2029年8月から、75歳以上の後期高齢者医療制度に株式や投資信託の売却益、配当などの金融所得を反映する新たな仕組みが始まる予定です。
この制度変更によって、老後の金融資産をいつ売却するかという問題が、これまで以上に重要になります。
従来、株式や投資信託の売却時期を考える際には、相場の動向、必要な生活費、所得税・住民税などが主な判断材料でした。
しかし、今後は金融所得が後期高齢者医療制度の保険料や医療費の窓口負担割合に影響するため、75歳前後の売却時期も検討する必要があります。
例えば、70歳から74歳までに課税口座の資産を売却し、75歳以降はNISA口座を中心に取り崩す方法が考えられます。
一方、75歳になる前に売却すれば必ず有利になるわけではありません。売却益に対する税金や、75歳になる前に加入している医療保険制度への影響もあるためです。
今回は、75歳前後の資産売却について、税金と社会保険料の両面から具体的に整理します。
75歳が医療保険制度の大きな転換点になる理由
日本の公的医療保険制度では、原則として75歳になると、それまで加入していた健康保険や国民健康保険から後期高齢者医療制度へ移行します。
会社員として働いている人も、自営業者や年金生活者も、原則として75歳から後期高齢者医療制度の被保険者になります。
後期高齢者医療制度では、保険料が本人の所得などに応じて計算されます。
また、医療機関で支払う窓口負担割合は、所得区分によって1割、2割、3割に分かれています。
2029年8月からは、源泉徴収ありの特定口座で得た一定の金融所得について、確定申告をしなくても保険料や窓口負担割合などの判定に反映される予定です。
そのため、75歳以降に多額の金融所得を実現させると、医療保険料や医療費の負担が増える可能性があります。
ただし、75歳になる前の医療保険制度にも所得に応じた負担の仕組みがあります。
75歳を境に、すべての社会保険負担が有利になるわけではない点が重要です。
株式の売却益は売却代金ではなく利益で計算する
金融所得の影響を考える際には、株式や投資信託の売却代金と売却益を区別する必要があります。
例えば、500万円で購入した株式を800万円で売却した場合、売却代金は800万円ですが、譲渡益は300万円です。
取得費や譲渡費用などを考慮したうえで、原則として300万円が課税対象となります。
上場株式等の譲渡益に対する税率は、原則として20.315%です。
300万円の譲渡益であれば、税額は60万9,450円となります。
一方、500万円で購入した株式を450万円で売却した場合には、原則として50万円の譲渡損失が発生します。
金融所得の社会保険への反映では、金融資産の保有残高や売却代金そのものではなく、対象となる所得が重要になります。
また、売却せずに保有している株式の評価益は、今回の新たな金融所得反映の対象ではありません。
したがって、同じ金融資産を保有していても、売却時期によって所得が発生する年度が変わります。
70歳から74歳までに売却する場合
例えば、70歳の時点で課税口座に2,000万円の株式や投資信託を保有している人を考えます。
取得元本が1,000万円、評価益が1,000万円あるとします。
この資産を70歳から74歳までの5年間で均等に売却すると、単純化した前提では毎年400万円の売却代金を受け取り、そのうち200万円が譲渡益になります。
毎年200万円の譲渡益に対する所得税・住民税は、原則として40万6,300円です。
5年間の譲渡益の合計は1,000万円、税額の合計は203万1,500円となります。
このように75歳になる前に課税口座の資産を取り崩しておけば、75歳以降に発生する課税対象の金融所得を減らせる可能性があります。
ただし、70歳から74歳までの間に国民健康保険へ加入している場合、金融所得の申告方法によっては国民健康保険料に影響することがあります。
また、会社員として健康保険に加入している場合には、保険料が主に給与や賞与に基づいて計算されるため、国民健康保険とは取り扱いが異なります。
したがって、75歳前の売却が有利かどうかは、その時点で加入している医療保険制度によっても変わります。
75歳以降に売却する場合
同じ2,000万円の金融資産を75歳以降に取り崩す場合を考えます。
75歳から79歳までの5年間で均等に売却すると、単純化した前提では毎年200万円の譲渡益が発生します。
2029年8月からの新制度では、対象となる金融所得が後期高齢者医療制度の保険料算定に反映される予定です。
仮に2026年度の全国平均所得割率10.42%を使用すると、金融所得200万円に対応する所得割額は年間20万8,400円となります。
5年間では104万2,000円に相当します。
ただし、これは金融所得部分に所得割率を掛けた単純計算であり、実際の保険料増加額を示すものではありません。
均等割の軽減制度、保険料の賦課限度額、年金収入などによって負担額は変わります。
また、金融所得の増加によって医療費の窓口負担割合が変わる場合には、保険料以外の負担増も考えられます。
75歳以降の資産売却では、所得税・住民税だけでなく、医療保険料と医療費負担を合わせて確認することが重要です。
75歳直前の売却でも影響が残る可能性
75歳になる前に売却すれば、後期高齢者医療制度への影響を完全に回避できると考えるのは適切ではありません。
理由は、金融所得が発生した年と保険料や窓口負担割合の判定に反映される時期にずれがあるためです。
後期高齢者医療制度の保険料は、原則として前年の所得を基に計算されます。
例えば、74歳のときに多額の株式売却益が発生した場合、その所得が75歳になった後の保険料算定に関係する可能性があります。
今回の制度変更では、最初は原則として2028年分の金融所得が2029年8月から反映される予定です。
したがって、75歳になる直前の売却については、年齢だけでなく、所得が発生する年と制度上の判定年度を確認する必要があります。
特に、誕生日が年度の途中にある人は、75歳到達前後の保険料計算について個別の確認が必要です。
