企業が事業や株式を売却した方が合理的だと分かっていても、実際にはなかなか売れないことがあります。
理由の1つが税金です。
長年保有してきた株式の価値が大きく上昇していれば、売却した瞬間に多額の利益が実現し、税負担が発生します。
それなら売らずに持ち続けよう。
企業がそう判断すれば、資本は動きません。
この問題に大胆な税制改革で対応した国の1つがドイツです。
2000年代前半、ドイツでは法人が保有する株式の売却益について大幅な税負担の軽減が行われました。
これが企業間の株式持ち合いの解消や事業再編を後押ししたとされています。
日本で検討されている事業ポートフォリオ転換・強化促進税制を考えるうえでも、興味深い事例です。
株式を売りたくても売れない
企業が長期間保有している株式には、大きな含み益が生じていることがあります。
例えば、100億円で取得した株式の価値が500億円になっているとします。
企業がその株式を売却すれば、単純化すると400億円の売却益が実現します。
そこに税金がかかれば、多額の資金が社外へ流出します。
経営者からすれば、
保有している限り税金は発生しない。
売却すると税金が発生する。
それなら今は売らないでおこう。
という判断が合理的に見えることがあります。
しかし、企業全体から見ると問題があります。
本来もっと成長性の高い事業へ投入できる資本が、過去から保有している株式に固定されてしまうからです。
税制が資本を固定するロックイン
このように、売却時の税負担によって企業が資産を持ち続ける現象は、ロックインと呼ばれることがあります。
問題なのは、企業がその資産を本当に必要としているから保有しているとは限らないことです。
税金を払いたくないために売却しない。
その結果、資本がより生産性の高い分野へ移動しません。
企業単体では合理的に見える判断でも、経済全体では資本の新陳代謝を妨げる可能性があります。
税制には税収を確保する役割があります。
同時に、企業の合理的な経営判断を必要以上に歪めないことも重要です。
ドイツ企業には強い資本関係があった
かつてのドイツでは、銀行や保険会社、大企業などが互いに株式を保有する強い企業間ネットワークが形成されていました。
こうした関係には、企業経営を安定させる側面があります。
短期的な株価変動に左右されず、長期的な経営を行いやすいという見方もできます。
一方で、株式保有関係が固定されれば、資本市場からの規律が働きにくくなる可能性があります。
さらに、企業が成長分野へ資金を移そうとしても、過去から保有している株式に大量の資本が滞留します。
ドイツでは経済構造を変えるため、こうした資本関係の見直しが重要な課題になりました。
売却益への税負担を大きく変えた
そこで実施されたのが、法人による株式売却益に対する税制の大幅な見直しです。
法人が保有する一定の株式について、売却益の大部分を実質的に課税対象から外す仕組みが導入されました。
これによって、企業にとって株式を売却する際の税務上の障害が大きく下がりました。
重要なのは、税率が下がったことだけではありません。
経営者の選択肢が変わったことです。
税負担が大きいため売れないという状況から、
保有する意味がなければ売却できる。
という環境へ変わりました。
税制が企業の意思決定に与える影響の大きさを示す事例です。
持ち合い解消が事業再編につながる
企業が保有株式を売却すれば、資金が生まれます。
その資金を新しい設備投資や研究開発、M&Aなどに振り向けることができます。
同時に、企業同士の固定的な資本関係も薄くなります。
すると、企業買収や事業売却なども行いやすくなります。
資本が固定された状態から、企業間を移動する状態へ変わるわけです。
ここに税制改革の本当の意味があります。
単に企業の税負担を軽くするのではありません。
企業が持っている資産や事業を動かしやすくすることで、経済全体の資本配分を変えることが目的になります。
日本にも似た問題がある
日本でも長年、企業同士の株式持ち合いが広く行われてきました。
現在では政策保有株式の縮減が進んでいますが、企業には依然として多くの資産や事業が残っています。
特に問題になるのが、利益は出ているものの収益性が低い事業です。
赤字ではないため、売却する強い理由がありません。
しかし、その事業に投入している資本を成長事業へ移せば、企業全体の収益力を高められる可能性があります。
ここで売却益への課税が大きな障害になれば、企業は現在の事業構成を維持する方向へ傾きます。
ドイツの経験は、税制が企業の現状維持を後押しすることも、逆に事業再編を促すこともできることを示しています。
日本の新税制はドイツ型とは少し違う
今回、日本で検討されている事業ポートフォリオ転換・強化促進税制は、ドイツの制度とまったく同じものではありません。
大きな違いは、事業などを売却するだけではなく、その後の買収などによる再投資を重視している点です。
低収益事業を売却する。
売却益への課税を一定の条件で繰り延べる。
その資金を成長事業の取得へ振り向ける。
つまり、売却から再投資までを1つの流れとして捉えています。
単に資産を手放しやすくするだけではなく、資本を成長分野へ移すことまで促そうとしているわけです。
税制優遇だけでは企業は変わらない
もっとも、税制を変えれば企業が自動的に事業再編を始めるわけではありません。
経営者自身が事業ポートフォリオを見直す必要があります。
どの事業が企業価値を生み出しているのか。
どの事業の収益性が低いのか。
自社が保有する意味があるのか。
売却した資金をどこへ投入するのか。
こうした経営判断がなければ、税制だけを整えても企業は動きません。
税制はエンジンではなく、企業が動こうとするときのブレーキを外す役割と考えた方が分かりやすいでしょう。
日本企業に必要なのは売却後の戦略
特に日本企業で重要なのは、事業を売った後です。
低収益事業を売却すれば、一時的に資本効率は改善するかもしれません。
しかし、その資金を現預金として保有するだけでは企業の成長にはつながりません。
成長事業を買収する。
設備投資を増やす。
研究開発へ投入する。
人材へ投資する。
売却によって生まれた資金を、より高い価値を生み出す分野へ移す必要があります。
事業売却はゴールではなく、資本再配置のスタートなのです。
税務部門も税額だけを見てはいけない
この変化は税務部門にも重要です。
従来であれば、株式や事業を売却した場合に税金がいくら発生するのかを計算することが中心だったかもしれません。
しかし、これからは違います。
今売却した場合の税負担はいくらか。
新税制を利用した場合はどうなるのか。
その資金をどの買収へ振り向けるのか。
課税繰延べによって投資余力はいくら増えるのか。
こうしたところまで経営陣へ示す必要があります。
税額計算から資本配分へ。
企業税務の役割も変わっていくことになります。
結論
ドイツの経験から学べることは、税制が企業の資本を動かす大きな力を持っているということです。
多額の税負担が発生すれば、企業は合理的な理由がなくても資産を持ち続けることがあります。
逆に、その障害を取り除けば、長年固定されていた資本が動き始める可能性があります。
ただし、税負担を軽くすること自体が目的ではありません。
大切なのは、動き出した資本がどこへ向かうかです。
低収益分野から成長分野へ。
過去の事業から未来の事業へ。
より高い価値を生み出せる企業へ。
資本が移動することで、企業の新陳代謝が進みます。
日本で検討されている新税制が本当に成功したかどうかも、利用件数や減税額だけでは判断できないと思います。
税制をきっかけに日本企業の事業がどれだけ動き、その資金が新しい成長投資へ向かったのか。
そこまで見て初めて、新税制の本当の効果を評価できるのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月6日朝刊 新税制は企業を目覚めさせるか 事業再編の起爆剤に