日本の農業では、経営者の高齢化と後継者不足によって、農業法人の事業承継が重要な課題となっています。
農業法人の経営者が引退する場合、親族や従業員への承継だけでなく、第三者企業への株式譲渡によって事業を引き継ぐ方法もあります。
こうしたなか、JR東日本は2026年7月、岩手県花巻市の農業法人であるはなまき農産の株式を取得し、共同経営を開始しました。
JR東日本は、大手コメ卸のヤマタネ、農業人材サービスを展開するYUIMEと共同で設立したJR東日本豊里創生を通じて、農業法人の事業承継を進めています。
農業法人の事業承継では、農地や農業機械などの経営資源を引き継ぐだけでなく、株式の評価、譲渡所得課税、相続税、贈与税などの税務問題が生じます。
また、農業法人が所有する農地には農地法による規制があり、通常の株式会社とは異なる検討が必要になる場合があります。
今回は、農業法人の事業承継に関する税務上の基本事項と実務上の注意点について考えます。
農業法人の事業承継には複数の方法がある
農業法人の事業承継には、主に株式譲渡、事業譲渡、相続、贈与などの方法があります。
株式会社である農業法人の場合、経営者が保有する株式を後継者や第三者企業に譲渡することで、経営権を移転できます。
株式譲渡では、原則として法人が保有する資産や負債、契約関係などは法人に残ります。
そのため、農業機械や施設などを個別に売却する場合と比較して、事業の継続性を確保しやすい場合があります。
ただし、株式譲渡によって法人の経営権が移転しても、農地法上の要件や取引先との契約条件などを確認する必要があります。
一方、事業譲渡では、農業機械、施設、棚卸資産などの事業用資産を個別に移転します。
この場合、譲渡する資産の種類によって、法人税や消費税などの取り扱いが異なります。
農業法人の事業承継では、単に譲渡価格だけで判断するのではなく、税負担、許認可、契約関係、農地の権利関係などを総合的に検討することが重要です。
非上場株式を譲渡した場合の所得税
農業法人の多くは非上場会社です。
個人株主が保有する非上場株式を第三者に譲渡した場合、原則として株式等に係る譲渡所得等として申告分離課税の対象になります。
税率は、所得税15%、復興特別所得税0.315%、住民税5%を合わせて20.315%です。
例えば、農業法人の経営者が保有する株式を5,000万円で売却した場合を考えます。
株式の取得費を1,000万円、譲渡費用を200万円と仮定します。
この場合、譲渡所得は3,800万円です。
3,800万円に20.315%を乗じると、税額は約772万円となります。
したがって、譲渡代金5,000万円から譲渡費用200万円と税額約772万円を差し引いた手取り額は、約4,028万円です。
ただし、この計算は単純化したモデルケースです。
実際には、株式の取得費、譲渡費用、過去の資本取引、譲渡先などによって税務上の取り扱いが異なる場合があります。
特に、個人株主が発行会社に株式を売却する場合には、みなし配当課税が問題になることがあります。
また、法人に対して著しく低い価額で株式を譲渡した場合などには、時価課税に関する規定が適用される可能性があります。
事業承継では、売却価格だけでなく、譲渡後の税負担を事前に試算することが重要です。
非上場株式の評価方法
農業法人の株式は、上場株式のように市場価格が存在するわけではありません。
そのため、株式の評価が事業承継における重要な論点になります。
相続税や贈与税の計算では、財産評価基本通達に基づく非上場株式の評価方法が用いられます。
代表的な方法として、類似業種比準方式、純資産価額方式、これらを組み合わせる方式などがあります。
類似業種比準方式では、類似する上場企業の株価などを参考にして株式を評価します。
純資産価額方式では、法人の資産と負債を相続税評価の考え方に基づいて評価し、一定の調整を行って株式価値を算定します。
実際にどの方式を適用するかは、会社規模、株主の区分、特定の評価会社に該当するかどうかなどによって異なります。
農業法人では、農地、農業機械、施設などの資産を保有していることがあります。
特に農地については、所在地や利用状況などによって評価方法が異なるため、慎重な検討が必要です。
なお、相続税評価額と第三者間の株式売買価格は、必ずしも一致しません。