一括売却と分割売却ではどちらが有利か
金融資産を取り崩す際には、一括売却と分割売却という選択肢があります。
例えば、取得元本2,000万円、時価4,000万円の金融資産を保有している場合です。
一括売却すれば、原則として2,000万円の譲渡益が発生します。
税率20.315%で計算すると、税額は406万3,000円です。
一方、10年間に分けて売却し、毎年200万円の譲渡益が発生する場合でも、税率や利益総額が変わらなければ、譲渡益に対する税額の合計は同じ406万3,000円です。
しかし、社会保険料への影響は異なる可能性があります。
一括売却では、特定の年度に金融所得が集中します。
分割売却では、複数年度にわたって金融所得が発生します。
後期高齢者医療制度には保険料の賦課限度額があるため、所得を一度に実現させる場合と複数年に分散する場合では、保険料の合計額が異なることがあります。
ただし、一括売却によって窓口負担割合が上昇する場合や、翌年度の医療費負担に影響する場合もあります。
一括売却が必ず有利とも、分割売却が必ず有利ともいえません。
NISA口座との組み合わせが重要になる
75歳以降の金融所得を抑える方法として、NISA口座の活用が考えられます。
NISA口座で得た非課税の売却益や配当などは、今回の新たな金融所得反映の対象外です。
例えば、70歳から74歳までに課税口座の資産を計画的に取り崩し、75歳以降はNISA口座を中心に生活費を確保する方法があります。
この場合、75歳以降に課税口座で発生する金融所得を減らせる可能性があります。
ただし、課税口座の株式や投資信託を、そのままNISA口座へ移管することはできません。
一度売却して、NISA口座で買い直す必要があります。
また、NISAには年間360万円、非課税保有限度額1,800万円という制限があります。
そのため、多額の金融資産を短期間ですべてNISAに移すことはできません。
NISAへの移行を考える場合には、売却時の税負担、年間投資枠、将来の生活費を総合的に判断する必要があります。
75歳前に売却することのデメリット
75歳前の売却には、社会保険負担を抑える可能性がある一方、いくつかのデメリットがあります。
まず、売却益が発生すれば所得税・住民税が課税されます。
長期間保有して含み益が大きくなった資産では、税負担も大きくなります。
次に、売却後に同じ金融商品を買い直す場合、価格が上昇していれば以前より高い価格で購入することになる可能性があります。
また、売却と再投資の間に相場が大きく変動するリスクもあります。
さらに、保有資産を早期に売却することで、将来の配当収入や値上がり益を得る機会を失う場合があります。
特に、長期投資を前提として保有している資産については、社会保険料だけを理由に運用方針を変更することが適切とは限りません。
老後の生活資金を安定的に確保するという本来の目的を優先する必要があります。
相続対策との関係も考える
75歳前後の資産売却では、相続対策との関係も重要です。
例えば、長期間保有している株式に多額の含み益がある場合です。
生前に売却すれば、原則として譲渡益に対する所得税・住民税が発生します。
一方、株式を保有したまま相続が発生した場合には、相続税の課税対象となるほか、相続人が将来売却する際の取得費の取り扱いなども問題になります。
相続によって取得した株式については、原則として被相続人の取得費を引き継ぎます。
そのため、相続したからといって、それまでの含み益が自動的に消えるわけではありません。
また、一定の要件を満たす場合には、相続税の取得費加算の特例が利用できることもあります。
したがって、生前売却と相続後売却のどちらが有利かは、所得税・住民税、相続税、社会保険料などを総合的に比較する必要があります。
税理士・FPの視点から考える売却時期の判断
今回の制度変更を踏まえると、75歳前後の資産売却では、少なくとも3つの視点が重要になります。
第一に、売却益に対する所得税・住民税です。
第二に、売却益が発生した年度と、その後の医療保険料や窓口負担割合への影響です。
第三に、老後の生活費、運用方針、相続対策との整合性です。
例えば、金融所得が少なく、現在の医療保険料や窓口負担割合に大きな影響がない人であれば、売却時期を無理に変更する必要はない場合があります。
一方、多額の含み益がある金融資産を保有し、75歳以降に計画的な売却を予定している人は、制度変更の影響を事前に試算する価値があります。
また、2029年度の実際の保険料率や制度の詳細は、その時点の公表内容を確認する必要があります。
将来の制度変更を予測して一度に売却するのではなく、複数の選択肢を比較することが重要です。
結論
2029年8月から始まる金融所得の後期高齢者医療制度への反映によって、75歳前後の株式や投資信託の売却時期は、老後の資産管理における重要な検討事項になります。
75歳以降に課税口座で多額の売却益が発生すれば、医療保険料や医療費の窓口負担割合が上昇する可能性があります。
一方、75歳になる前に課税口座の資産を取り崩し、75歳以降はNISA口座を中心に生活費を確保することで、金融所得の反映を抑えられる場合があります。
ただし、75歳前に売却すれば必ず有利になるわけではありません。
売却時の税負担、75歳前に加入している医療保険制度、所得の判定年度、資産運用の継続性などを考慮する必要があります。
人生100年時代の資産管理では、金融資産をいつ売却するかという判断が、税金だけでなく社会保険料や医療費負担にも関係する時代になります。
重要なのは、75歳という年齢だけを基準に判断するのではなく、老後の生活資金を確保しながら、税金と社会保険負担を総合的に考えた資産取り崩し計画を立てることです。
参考
日本経済新聞 2026年10月31日 朝刊「金融所得を高齢者医療に反映 NISAは対象外、資産売却時期で負担変化」
厚生労働省「後期高齢者医療制度」
厚生労働省「後期高齢者医療制度における金融所得の公平な反映」
金融庁「NISAを知る」
国税庁「株式等を譲渡したときの課税」
国税庁「相続財産を譲渡した場合の取得費の特例」