど感じなくなる場合があります。
しかし、客観的な検査では、注意力や反応速度が低下していることがあります。
つまり、短時間睡眠でも問題ないと感じていることと、実際に十分な能力を発揮できていることは同じではありません。
仕事や勉強の時間を増やすために、無理に睡眠時間を短くすることは避けるべきです。
自分に必要な睡眠時間を調べる方法
柳沢教授は、自分に必要な睡眠時間を知る方法として、目覚まし時計を使わずに眠る方法を紹介しています。
具体的には、4日間程度、自然に目が覚めるまで眠るというものです。
慢性的な睡眠不足がある場合、最初の数日は普段より長く眠ることがあります。
その後、睡眠不足がある程度回復すると、睡眠時間が短くなり、安定してくる場合があります。
安定した睡眠時間は、自分に必要な睡眠時間を考えるための参考になります。
例えば、最初の日に10時間、翌日に9時間、その後8時間程度で安定した場合、普段の睡眠時間が不足していた可能性があります。
ただし、この方法には注意点もあります。
4日間だけで医学的に必要な睡眠時間を正確に測定できるわけではありません。
また、休日に長く眠ったとしても、そのすべてが睡眠負債の回復によるものとは限りません。
生活環境や体調、睡眠障害などの影響も考えられます。
そのため、自然に眠った時間を記録する方法は、あくまで自分の睡眠習慣を見直すための一つの手段として活用することが適切です。
就寝時間を30分ずつ調整する方法
もう一つの方法は、就寝時間を少しずつ調整することです。
例えば、毎朝6時に起床する必要がある人が、普段は午後11時に就寝しているとします。
この場合、睡眠時間は最大でも7時間程度になります。
日中に眠気や疲労感がある場合には、就寝時刻を30分早めてみます。
午後10時30分に就寝し、午前6時に起床する生活です。
これを1週間程度続け、日中の状態を確認します。
それでも眠気が残る場合には、さらに30分早く就寝することを検討します。
こうして睡眠時間を調整しながら、自分に合った睡眠時間を探していきます。
ただし、就寝時刻を早めても、すぐに眠れるとは限りません。
眠気がないのに長時間ベッドに入っていると、かえって眠れないことへの不安が強まる場合もあります。
そのため、睡眠時間を増やす際には、生活リズムや自然な眠気にも配慮する必要があります。
また、日中の強い眠気が続く場合には、単純な睡眠時間不足以外の原因も考えられます。
睡眠時間だけでなく日中の状態を確認する
自分に合った睡眠時間を判断するうえで、特に重要なのが日中の状態です。
例えば、次のような点を確認するとよいでしょう。
朝、目覚まし時計が鳴る前に自然に目が覚めることがあるか。
起床後、比較的短い時間で活動を始められるか。
午前中の仕事や勉強で集中力を維持できるか。
昼食後に多少眠くなることはあっても、耐え難い眠気が頻繁に発生していないか。
休日に平日より極端に長く眠る習慣がないか。
こうした点を継続的に観察することで、自分の睡眠が十分かどうかを考える手がかりになります。
ただし、朝に自然に目覚めることだけで十分な睡眠が取れているとは判断できません。
睡眠不足が続いていても、生活習慣や体内時計の影響で同じ時刻に目覚める場合があるためです。
重要なのは、一つの指標だけで判断するのではなく、複数の情報を組み合わせることです。
睡眠記録を活用する
自分の睡眠習慣を把握するためには、睡眠記録をつける方法も有効です。
例えば、就寝時刻、起床時刻、夜間に目覚めた回数、日中の眠気などを記録します。
1日だけではなく、2週間程度継続すると、生活習慣と睡眠の関係が見えやすくなります。
最近では、スマートフォンやスマートウォッチを使って睡眠を記録することもできます。
柳沢教授が監修に協力したポケモンスリープも、睡眠習慣への関心を高める取り組みの一つです。
