事業承継は何歳から準備すべきか 60代経営者が考える会社売却と老後資金の設計

経営

中小企業の事業承継において、経営者が最も悩む問題の一つが、何歳で会社の経営から退くべきかということです。

60歳を迎えても健康で、会社の業績が順調であれば、まだ引退を考える必要はないと感じる経営者も少なくありません。

一方、65歳や70歳になってから後継者探しを始めた結果、適切な承継先が見つからず、廃業を選択せざるを得なくなる場合もあります。

特に中小企業では、経営者個人が営業、資金繰り、人事、取引先対応などの重要な役割を担っていることが多く、経営者の交代には十分な準備期間が必要です。

また、事業承継では会社の将来だけでなく、経営者自身の老後生活も重要な問題になります。

親族に株式を贈与する場合と、第三者へのM&Aによって株式を売却する場合では、経営者が受け取る資金が大きく異なります。

さらに、会社の借入金について経営者保証をしている場合には、株式を売却した後も保証責任が残る可能性があります。

経済産業省は2026年10月、悪質なM&A仲介事業者を排除するため、強制調査を可能にする法整備の検討を進める方針を明らかにしました。

後継者不足が深刻化するなか、事業承継を安全かつ円滑に進めるためには、早期の準備がますます重要になっています。

今回は、60歳、65歳、70歳という年齢を一つの目安として、事業承継の準備時期、会社売却による手取り額、経営者保証の解除、老後資金の設計について解説します。

事業承継の準備は60歳より前から始めたい

事業承継の準備を始める年齢について、すべての経営者に共通する正解があるわけではありません。

会社の規模、経営者の健康状態、後継者候補の有無、事業の収益力などによって、適切な時期は異なります。

ただし、事業承継には一般的に相応の時間が必要です。

親族内承継であれば、後継者の育成や株式移転の準備が必要になります。

従業員承継であれば、後継者の経営能力の確認や株式取得資金の調達が課題になります。

第三者M&Aであれば、企業価値評価、買い手探し、信用調査、契約交渉などの手続きが必要です。

そのため、60歳になってから初めて事業承継を考えるのではなく、50代後半から準備を始めることが望まれます。

例えば、55歳で会社の現状分析を始め、60歳までに後継者候補や承継方法を検討し、65歳前後で経営を引き継ぐ計画が考えられます。

もちろん、60歳以降も経営を続けること自体に問題があるわけではありません。

重要なのは、経営を続けながらも、いつでも承継できる状態を整えておくことです。

60歳は会社の価値を確認する重要な時期

60歳前後は、経営者が会社の将来を客観的に見直す重要な時期です。

特に確認したいのが、会社の企業価値です。

例えば、年間売上高5億円、営業利益5,000万円、純資産2億円の会社を考えます。

この会社が第三者へのM&Aを検討する場合、買い手は純資産だけでなく、将来の収益力、取引先との関係、技術力、従業員構成などを評価します。

また、会社が保有する不動産の含み益や、役員借入金の残高なども株式価値に影響します。

重要なのは、経営者が自社の価値を正確に理解しているとは限らないことです。

長年経営してきた会社であっても、第三者から見た企業価値は、経営者自身の認識と異なる場合があります。

そのため、60歳前後で一度、会社の財務内容や企業価値を確認することが有効です。

企業価値を把握することで、親族内承継に必要な株式移転対策や、第三者M&Aによる売却可能性を具体的に検討できるようになります。

65歳での事業承継にはどのようなメリットがあるか

65歳は、多くの人にとって公的年金の受給開始を考える年齢です。

経営者にとっても、事業承継と老後資金の設計を結び付けやすい時期といえます。

例えば、65歳で会社を売却し、経営から退く場合を考えます。

会社の株式を1億5,000万円で売却できれば、税金や諸費用を差し引いた資金を老後生活に活用できます。

また、公的年金や個人金融資産などを組み合わせることで、生活費を確保する計画を立てることができます。

一方、65歳で経営から退くためには、それ以前に承継方法を決めておく必要があります。

親族内承継であれば、後継者が経営判断を行える状態になっていることが重要です。

第三者M&Aであれば、買い手候補との交渉や経営者保証の解除などを進めておく必要があります。

65歳で引退するという目標を設定する場合には、少なくとも数年前から具体的な準備を始めることが望まれます。

70歳まで経営を続ける場合の注意点