第三者への株式譲渡では、収益力、資産価値、負債、将来の事業計画などを考慮して価格を決定することが一般的です。
相続税評価と企業価値評価は、目的が異なることを理解する必要があります。
株式を相続した場合の相続税
農業法人の経営者が死亡し、後継者が株式を相続する場合には、相続税の問題が生じます。
相続税は、株式だけでなく、預貯金、不動産などの相続財産全体を基に計算します。
相続税の基礎控除額は、3,000万円に600万円と法定相続人の数を乗じた金額を加えたものです。
例えば、法定相続人が配偶者と子ども2人の合計3人であれば、基礎控除額は4,800万円です。
農業法人の株式の相続税評価額が8,000万円であっても、それだけで相続税額が決まるわけではありません。
他の財産や債務、法定相続人の構成、各種控除などによって税額が変わります。
また、農業法人の株式は換金性が低い場合があります。
相続税の納税資金を確保するために株式を売却しようとしても、買い手が容易に見つからない可能性があります。
そのため、事業承継では、株式の評価額だけでなく、納税資金をどのように確保するかも重要です。
生前贈与による株式承継
農業法人の経営者が生前に後継者へ株式を移転する場合には、贈与税の問題が生じます。
贈与税には、暦年課税と相続時精算課税があります。
暦年課税では、原則として年間110万円の基礎控除があります。
一方、相続時精算課税では、一定の要件のもとで年間110万円の基礎控除と累計2,500万円の特別控除が設けられています。
ただし、相続時精算課税は、贈与者や受贈者の年齢、親族関係などについて適用要件があります。
また、特別控除を利用した贈与財産は、原則として将来の相続税の計算に関係します。
したがって、単純に贈与税が少なくなるという理由だけで制度を選択することは適切ではありません。
農業法人の株式を生前贈与する場合には、将来の株価上昇、相続財産全体の状況、後継者の経営能力なども考慮する必要があります。
法人版事業承継税制の活用
中小企業の事業承継では、法人版事業承継税制が重要な選択肢になります。
この制度は、一定の要件を満たす非上場会社の株式を後継者が贈与または相続によって取得した場合に、対応する贈与税や相続税の納税を猶予する仕組みです。
特例措置では、一定の要件のもとで対象株式に係る贈与税や相続税の全額が納税猶予の対象となります。
ただし、納税猶予は無条件の免税ではありません。
後継者が株式を譲渡した場合や、制度上の要件を満たさなくなった場合などには、猶予税額の納付が必要になることがあります。
また、制度の適用には、都道府県への申請、認定、税務署への申告、継続的な報告などの手続きがあります。
農業法人がこの制度を利用できるかどうかは、会社の形態や制度上の要件を確認する必要があります。
さらに、特例措置には期限に関する規定があるため、利用を検討する場合には、その時点での最新の法令と手続期限を確認することが重要です。
事業承継税制は、後継者の納税負担を軽減する有力な制度ですが、将来の経営方針や株式保有方針を踏まえて慎重に判断する必要があります。
農地の相続税納税猶予制度
農業の事業承継では、農地に関する相続税の納税猶予制度も重要です。
一定の要件を満たす農地を農業相続人が相続し、農業を継続する場合には、農地に係る相続税の一部について納税が猶予される制度があります。
この制度は、農業の継続と農地の維持を支援することを目的としています。
ただし、農地の納税猶予制度は、農業法人の株式に対する法人版事業承継税制とは異なる制度です。
農地を個人で所有している場合と、農業法人が所有している場合では、税務上の取り扱いが異なります。
例えば、経営者個人が農地を所有し、農業法人に貸し付けている場合には、農地の利用状況や貸付けの内容などを確認する必要があります。
また、納税猶予の適用後に農地を譲渡したり、農業を継続しなくなったりした場合には、猶予税額の納付が必要になることがあります。
農地の事業承継では、農地法上の権利関係と相続税の納税猶予制度を一体で検討することが重要です。
農業経営基盤強化準備金の仕組み
農業法人の経営では、農業経営基盤強化準備金も重要な税務制度の一つです。
この制度は、一定の要件を満たす認定農業者などが、対象となる交付金等を活用して農業経営基盤の強化を図る場合に利用できるものです。
