ナッジとは何か 社員に運動を強制せず自然に体を動かしてもらう方法編

人生100年時代

健康のために運動してください。

階段を使ってください。

昼休みには歩いてください。

企業が社員にこう呼びかけても、それだけで運動習慣が変わるとは限りません。

健康に良いことは分かっていても、目の前にエレベーターがあればエレベーターを使う。昼休みになれば歩くより座って休みたい。

人の行動は、知識や意志だけではなく、そのときの環境にも大きく左右されます。

そこで注目されるのがナッジです。

社員に運動を命令するのではなく、職場の環境や情報の示し方を工夫することで、自然に健康的な行動を選びやすくする考え方です。

健康経営が広がれば、企業が社員に何をさせるかだけではなく、社員が健康的な行動を自然に選べる職場をどう設計するかが重要になっていきます。

ナッジとは何か

ナッジは、英語で軽く肘でつつくという意味を持つ言葉です。

行動経済学の分野では、人の選択の自由を残しながら、望ましい行動を取りやすくする仕掛けを指します。

重要なのは強制ではないことです。

階段を利用しなければならないと命令するのではありません。

エレベーターを禁止するわけでもありません。

階段を利用したくなるような環境をつくります。

本人は最終的にエレベーターと階段のどちらを利用するか自由に選択できます。

しかし、ちょっとした工夫によって健康的な選択をしやすくする。

これがナッジの基本的な考え方です。

人は必ずしも合理的に行動しない

健康について考えると、ナッジの必要性がよく分かります。

多くの人は運動した方がよいことを知っています。

それでも毎日運動するとは限りません。

将来の健康より、目の前の楽な選択を優先することがあります。

階段よりエレベーター。

徒歩より車。

昼休みの散歩よりスマートフォンを見ながら休憩する。

こうした選択は珍しいことではありません。

人間は毎回、長期的な健康効果を計算して行動しているわけではないからです。

そのため健康経営では、社員の意志の強さだけに頼らない仕組みが必要になります。

階段利用はナッジを使いやすい

職場で考えやすい例が階段です。

エレベーターの横に小さく階段はこちらと表示するだけでは、多くの人は普段通りエレベーターを利用するでしょう。

そこで表示の仕方を工夫します。

階段までの場所を分かりやすくする。

階段を明るく利用しやすい空間にする。

階段利用による身体活動について分かりやすく伝える。

階段に歩きたくなるような表示を設ける。

こうした工夫によって、エレベーターを禁止しなくても階段を選択する人が増える可能性があります。

一回の階段利用による運動量は小さくても、毎日の行動になれば積み重なります。

ナッジは、このような日常の小さな選択を変えることに向いています。

歩きたくなる職場をつくる

ウォーキングにもナッジを利用できます。

たとえば社内や事業所周辺にウォーキングコースを設定します。

昼休みに歩けるコースを社員へ知らせます。

距離や所要時間を表示します。

あと何分歩けば一定の運動時間になるのかを分かりやすくします。

単に運動してくださいと伝えるより、具体的な行動を示した方が動きやすくなります。

どこを歩けばよいのか。

何分かかるのか。

仕事に間に合うのか。

こうした小さな不安や面倒を取り除くことも、行動を促すうえでは重要です。

健康的な行動そのものを簡単にすることがポイントになります。

デスクワークにもナッジを利用できる

オフィス勤務では、長時間座り続けることへの対策にも応用できます。

仕事に集中していると、何時間も同じ姿勢で座り続けてしまうことがあります。

そこで一定時間が経過したら、パソコンやウェアラブル端末から立ち上がるよう知らせる方法があります。

通知を受けた社員は、立つことも、そのまま仕事を続けることもできます。

強制ではありません。

しかし通知があることで、自分が長時間座り続けていたことに気付きます。

気付きを与えるだけでも行動が変わる可能性があります。

デジタル技術とナッジを組み合わせれば、健康的な行動を促す仕掛けを日常業務の中へ組み込むことができます。

小さな選択を積み重ねる

ナッジの特徴は、一度に大きな行動変化を求めないことです。

毎日1時間運動してくださいという目標は、忙しい社員には難しいかもしれません。

しかし、エレベーターではなく階段を使う。

昼休みに5分歩く。

1時間座ったら一度立つ。

少し離れた場所まで歩く。

こうした行動なら比較的取り組みやすくなります。

一つ一つの効果は小さく見えます。

しかし毎日繰り返せば、大きな差になる可能性があります。

健康経営では、大規模なスポーツイベントだけでなく、社員が日常的に行う何十回もの小さな選択に目を向けることも重要です。

健康ポイントとの組み合わせもできる