近年は、70歳を超えても現役で経営を続ける中小企業経営者がいます。

長年の経験や取引先との信頼関係は、会社にとって重要な経営資源です。

そのため、70歳まで経営を続けること自体が不適切というわけではありません。

しかし、経営者の高齢化に伴うリスクは考慮する必要があります。

例えば、70歳の社長が会社の株式を100%保有し、金融機関からの借入金について個人保証している場合を考えます。

社長が突然入院し、経営判断を行えなくなれば、会社の資金繰りや取引先対応に支障が生じる可能性があります。

また、社長が死亡した場合には、株式の相続が発生します。

相続人が複数いる場合には、株式の分散や経営方針を巡る対立が生じる可能性もあります。

そのため、70歳まで経営を続ける場合でも、後継者候補の育成や緊急時の経営体制を整えておく必要があります。

重要なのは、経営者が何歳まで働くかではなく、経営者が不在になっても会社が継続できる体制を構築することです。

会社売却による手取り額を計算する

第三者M&Aによる事業承継では、株式譲渡価格が重要な判断材料になります。

しかし、経営者が実際に受け取れる金額は、株式譲渡価格から税金や諸費用を差し引いた金額です。

例えば、経営者が保有する株式を2億円で売却する場合を考えます。

株式の取得費が2,000万円、譲渡費用が1,000万円だったとします。

この場合、株式譲渡所得は1億7,000万円です。

個人株主による非上場株式の譲渡益には、原則として20.315%の税率が適用されます。

したがって、税額は約3,454万円になります。

株式譲渡価格2億円から譲渡費用1,000万円と税額約3,454万円を差し引くと、手取り額は約1億5,546万円です。

これは他の税務上の事情を考慮しない単純な計算例です。

実際には、株式の取得費、仲介手数料、役員借入金の返済、役員退職金なども確認する必要があります。

経営者が老後資金を計画する際には、売却価格ではなく、税引後の手取り額を基準に考えることが重要です。

役員退職金を組み合わせた老後資金の設計

中小企業の経営者が引退する際には、役員退職金を受け取ることがあります。

役員退職金には、一定の要件のもとで退職所得控除や2分の1課税が適用されるため、給与所得などとは異なる税負担になります。

例えば、勤続年数30年の経営者が3,000万円の役員退職金を受け取る場合を考えます。

一般的な退職所得控除額は1,500万円です。

退職金3,000万円から退職所得控除額1,500万円を差し引き、2分の1課税が適用される場合、退職所得は750万円になります。

ただし、役員等勤続年数が5年以下の場合などには、2分の1課税が制限されることがあります。

また、会社が支給する役員退職金については、金額の相当性や実際の退職の有無などが重要です。

不相当に高額な部分は、法人税法上、損金算入が認められない場合があります。

M&Aでは、株式譲渡価格と役員退職金を組み合わせることがありますが、税負担だけを目的として不自然な金額を設定することは避ける必要があります。

会社と経営者個人の双方の税負担を比較し、適正な資金計画を立てることが重要です。

役員借入金の返済も老後資金に影響する

中小企業では、経営者が会社に多額の資金を貸し付けている場合があります。

この役員借入金は、会社にとって負債ですが、経営者個人にとっては貸付金という財産です。

例えば、経営者が会社に5,000万円を貸し付けている場合を考えます。

M&Aによって株式を売却しても、役員借入金が自動的に消滅するわけではありません。

そのため、株式譲渡代金とは別に、役員借入金の返済を受けることができる場合があります。

真正な貸付金の元本返済であれば、通常、それ自体が所得税の課税対象になるわけではありません。

ただし、会社に十分な返済能力がなければ、貸付金を回収できない可能性があります。

また、買い手企業が役員借入金の返済を引き継ぐ場合には、返済期限や返済方法を明確にする必要があります。

経営者の老後資金を考える際には、株式譲渡代金だけでなく、役員借入金の回収可能性も重要な判断材料になります。

経営者保証の解除は引退の前提条件になる

中小企業の事業承継では、経営者保証の問題を避けて通ることはできません。

会社が金融機関から借入れを行う際に、経営者個人が連帯保証している場合があります。

例えば、会社に2億円の借入金があり、社長がその全額について個人保証しているとします。

この会社の株式を第三者へ売却した場合でも、保証契約が自動的に解除されるわけではありません。

