中小企業の事業承継において、M&Aによる第三者への会社売却が増えています。しかし、売却価格や買収条件ばかりに目を向け、買い手企業の信用力を十分に確認しないまま契約を締結すると、思わぬトラブルに巻き込まれる可能性があります。
特に問題となっているのが、買収資金を十分に持たない企業によるM&Aです。
経済産業省は2026年10月、悪質なM&A仲介事業者を排除するため、強制調査を可能にする法整備の検討を進める方針を明らかにしました。
背景には、資金力の乏しい買い手への事業譲渡や、経営者保証が解除されないまま旧経営者が多額の債務を負担するなど、深刻なトラブルが相次いでいることがあります。
一般的なM&Aでは、買い手が売り手企業の財務内容や事業リスクを調査するデューデリジェンスが重視されます。
しかし、中小企業の事業承継では、売り手側も買い手企業の信用力を調査することが不可欠です。
会社を高く買ってくれる相手が、必ずしも信頼できる買い手とは限りません。
今回は、中小企業M&Aにおける買い手企業の信用調査の重要性を整理し、財務諸表、資金調達計画、買収後の資金繰りなどから危険な買い手を見抜くための実務対応を解説します。
売り手企業にも買い手の信用調査が必要な理由
M&Aでは、買い手企業が売り手企業の財務内容や法務上の問題を調査することが一般的です。
これをデューデリジェンスと呼びます。
買い手は、対象会社の決算書、借入金、税務申告、労務管理、取引契約などを確認し、買収後に想定外の負担が生じないかを調査します。
一方、売り手企業は、買い手が提示する買収価格や経営方針を重視するあまり、買い手自身の信用調査を十分に行わないことがあります。
しかし、買い手の経営基盤が不安定であれば、M&A成立後に対象会社の経営が悪化する可能性があります。
特に中小企業では、売り手経営者が会社の借入金について個人保証している場合が少なくありません。
買収後も経営者保証が残っていれば、買い手の経営悪化が旧経営者の個人財産に影響するおそれがあります。
したがって、売り手にとって買い手の信用調査は、単なる情報収集ではありません。
自らの財産と会社の将来を守るための重要な手続きです。
買収資金の調達方法を確認する
買い手企業の信用調査で最初に確認すべきなのが、買収資金の調達方法です。
例えば、ある製造業の経営者が、会社の株式を1億円で譲渡することを検討しているとします。
買い手企業は1億円の買収価格を提示していますが、手元資金は2,000万円しかありません。
残りの8,000万円については、金融機関から融資を受ける予定だと説明しています。
この場合、買い手が1億円の価格を提示していることだけで安心してはいけません。
金融機関からの融資が正式に承認されているのか、融資実行にどのような条件が付いているのかを確認する必要があります。
単に金融機関へ相談している段階なのか、融資審査が進んでいる段階なのか、正式な融資承認を受けているのかによって、資金調達の確実性は大きく異なります。
また、買収資金の調達に対象会社の資産を利用する計画がある場合には、特に慎重な確認が必要です。
買収価格が高くても、実際に支払う資金を確保できなければ取引は成立しません。
資金調達の裏付けを確認することが、信用調査の出発点になります。
買い手企業の貸借対照表から分かること
買い手企業の財務内容を確認する際には、貸借対照表が重要な資料になります。
貸借対照表からは、会社の資産、負債、純資産の状況を把握できます。
特に確認したいのが、自己資本比率です。
例えば、総資産10億円、純資産3億円の会社であれば、自己資本比率は30%です。
一方、総資産10億円、純資産5,000万円の会社では、自己資本比率は5%にとどまります。
一般的には、自己資本比率が高い企業ほど財務上の損失吸収力が大きいと考えられます。
ただし、適正な自己資本比率は業種や事業モデルによって異なるため、数値だけで信用力を判断することはできません。
また、純資産がプラスであっても、資産の大部分が回収困難な売掛金や換金しにくい不動産であれば、実際の資金繰りに問題がある可能性があります。
逆に、自己資本比率が低くても、安定した営業キャッシュフローを確保している企業もあります。
したがって、貸借対照表では自己資本比率だけでなく、現預金、売掛金、棚卸資産、借入金、資産の換金可能性などを総合的に確認する必要があります。
損益計算書では利益の継続性を確認する
買い手企業の信用力を判断するうえで、損益計算書も重要です。
特に確認したいのは、売上高、営業利益、経常利益の推移です。
例えば、直近3年間の営業利益がそれぞれ5,000万円、4,500万円、5,500万円であれば、一定の収益力が継続していると考えられます。
