企業が事業を売却するとき、経営者が考えなければならないのは売却価格だけではありません。
重要なのが税金です。
例えば、100億円で事業を売却したからといって、100億円をそのまま次の投資に使えるわけではありません。
売却によって利益が発生すれば、原則として法人税などの負担が生じます。
そのため、企業が事業を売却して成長分野へ資金を移そうとしても、途中で発生する税負担が事業再編の障害になる場合があります。
そこで注目されているのが、2027年度税制改正に向けて経済産業省が要望している「事業ポートフォリオ転換・強化促進税制」です。
ポイントは、売却益に対する課税を一定の条件のもとで繰り延べるという考え方にあります。
事業を売却すると利益が発生する
まず、事業売却と税金の基本的な関係を考えてみます。
例えば、ある企業が保有する事業を100億円で売却したとします。
その事業に対応する税務上の帳簿価額などが40億円だったと仮定します。
単純化すると、
売却価格100億円から帳簿価額40億円を差し引いた60億円が売却益になります。
この60億円が課税所得に反映されれば、法人税などの負担が発生します。
仮に税負担を30%として単純計算すれば、18億円です。
100億円で売却しても、税負担を考慮すると次の投資へ回せる資金はその分だけ少なくなります。
もちろん、実際の税額は企業の所得状況、売却方法、対象資産、繰越欠損金などさまざまな条件によって変わります。
重要なのは、事業売却では売却価格と同時に税引後の手取り額を見る必要があるということです。
税金が合理的な事業再編を止めることがある
ここで問題になるのが、税金によるロックインです。
経営者が「この事業は他社へ売却した方がよい」と判断していたとしても、多額の売却益が発生すれば大きな税負担が生じます。
すると、
今売ると税金がかかるので、そのまま持っておこう。
という判断が生まれる可能性があります。
しかし、その事業が低収益であり、別の会社が保有した方が成長できるのであれば、税金を理由に保有し続けることが経済的に最善とは限りません。
税制が合理的な経営判断を妨げてしまうわけです。
今回検討されている新税制には、こうした問題を緩和する狙いがあります。
課税繰延べは免税ではない
ここで注意したいのが「課税繰延べ」という言葉です。
課税繰延べは、税金を永久に払わなくてよいという意味ではありません。
一定の要件を満たした場合に、現在発生する税負担を将来へ繰り延べる仕組みです。
例えば、事業を売却して大きな利益が発生した企業が、その資金を一定期間内に別の事業の買収などへ振り向けるとします。
売却時点ですぐに税負担が発生する場合と、一定部分の課税を将来へ繰り延べられる場合では、再投資に使える資金が変わります。
企業にとって大きいのは、このキャッシュフローの差です。
成長投資に使える資金を一時的に厚くできれば、より大規模な買収や投資を実行しやすくなります。
100億円の売却で考えてみる
簡単な例で考えてみましょう。
100億円で事業を売却し、売却益が60億円発生したとします。
仮に税負担を30%として単純化すれば、売却益に対応する税負担は18億円になります。
通常であれば、この18億円を考慮したうえで次の投資を検討することになります。
一方、一定の要件のもとでこの課税を繰り延べることができれば、その時点では18億円分の資金を社内に残せる可能性があります。
その資金を新しい事業の買収などに使えるわけです。
18億円という金額は、M&Aでは大きな意味を持ちます。
自己資金として使えば、借入金などと組み合わせることで、さらに大きな投資につながる可能性もあります。
税金がなくなるわけではありませんが、税金を支払う時期が変わることで企業の投資余力が変わるのです。
売却と買収をセットで考える税制
今回の税制構想で興味深いのは、単純に事業売却を優遇する制度ではない点です。
売却だけを促すのであれば、企業が事業を売却して現金を積み上げるだけになる可能性があります。
しかし、政策として期待されているのは企業の成長です。
そのため、事業などを売却し、その資金を新たな事業の取得などへ振り向けるという一連の流れが重要になります。
低収益事業から資金を回収する。
成長分野の事業を取得する。
企業の事業構成を変える。
こうした事業ポートフォリオの入れ替えを税制面から支援しようという考え方です。
売却と買収のどちらが先かも重要になる
実際のM&Aでは、都合よく売却と買収を同時に実行できるとは限りません。
魅力的な買収案件が先に現れることもあります。
反対に、事業売却が先に決まり、買収対象を後から探す場合もあります。
そのため、制度を実際に使えるものにするには、取引の順番や期間について柔軟な設計が必要です。
売却してから一定期間内に買収する場合だけを対象にするのか。
買収した後に事業を売却した場合も認めるのか。
どの程度の期間を認めるのか。
こうした適用要件によって、企業にとっての使いやすさは大きく変わります。
政策税制は制度が存在することより、実際の企業行動に対応できるかどうかが重要です。
株式売却と事業譲渡では税務が違う
さらに実務では、「事業を売る」という言葉だけでは税務を判断できません。
子会社株式を売却する方法もあれば、会社が保有する個々の資産や負債などを移転する事業譲渡もあります。
会社分割などの組織再編を組み合わせるケースもあります。
どの方法を選択するかによって、法人税だけでなく消費税やその他の税務上の取扱いも変わる可能性があります。
したがって、M&Aでは売却価格だけを比較するのでは不十分です。
税引後でいくら会社に残るのか。
そして、その資金を次の成長投資へどれだけ回せるのか。
この視点が重要になります。
税務部門は売却決定前から参加する
ここで企業の税務部門の役割も変わってきます。
経営会議で事業売却を決定した後に、
「税金はいくらになりますか」
と税務部門へ聞くのでは遅い場合があります。
株式売却にするのか。
事業譲渡にするのか。
組織再編を先に行うのか。
いつ売却するのか。
その後どのような買収を予定しているのか。
こうした取引設計によって税務上の結果が変わる可能性があるからです。
税務部門は取引後の申告を担当するだけではなく、M&Aの構想段階から関与する必要があります。
結論
事業売却を考えるとき、多くの人は「いくらで売れるか」に注目します。
しかし、企業経営で本当に重要なのは、税引後でいくら残り、その資金を次にどう使えるかです。
100億円で売れる事業でも、税負担によって再投資できる資金は変わります。
そして、その税負担が事業売却そのものをためらわせる原因になることもあります。
今回検討されている事業ポートフォリオ転換・強化促進税制は、そこに変化をもたらす可能性があります。
大切なのは、単なる税負担の軽減ではありません。
低収益事業から成長事業へ資本を動かしやすくすることです。
企業税務も「税金をいくら減らせるか」だけを考える時代から、「税引後の資金をどこへ再配分すれば企業価値を高められるか」を考える時代へ移りつつあります。
税制と経営戦略が、これまで以上に近づいているのだと思います。
参考
日本経済新聞 2026年10月6日朝刊 新税制は企業を目覚めさせるか 事業再編の起爆剤に