ゲームを楽しみながら睡眠時間を記録することで、睡眠に対する意識を高める効果が期待されます。
ただし、一般向けの睡眠計測機器には限界があります。
睡眠時間や睡眠段階の推定値が、医療機関で行う精密な検査と一致するとは限りません。
睡眠データの数字に過度にこだわることは避けるべきです。
記録は、自分の生活習慣を改善するための参考情報として活用することが望まれます。
50代以降は睡眠の変化を理解する
人生100年時代には、50代、60代、70代になっても仕事や学習を続ける人が増えていきます。
そのためには、年齢による睡眠の変化を理解することが重要です。
一般に、年齢を重ねると深い睡眠が減少し、夜間に目覚める回数が増える傾向があります。
また、若い頃より早い時間に眠くなり、朝早く目覚める人もいます。
こうした変化の一部は、加齢に伴う自然な現象です。
ただし、年齢を重ねたからといって、極端に短い睡眠時間で十分になるわけではありません。
高齢者でも、健康状態や日中の活動に応じて、必要な睡眠を確保することが大切です。
特に、早朝から仕事や勉強をする習慣がある人は、就寝時刻との関係を確認する必要があります。
例えば、午前4時30分に起床する場合、午後9時に就寝すれば、ベッドで過ごす時間は7時間30分になります。
ただし、実際に眠っている時間は、寝つくまでの時間や夜間の覚醒によって短くなります。
したがって、就寝時刻と起床時刻の差だけで、十分な睡眠時間を確保できていると判断することはできません。
早起きの習慣を維持する場合にも、日中の眠気や疲労感を確認しながら、必要に応じて生活リズムを調整することが重要です。
睡眠を生活設計の中心に置く
多くの人は、仕事、家事、趣味、勉強などの予定を決めた後に、残った時間を睡眠に充てています。
しかし、この方法では、予定が増えるほど睡眠時間が削られてしまいます。
そこで考えたいのが、必要な睡眠時間を先に確保する生活設計です。
例えば、毎朝6時に起床し、8時間の睡眠が必要な人であれば、午後10時頃までに眠れるよう生活を組み立てます。
そのうえで、仕事や家事、趣味などの時間を調整します。
これは単に睡眠を優先するということではありません。
十分な睡眠によって、起きている時間の集中力や判断力を高めるという考え方です。
特に専門職や経営者など、知識や経験を活用して働く人にとっては、活動時間の長さだけでなく、活動時間の質が重要になります。
睡眠時間を削って1時間多く働くことよりも、十分な睡眠によって翌日の仕事の質を高めることが、結果として合理的な場合もあるのです。
結論
必要な睡眠時間は、人によって異なります。
睡眠科学の研究では、睡眠時間の個人差に遺伝的な要因が大きく関係していることが示されています。
そのため、誰もが8時間眠ればよいわけでも、努力によって短時間睡眠に適応できるわけでもありません。
重要なのは、自分に必要な睡眠時間を理解し、それを継続的に確保することです。
自然に目が覚めるまで眠る方法や、就寝時刻を少しずつ調整する方法は、自分の睡眠習慣を見直す参考になります。
ただし、睡眠時間だけで判断するのではなく、日中の眠気、集中力、疲労感なども確認する必要があります。
人生100年時代には、健康を維持しながら長く働き、学び続けることが求められます。
その基盤となるのが、十分な睡眠です。
睡眠を生活の最後に残された時間ではなく、健康と生産性を支えるために最初に確保する時間として考えることが大切です。
自分に必要な睡眠時間を知ることは、自分自身の能力を最大限に発揮するための第一歩なのです。
参考
日本経済新聞 2026年10月 池上彰のSTEAM教育革新 筑波大・柳沢教授「睡眠は貯金できない」
厚生労働省 2024年 健康づくりのための睡眠ガイド2023
米国睡眠医学会・睡眠研究学会 2015年 成人の推奨睡眠時間に関する共同声明
米国国立衛生研究所 2022年 睡眠不足と睡眠の健康に関する解説