買い手企業が会社の経営を引き継いだ後に資金繰りが悪化し、会社が借入金を返済できなくなれば、旧経営者が保証債務の履行を求められる可能性があります。

そのため、M&Aでは株式譲渡価格だけでなく、経営者保証の解除を重要な条件として交渉する必要があります。

例えば、株式譲渡の実行条件として、金融機関による保証解除の承認や必要書類の整備を求める方法が考えられます。

また、買い手企業の資金力や信用力を十分に確認することも重要です。

経営者が安心して引退するためには、会社の所有権だけでなく、個人保証の問題も整理する必要があります。

老後生活費から必要資金を逆算する

事業承継を考える際には、会社をいくらで売却できるかだけでなく、引退後にどれだけの資金が必要になるかを確認することが重要です。

例えば、65歳で引退し、95歳までの30年間を想定する場合を考えます。

年間生活費が600万円であれば、単純計算では30年間で1億8,000万円が必要になります。

ただし、この金額をすべて株式売却代金で確保する必要があるわけではありません。

公的年金、企業年金、個人金融資産、役員退職金などを組み合わせて考えることができます。

例えば、公的年金などによる年間収入が300万円あり、年間生活費が600万円であれば、年間不足額は300万円です。

この不足額が30年間続くと仮定すると、必要資金は9,000万円になります。

もちろん、実際には物価上昇、医療費、介護費用、住宅修繕費などを考慮する必要があります。

また、資産運用による収益や税負担も資金計画に影響します。

重要なのは、引退後の生活費を具体的に把握し、会社売却による手取り額と比較することです。

物価上昇を考慮した老後資金の設計

老後資金を考える際には、物価上昇の影響も無視できません。

例えば、現在の年間生活費が500万円だったとします。

仮に物価が毎年2%上昇すると、20年後に同じ生活水準を維持するために必要な金額は約743万円になります。

30年後には約906万円です。

これは一定の物価上昇率を仮定した単純な試算であり、将来の物価上昇を予測するものではありません。

しかし、長期間の老後生活では、物価上昇によって必要資金が増加する可能性があります。

そのため、会社売却によってまとまった資金を受け取った場合でも、すべてを現預金で保有することが最適とは限りません。

一方、株式や投資信託などの金融資産には価格変動リスクがあります。

特に、引退後の生活費を投資収益に大きく依存する場合には、市場環境の悪化によって資産が減少する可能性があります。

したがって、老後資金は生活費として必要な資金と、長期的に運用できる資金を区分して管理することが重要です。

会社売却後の資産運用では集中リスクを避ける

中小企業の経営者は、長年にわたり自社の経営に資産や労力を集中してきた場合が多いと考えられます。

会社の株式を売却すると、その資産が現預金などの金融資産に変わります。

この段階では、経営者の資産構成を見直す機会になります。

例えば、M&Aによって税引後1億5,000万円を受け取った場合を考えます。

この資金をすべて株式投資に充てれば、市場価格の下落によって老後資金が大きく減少する可能性があります。

一方、すべてを現預金で保有する場合には、物価上昇によって実質的な購買力が低下する可能性があります。

そのため、生活費、緊急予備資金、長期運用資金などに分けて管理することが考えられます。

例えば、当面の生活費として数年分の資金を安全性の高い資産で確保し、残りについては運用期間やリスク許容度を踏まえて分散投資を検討する方法があります。

ただし、最適な資産配分は年齢、家族構成、保有資産、年金収入などによって異なります。

会社売却後の資産運用では、資産を増やすことだけでなく、長期間にわたり生活を維持できることを重視する必要があります。

相続対策も会社売却と同時に考える

M&Aによって会社を売却すると、経営者の財産構成が大きく変化します。

例えば、売却前は非上場株式を中心に財産を保有していた経営者が、売却後には多額の現預金や金融資産を保有することになります。

この場合、相続税対策の考え方も変わります。

非上場株式には、会社の規模や財務内容などに応じた評価方法があります。

一方、現預金は原則として残高を基準に評価されます。

そのため、株式売却によって相続財産の内容が変化し、相続税負担に影響する場合があります。

また、配偶者や子どもへの財産移転を検討する場合には、贈与税や相続税の制度を確認する必要があります。