一方、営業利益が5,000万円、1,000万円、マイナス3,000万円と悪化している場合には、その原因を確認する必要があります。
一時的な設備投資や事業再編による費用増加なのか、主力事業の競争力が低下しているのかによって評価は異なります。
また、営業利益が黒字でも、営業外収益や特別利益によって最終利益を確保している場合があります。
不動産売却益などの一時的な利益に依存している企業では、将来も同じ利益が続くとは限りません。
買い手企業の信用調査では、単年度の利益額よりも、継続的に利益を生み出せる事業構造を持っているかが重要になります。
キャッシュフローを確認しなければならない理由
損益計算書で利益が出ていても、会社に十分な現金があるとは限りません。
例えば、売上高が増加していても、売掛金の回収が遅れれば、資金繰りが悪化する可能性があります。
また、多額の設備投資や借入金返済が続けば、利益を計上していても現預金が減少することがあります。
そのため、買い手企業の信用調査では、キャッシュフローの確認が重要です。
特に営業活動によるキャッシュフローが継続的にプラスとなっているかを確認します。
例えば、営業利益が年間5,000万円であっても、営業キャッシュフローが毎年マイナスであれば、売掛金の増加や在庫の積み上がりなどが資金繰りを圧迫している可能性があります。
さらに、買収後の借入金返済や設備投資を考慮した資金繰り予測も必要です。
買収時点で資金を確保できていても、買収後の運転資金が不足すれば、対象会社の経営に影響します。
M&Aでは、買収資金を支払えるかだけでなく、買収後も事業を継続できるかを確認することが重要です。
買収後に対象会社の資金が流出する危険
資金力の乏しい買い手によるM&Aでは、買収後に対象会社の現預金や資産が流出するリスクがあります。
例えば、ある中小企業の株式を1億円で買収した企業が、買収後に対象会社から多額の資金を借り入れるケースを考えます。
対象会社には運転資金として必要な現預金が8,000万円あります。
買い手がこのうち6,000万円を外部へ移転すれば、対象会社の手元資金は2,000万円に減少します。
その結果、仕入代金や従業員給与の支払いに支障が生じる可能性があります。
もちろん、企業グループ内で資金を移動すること自体が直ちに違法になるわけではありません。
しかし、対象会社の資金繰りや債権者の利益を損なうような資金移動には重大な問題があります。
特に、旧経営者の個人保証が残っている場合には、対象会社の経営悪化によって保証債務の履行を求められる可能性があります。
売り手経営者は、買収後の資金管理方針や対象会社の資産利用計画についても確認する必要があります。
過去のM&A実績から買い手の信用力を判断する
買い手企業が過去に複数のM&Aを実施している場合には、その実績を確認することが重要です。
単に買収件数が多いというだけでは、優良な買い手とは判断できません。
買収した企業が現在も事業を継続しているか、従業員の雇用が維持されているか、買収後の経営状況がどう変化したかを確認する必要があります。
例えば、過去5年間に10社を買収している企業があったとします。
そのうち多くの会社が安定した経営を続けていれば、一定の事業運営能力を有している可能性があります。
一方、買収後に短期間で廃業した企業が多い場合には、その原因を慎重に調査する必要があります。
ただし、買収先の廃業には市場環境の悪化などさまざまな事情があるため、廃業件数だけで買い手を評価することは適切ではありません。
可能であれば、過去に買収された企業の経営者や関係者から、買収後の経営状況について話を聞くことも有効です。
買い手の説明だけでなく、第三者から得られる情報を確認することが重要になります。
税金と社会保険料の滞納にも注意する
買い手企業の信用調査では、税金や社会保険料の納付状況も重要です。
法人税、消費税、源泉所得税、社会保険料などの滞納がある場合、資金繰りが悪化している可能性があります。
特に消費税や源泉所得税などの納付が遅れている場合には、会社の資金管理に問題が生じていないか確認する必要があります。
税金の滞納が長期化すれば、財産の差押えなどの滞納処分につながる可能性があります。
また、社会保険料の滞納も、企業の資金繰りや労務管理に関する重要な情報です。
実務上は、買い手の同意を得たうえで、納税証明書や社会保険料の納付状況を確認する方法が考えられます。
ただし、証明書の種類によって確認できる税目や期間が異なるため、必要な範囲を明確にすることが重要です。
税金や社会保険料の滞納があるからといって、直ちにM&Aの相手として不適切と断定することはできません。
しかし、滞納の原因、金額、解消計画について合理的な説明が得られない場合には、慎重な判断が必要です。
