企業がある事業を何十年も続けていると、「この事業は自社のものだ」という意識が強くなります。
創業以来の事業であれば、なおさらです。
しかし、事業ポートフォリオ改革を考えるうえでは、少し違った問いが必要になります。
「この事業を最も成長させられる会社は、本当に自社なのか」
この問いを考えるときに重要になるのが「ベストオーナー」という考え方です。
事業は現在保有している会社が永久に持ち続ける必要はありません。
その事業の価値を最も高められる企業が保有する。
これからの企業再編を考えるうえで重要な考え方になりそうです。
ベストオーナーとは何か
ベストオーナーとは、簡単にいえば、その事業の価値を最も高められる所有者です。
例えば、あるメーカーが小規模なIT関連事業を持っていたとします。
事業そのものは黒字ですが、会社全体から見れば規模が小さく、積極的な投資対象にはなっていません。
研究開発費も人材も、中核となる製造事業へ優先的に投入されます。
ところが、そのIT事業を専門企業が取得すれば状況が変わるかもしれません。
専門人材を投入できます。
販売網を活用できます。
研究開発投資も増やせます。
買収企業の既存サービスと組み合わせることで、新しい商品を生み出せる可能性もあります。
同じ事業でも、所有する会社が変わることで価値が変わるわけです。
自社にとって非中核でも他社には中核になる
企業が複数の事業を持っていれば、すべてを同じように扱うことはできません。
どうしても優先順位が生まれます。
成長性の高い中核事業には、多くの資金と人材が投入されます。
一方、会社全体から見て重要度の低い事業は、利益を出していても投資の優先順位が下がります。
ここに事業売却の意味があります。
自社にとって10番目に重要な事業でも、買収企業にとって1番重要な事業になることがあります。
そうなれば、事業に投入される経営資源は大きく変わります。
事業を売却することは、単に会社から切り離すことではありません。
事業がより成長できる環境へ移ることでもあるのです。
事業売却は敗北ではない
日本企業では、事業売却に対して依然として後ろ向きな印象が残っているように思います。
長年続けてきた事業を売却すれば、「経営に失敗したのではないか」と受け取られることもあります。
経営者自身にも心理的な抵抗があるでしょう。
しかし、ベストオーナーという考え方に立てば見方が変わります。
自社では十分な投資ができない事業を、それを成長させられる企業へ譲渡する。
そして、自社は売却によって得た資金を、より競争力のある事業へ投入する。
売る側も買う側も、それぞれの得意分野へ経営資源を集中できます。
事業売却は縮小ではなく、企業同士による経営資源の再配置と考えることができます。
従業員にとってもベストオーナーは重要
事業売却を考えるとき、忘れてはいけないのが従業員です。
売却される事業で働く人にとって、会社が変わることには大きな不安があります。
一方で、現在の会社に残ることが必ずしも最善とは限りません。
会社の中で優先順位の低い事業で働いていれば、設備投資や人材育成、新規採用などが抑えられる可能性があります。
ところが、その事業を中核事業として位置付ける企業へ移れば、成長投資が増えるかもしれません。
従業員の専門能力がより評価される可能性もあります。
したがって、ベストオーナーを考えることは株主だけの問題ではありません。
事業そのものや従業員の将来を考えることにもつながります。
買収価格だけで相手を選んではいけない
事業売却では、当然ながら売却価格が重要になります。
しかし、ベストオーナーという観点から考えると、最も高い価格を提示した会社が必ずしも最適な買い手とは限りません。
その事業についてどのような成長戦略を持っているのか。
必要な投資を続けられるのか。
既存事業との相乗効果があるのか。
従業員の雇用や取引先との関係をどう考えているのか。
こうした要素も重要です。
短期的な売却価格だけではなく、事業が売却後にどのような姿になるのかまで考えて買い手を選ぶ必要があります。
経営者は保有理由を説明できるか
ベストオーナーという考え方が広がると、経営者には新しい説明責任が生まれます。
これまで事業を保有している理由として「昔からやっているから」という説明でも、社内では通用したかもしれません。
しかし、資本効率が重視される時代には、それだけでは十分ではありません。
なぜこの事業を自社が持つ必要があるのか。
他社ではなく自社が保有することで、どのような価値を生み出せるのか。
他の事業との相乗効果はあるのか。
今後どれだけ投資するのか。
こうしたことを説明できなければ、事業を持ち続ける合理性そのものが問われます。
つまり、これからは事業を売却するときだけでなく、保有し続けるときにも理由が必要になるのです。
税制がベストオーナーへの移転を後押しする
事業をより適切な所有者へ移した方が経済合理性は高い。
そう分かっていても、実際には税負担が事業再編の障害になることがあります。
事業売却によって多額の利益が発生すれば、法人税負担も発生します。
その結果、売却後に成長分野へ再投資できる資金が減ります。
そこで注目されるのが、事業などの売却と買収を一定期間内に行った場合に売却益への課税を繰り延べる「事業ポートフォリオ転換・強化促進税制」です。
制度が実現すれば、税負担によって合理的な事業再編が妨げられるケースを減らせる可能性があります。
税制が企業の経営判断を決めるのではなく、本来合理的な経営判断を税制が邪魔しない仕組みをつくることが重要です。
日本全体で見れば企業間の新陳代謝になる
ベストオーナーという考え方は、個々の企業だけの問題ではありません。
日本経済全体にも関係します。
ある会社の中で十分な投資を受けられず、成長できない事業があるとします。
その事業が別の企業へ移り、設備投資や研究開発、人材投資が増えれば、事業そのものの生産性が高まる可能性があります。
つまり、企業間で事業が移動することによって、日本全体の資本や人材の使われ方も変わります。
成長性の低い場所から高い場所へ資本と人材が移る。
これが事業再編による経済の新陳代謝です。
結論
企業経営では「何を買うか」が注目されがちです。
しかし、これからは「誰が持つべきか」という視点も重要になると思います。
事業には歴史があります。
そこで働く人がいて、取引先があり、顧客もいます。
だからこそ、単純に収益性だけで売却を判断できるものではありません。
それでも、自社が持ち続けることで十分な投資ができず、事業の可能性を狭めているのであれば、別の選択肢を考える必要があります。
自社にとって非中核事業でも、別の会社にとっては中核事業になるかもしれません。
事業を手放すことが、その事業を成長させることもあります。
経営者に問われるのは「この事業を売るべきか」だけではありません。
「この事業にとって、自社は本当にベストオーナーなのか」
この問いを持ち続けることが、これからの事業ポートフォリオ経営では重要になるのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月6日朝刊 新税制は企業を目覚めさせるか 事業再編の起爆剤に