ナッジは、健康ポイントやウォーキング施策と組み合わせることもできます。

たとえばスマートフォンに、今日の目標まであと1000歩ですと表示する。

社員は歩くことを強制されているわけではありません。

しかし目標まであと少しだと分かれば、帰宅時に少し歩いてみようと思うかもしれません。

目標を達成するとポイントが付与されれば、さらに行動するきっかけになります。

歩数の可視化。

目標までの残り歩数。

健康ポイント。

こうした小さな仕掛けを組み合わせることで、社員の行動変容を後押しできます。

選択肢の示し方で行動は変わる

ナッジを理解するうえで重要なのが、選択肢の示し方です。

人は同じ選択肢であっても、どのように提示されるかによって判断が変わることがあります。

健康施策でも同じです。

運動不足を責めるようなメッセージより、今日からできる小さな行動を示す。

達成できなかったことを強調するより、昨日より増えた歩数を見せる。

一律に高い目標を提示するより、自分の現在の状態から少し改善できる目標を提示する。

こうした情報の伝え方も、社員の行動に影響します。

健康経営では何を伝えるかだけでなく、どのように伝えるかも重要になります。

健康を強制しないことに意味がある

企業が社員の健康を重視すること自体は望ましいことです。

しかし行き過ぎれば、会社による健康の強制になってしまいます。

毎日一定歩数を歩かなければならない。

運動イベントへの参加が事実上義務になっている。

運動しない社員は評価が下がる。

これでは健康経営への反発を招きかねません。

ナッジの重要な特徴は、本人の選択肢を残すことです。

健康的な行動を選びやすくする。

しかし、最終的にどうするかは本人が決める。

この距離感は、企業が社員の健康へ関与するときに非常に重要です。

ナッジにも限界がある

もっとも、ナッジですべての健康問題を解決できるわけではありません。

長時間労働が常態化している会社で、階段を使いましょうと表示しても根本的な健康対策にはなりません。

休憩を取れない職場で、昼休みにウォーキングを勧めても意味は限定的です。

社員が慢性的に疲れているのであれば、働き方そのものを見直す必要があります。

ナッジは構造的な問題を放置するための道具ではありません。

労働時間や休憩、職場環境などを整えたうえで、健康的な行動をさらに後押しする手段として利用することが重要です。

働き方改革と組み合わせる

この意味で、ナッジと働き方改革は相性があります。

長時間労働を減らす。

適切な休憩を取れるようにする。

運動する時間を確保する。

そのうえで階段利用やウォーキングなどを自然に促します。

社員に健康管理を求める一方で、運動する時間がまったくない職場では矛盾しています。

健康的な行動を選択できる余裕そのものをつくることが前提です。

働き方を変え、その環境の中に小さなナッジを配置する。

この組み合わせによって、健康施策が日常業務に定着しやすくなります。

健康経営は環境を設計する段階へ

従来の企業の健康施策では、社員への情報提供が中心になることがありました。

運動しましょう。

健康的な食事をしましょう。

健康診断を受けましょう。

もちろん情報提供は重要です。

しかし、知識があるだけでは人は必ずしも行動しません。

そこで次に必要になるのが環境設計です。

歩きやすい職場にする。

階段を利用しやすくする。

運動のきっかけになる情報を適切なタイミングで示す。

短時間でも身体を動かせる働き方にする。

企業の役割が、社員へ健康について教えることから、健康的な行動を取りやすい環境をつくることへ広がっていくわけです。

結論

ナッジとは、社員に運動を強制するのではなく、職場の環境や情報の示し方を工夫することで、健康的な行動を自然に選びやすくする考え方です。

階段を利用しやすくする。

歩きやすいコースを示す。

長時間座っていたら立ち上がるきっかけを与える。

歩数目標まであとどれくらいかを知らせる。

一つ一つは小さな工夫です。

しかし、毎日の小さな選択が変われば、長期的な運動習慣の変化につながる可能性があります。

重要なのは、社員の選択の自由を残すことです。

健康経営は、社員に健康を強制するものではありません。

また、ナッジだけで長時間労働などの根本的な問題を解決できるわけでもありません。

働き方そのものを改善したうえで、健康的な行動を取りやすい環境をつくることが必要です。

これからの健康経営では、運動してくださいと社員へ呼びかける企業から、気が付けば自然に身体を動かしている職場を設計できる企業へ。

ナッジは、その転換を支える重要な考え方になっていくのではないでしょうか。

参考

日本経済新聞 2026年8月13日朝刊 スポーツ推進企業に支援

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