特に、経営者が高齢になってから多額の財産移転を行う場合には、相続開始前の贈与に関する加算制度などにも注意が必要です。

会社売却後の資産管理では、老後生活費の確保と相続対策を分けて考えるのではなく、一体として検討することが重要です。

60代経営者が準備すべき事業承継計画

60代の経営者が事業承継を検討する際には、次の事項を整理することが重要です。

第一に、引退希望年齢です。

65歳で完全に引退するのか、70歳まで経営を続けるのか、あるいは株式譲渡後も一定期間顧問として関与するのかを検討します。

第二に、後継者候補の有無です。

親族や従業員に承継意思のある人材がいるかを確認します。

第三に、会社の企業価値です。

純資産、収益力、保有不動産、役員借入金などを整理し、株式価値を把握します。

第四に、経営者保証の状況です。

金融機関借入金に対する個人保証の有無と解除方法を確認します。

第五に、老後資金です。

公的年金、個人金融資産、役員退職金、株式売却代金などを踏まえて必要資金を試算します。

第六に、相続対策です。

会社の株式や売却後の金融資産を、将来どのように家族へ引き継ぐかを検討します。

これらを整理したうえで、事業承継の具体的なスケジュールを策定することが望まれます。

事業承継は会社の価値が高いうちに検討する

事業承継では、会社の業績が悪化してから売却を検討するケースがあります。

しかし、会社の収益力が低下すると、買い手企業からの評価も厳しくなる可能性があります。

例えば、営業利益が年間5,000万円の会社と、営業利益が年間500万円まで低下した会社では、将来の収益力に対する評価が異なります。

また、主要取引先の減少や従業員の高齢化が進めば、買い手が事業継続に不安を感じる場合があります。

そのため、M&Aによる事業承継を検討する場合には、会社の業績が安定している段階から準備を進めることが重要です。

特に、経営者自身が元気で、取引先との関係が良好な時期であれば、買い手候補との交渉にも余裕を持つことができます。

会社の売却は、経営が行き詰まってから選択する最後の手段ではありません。

会社の価値を次の経営者へ引き継ぐための積極的な経営戦略として考えることが重要です。

結論

中小企業の事業承継では、経営者が何歳まで働くかという問題と、会社をいつ引き継ぐかという問題を分けて考える必要があります。

60歳を過ぎても健康で、会社の業績が順調であれば、経営を続けることは十分に可能です。

しかし、事業承継の準備まで先送りすることは望ましくありません。

親族内承継、従業員承継、第三者M&Aのいずれを選択する場合でも、後継者の育成、株式価値の確認、税務対策、経営者保証の解除などに時間が必要です。

そのため、50代後半から会社の現状分析を始め、60歳前後で承継方法を具体的に検討することが一つの目安になります。

また、65歳や70歳での引退を想定する場合には、会社の承継計画と老後資金計画を一体として考えることが重要です。

第三者M&Aでは、株式譲渡によってまとまった資金を受け取れる可能性がありますが、税金や諸費用を差し引いた手取り額で判断する必要があります。

さらに、役員借入金の返済、役員退職金、経営者保証の解除なども重要な検討事項です。

会社売却後には、生活費、医療費、介護費用、物価上昇、相続税などを考慮した長期的な資金計画が必要になります。

事業承継の目的は、単に経営者が引退することではありません。

長年育ててきた会社の価値を次の経営者へ引き継ぎ、従業員の雇用や取引先との関係を守ることにあります。

同時に、経営者自身が安心して第二の人生を送れる環境を整えることも重要です。

そのためには、会社の経営状態が良好で、経営者自身が十分な判断力と行動力を持っているうちに準備を進める必要があります。

事業承継は、経営者にとって最後の大きな経営判断であると同時に、引退後の人生を設計する重要な機会でもあります。

会社の未来と経営者自身の人生100年時代を見据え、早期に準備を始めることが、円滑な事業承継と安心できる老後生活につながると考えます。

参考

日本経済新聞 2026年10月10日 中小の事業承継、悪質なM&A仲介排除へ 強制調査など法整備検討

中小企業庁 2024年8月 中小M&Aガイドライン第3版

中小企業庁 2025年版中小企業白書

中小企業庁 事業承継ガイドライン

国税庁 株式等を譲渡したときの課税に関する説明

国税庁 退職所得の課税に関する説明

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