所定の要件を満たして準備金を積み立てた場合、一定額を損金または必要経費に算入できる仕組みがあります。
また、対象となる農用地や農業用機械などを取得した場合には、一定の要件のもとで圧縮記帳などの特例が設けられています。
ただし、すべての農業法人が自由に準備金を積み立てて損金算入できるわけではありません。
対象となる交付金、農業経営改善計画などの要件、積立限度額、必要な証明手続きなどを確認する必要があります。
また、準備金を積み立てた場合には、その後の取り崩しや資産取得時の税務処理にも注意が必要です。
農業法人の設備投資計画を検討する際には、補助金や準備金制度を含めた税務上の取り扱いを確認することが重要です。
農業法人の株式譲渡で注意すべき農地法
農業法人の事業承継では、税務だけでなく農地法への対応も欠かせません。
農地を所有する法人については、農地所有適格法人に関する要件が問題になります。
農地所有適格法人には、法人形態、事業内容、議決権、役員の農業従事などについて一定の要件があります。
例えば、農業法人の株式を第三者企業に譲渡する場合、譲渡後の議決権構成によっては、農地所有適格法人の要件を満たさなくなる可能性があります。
そのため、株式譲渡によって経営権を移転する場合には、株式の取得割合や議決権の構成を慎重に検討する必要があります。
また、農地の所有権移転や賃借権の設定などには、農地法上の許可が必要になる場合があります。
株式譲渡と農地そのものの権利移転は、法的に異なる取引です。
農業法人の事業承継では、税理士だけでなく、農地法に詳しい専門家や農業委員会などと連携することが重要です。
事業承継前の税務調査とデューデリジェンス
第三者企業が農業法人の株式を取得する場合には、事前のデューデリジェンスが重要になります。
デューデリジェンスとは、買収対象企業の財務、税務、法務、事業内容などを調査することです。
農業法人の場合、農地の権利関係、農業機械の所有状況、補助金の受給条件、借入金、未払税金などを確認する必要があります。
例えば、過去の法人税申告に誤りがあれば、株式取得後に税務上の問題が発覚する可能性があります。
また、補助金を受けて取得した設備について、事業承継や資産処分に制限が設けられている場合があります。
さらに、農業法人が所有する農業機械や施設について、帳簿価額と実際の価値が大きく異なる場合もあります。
買収価格を決定する際には、こうした潜在的な負担やリスクを考慮する必要があります。
農業法人の事業承継を成功させるためには、株式の取得価格だけでなく、取得後の税務リスクや設備投資負担まで把握することが重要です。
結論
農業法人の事業承継では、株式譲渡、相続、贈与などの方法によって、税務上の取り扱いが大きく異なります。
個人株主が非上場株式を第三者に譲渡する場合には、原則として20.315%の申告分離課税が適用されます。
一方、相続や贈与によって株式を承継する場合には、非上場株式の評価や納税資金の確保が重要になります。
また、一定の要件を満たす場合には、法人版事業承継税制や農地の納税猶予制度などを活用できる可能性があります。
ただし、これらの制度には適用要件や継続要件があり、利用後の経営方針によっては猶予税額の納付が必要になることもあります。
農業法人の事業承継では、税負担を軽減することだけを目的とするのではなく、事業を長期的に継続できる経営体制を構築することが重要です。
JR東日本による農業法人の事業承継は、資金や経営管理能力を持つ企業が、後継者不足に悩む農業法人を支援する新しい取り組みです。
今後、同様の事業承継が広がる場合には、株式評価、税務、農地法、補助金制度などを総合的に検討する必要があります。
農業法人の事業承継を成功させるためには、税務と法務の両面から適切な承継方法を選択し、後継者が安定して経営を続けられる環境を整えることが欠かせません。
参考
日本経済新聞 2026年10月22日 JR東日本、岩手の農業法人を事業承継 コメ農家の生産性向上を後押し
国税庁 株式等を譲渡したときの課税に関する資料
国税庁 取引相場のない株式の評価に関する資料
国税庁 非上場株式等についての贈与税及び相続税の納税猶予制度に関する資料
国税庁 農地等についての相続税の納税猶予及び免除等に関する資料
農林水産省 農業経営基盤強化準備金制度に関する資料
農林水産省 農地所有適格法人制度に関する資料