買い手企業の実質的な支配者を確認する
M&Aでは、契約書に記載された買い手企業の名称だけでなく、実際にその企業を支配している人物や企業を確認することも重要です。
例えば、買い手が設立間もない合同会社や株式会社である場合、その会社自体には十分な財務実績がないことがあります。
このような場合には、出資者、親会社、実質的な支配者、買収資金の提供者などを確認する必要があります。
また、買い手企業の代表者が過去にどのような事業を経営してきたのか、買収後の経営責任を誰が負うのかも重要です。
買い手が新設会社であること自体は問題ではありません。
M&Aでは、買収を目的として特別目的会社を設立することもあります。
重要なのは、その会社の背後にある資金提供者や経営主体が明確であり、買収後の事業運営に必要な資金と能力が確保されていることです。
実質的な支配関係が不透明な場合には、取引を急がず、専門家による確認を進める必要があります。
M&A仲介業者の説明を過信しない
中小企業のM&Aでは、仲介業者が買い手候補を紹介し、交渉を支援することが一般的です。
しかし、仲介業者が紹介した買い手だからといって、その信用力が保証されているわけではありません。
仲介業者は、売り手と買い手の双方から報酬を受け取る場合があります。
そのため、取引成立を優先する利益相反の問題が生じる可能性があります。
例えば、買い手の資金調達に不安があるにもかかわらず、仲介業者が十分な説明をせず、早期の契約締結を求める場合には注意が必要です。
また、買い手の決算書や資金調達計画について質問しても、合理的な理由なく情報提供を拒む場合には、慎重な対応が求められます。
経営者は、仲介業者の説明を参考にしながらも、必要に応じて独立した税理士、公認会計士、弁護士などに相談することが望まれます。
特に、経営者保証の解除や買収後の資金流出リスクについては、専門的な検討が不可欠です。
売り手が実施すべき信用調査の実務
中小企業の売り手経営者が買い手の信用力を確認する際には、次の事項を整理することが重要です。
- 買い手企業の直近3期程度の決算書
- 現預金と借入金の残高
- 営業利益と営業キャッシュフローの推移
- 買収資金の調達方法と融資承認状況
- 買収後の資金繰り計画
- 過去のM&A実績と買収先企業の経営状況
- 税金と社会保険料の納付状況
- 実質的な支配者と資金提供者
- 経営者保証の解除方針
- 買収後の従業員雇用と事業継続計画
これらの情報をすべて取得できるとは限りません。
しかし、重要な情報について合理的な説明が得られない場合には、契約締結を急がないことが大切です。
また、買い手の信用調査は契約締結時点だけでなく、株式譲渡の実行直前にも必要に応じて確認することが望まれます。
交渉期間中に買い手の財務状況や資金調達条件が変化する可能性があるためです。
結論
中小企業のM&Aでは、買い手企業の信用調査が事業承継の成否を大きく左右します。
従来のM&Aでは、買い手が売り手企業を調査することが重視されてきました。
しかし、後継者不足を背景に第三者承継が増えるなか、売り手側も買い手の信用力を確認する必要性が高まっています。
特に重要なのは、買収資金の調達能力、買収後の資金繰り、経営者保証の解除、対象会社の資産管理方針です。
買収価格が高くても、買い手に十分な資金力がなければ、取引後に深刻な問題が生じる可能性があります。
また、会社を売却した後も旧経営者の個人保証が残っていれば、買い手の経営悪化が旧経営者の生活基盤を脅かすことがあります。
したがって、売り手経営者は買収価格だけでなく、買い手の財務内容、経営能力、過去の実績、事業継続方針を総合的に判断する必要があります。
経済産業省が検討する悪質なM&A仲介事業者への規制強化は、こうした問題を防止するための重要な取り組みです。
しかし、制度による規制だけですべてのリスクを排除できるわけではありません。
経営者自身が買い手の信用調査の重要性を理解し、必要な情報を確認する姿勢が不可欠です。
事業承継の目的は、会社を売却することだけではありません。
長年培ってきた技術、従業員の雇用、取引先との信頼関係を次の経営者へ引き継ぐことにあります。
そのためには、最も高い価格を提示する買い手ではなく、会社の価値を守り、将来にわたって事業を継続できる買い手を選ぶことが重要です。
買い手企業の信用調査は、売り手経営者自身の財産を守ると同時に、会社の未来を守るための重要な経営判断であると考えます。
参考
日本経済新聞 2026年10月10日 中小の事業承継、悪質なM&A仲介排除へ 強制調査など法整備検討
中小企業庁 2024年8月 中小M&Aガイドライン第3版
中小企業庁 2025年版中小企業白書
中小企業庁 M&A支援機関登録制度