ニデックの2026年3月期有価証券報告書に対して、PwCジャパン監査法人は「意見不表明」としました。
その理由として特に注目されるのが、監査法人に対する虚偽説明です。
監査報告書では、会計監査人に対して虚偽の説明を行った役職員の一部が、会社やグループ会社の財務報告プロセスにおいて責任ある立場を担当していると指摘されました。
会社が監査法人に間違った説明をしたというだけなら、その説明を訂正すれば済むようにも思えます。
しかし実際には、監査法人への虚偽説明は非常に重大な問題です。
なぜなら、特定の数字だけではなく、会社が監査法人に提供する情報全体の信頼性に影響する可能性があるからです。
監査は会社との情報のやり取りで成り立っている
監査法人は会社から独立した第三者ですが、会社の外から財務諸表を見るだけでは監査できません。
監査を行うためには、会社から大量の情報を入手します。
会計帳簿、契約書、請求書、取締役会議事録、事業計画、予算、子会社の財務情報などです。
さらに、書類だけでは分からないことについて経営者や担当者に質問します。
なぜこの取引を行ったのか。
なぜこの会計処理を採用したのか。
この売掛金は回収できるのか。
この事業は今後どの程度の利益を生み出すのか。
こうした説明も監査を進める重要な情報になります。
会社側から正確な資料と説明が提供されることは、監査を成立させるための基本的な前提なのです。
監査法人は会社の説明をそのまま信用しない
もちろん、監査法人は会社の説明を聞いただけで決算を承認するわけではありません。
例えば会社が「売掛金は全額回収できます」と説明しても、それだけでは判断しません。
期日後の入金状況を確認したり、取引先の財務状況を調べたりします。
売上についても、担当者から説明を聞くだけでなく、契約書、納品書、請求書、入金記録などを確認します。
重要な銀行預金や債権については、銀行や取引先など外部に直接確認することもあります。
監査では会社の説明と客観的な証拠を組み合わせて判断します。
それでも会社から提供される情報の信頼性は重要です。
1つの虚偽説明が他の説明にも疑問を広げる
例えば、ある役職員が1つの取引について監査法人に虚偽の説明をしたことが分かったとします。
監査法人は、その取引だけを訂正して終わるとは限りません。
同じ人物が説明した別の取引は大丈夫なのか。
その人物が作成または承認した資料は信頼できるのか。
過去の監査で行った説明に問題はなかったのか。
同じ部署や子会社で似たような問題はないのか。
確認範囲を広げる必要があります。
1つの虚偽説明によって、これまで信頼できると考えていた監査証拠について再検討が必要になることもあります。
財務報告の責任者なら影響はさらに大きい
虚偽説明をした人物の立場も重要です。
例えば、財務報告とは関係のない一担当者が特定の取引について誤った説明をした場合と、財務報告プロセスに責任を持つ役職員が虚偽説明をした場合では意味が違います。
財務報告に責任を持つ人物は、多くの会計処理や決算手続きに関与している可能性があります。
その人物の説明に信頼性の問題があれば、影響範囲を特定すること自体が難しくなります。
ニデックについてPwCジャパン監査法人が、虚偽説明をした役職員の一部が財務報告プロセスで責任ある立場にあると指摘したことが重要なのはこのためです。
経営者による内部統制の無効化という問題
企業にはさまざまな内部統制があります。
一定金額以上の取引には上司の承認を必要とする。
支払いを行う人と承認する人を分ける。
重要な会計処理について複数の担当者が確認する。
こうした仕組みによって誤りや不正を防ぎます。
しかし経営者や権限の強い役職員が内部統制を無視すれば、制度があっても機能しないことがあります。
例えば部下に特定の会計処理を指示したり、本来必要な承認手続きを省略したりすれば、内部統制を形骸化させる可能性があります。
そのため監査では、経営者による内部統制の無効化は重要な不正リスクの1つになります。
監査手続きが一気に増える可能性がある
虚偽説明が確認されると、監査法人は追加の監査手続きを検討します。
これまで会社内部の資料を利用して確認していた項目について、外部の証拠を追加で取得する。
対象となる取引の期間を広げる。
関係する子会社について追加調査を行う。
別の担当者にも事情を確認する。
電子メールや議事録などを調査する。
過去の会計処理について再検証する。
こうした追加手続きが必要になれば、監査に必要な時間と作業量は大きく増えます。
有価証券報告書の提出期限が迫っていれば、必要な監査手続きを期限までに完了できないこともあります。
第三者委員会の調査だけでは終わらない
企業不祥事では第三者委員会が設置されることがあります。
第三者委員会は、不正の事実関係や原因、関係者の責任などを調査します。
その調査結果は監査法人にとって重要な情報になります。
しかし第三者委員会の調査が終了したからといって、自動的に監査も終了するわけではありません。
監査法人には監査法人として必要な手続きを行い、財務諸表について監査意見を形成する責任があります。
さらに不正の原因となった内部統制上の問題が残っていれば、その後の財務報告についても慎重な確認が必要です。
調査終了と監査問題の解消は必ずしも同じではありません。
人を交代させるだけでも解決しない
問題のある役職員を交代させれば、それですべて解決するとも限りません。
なぜ虚偽説明が可能だったのかを確認する必要があります。
特定の人物に権限が集中していなかったか。
取締役会による監督は十分だったか。
内部監査部門は機能していたか。
内部通報制度は利用できたか。
子会社の財務情報を本社が適切に確認していたか。
問題を知った人が声を上げられる組織だったか。
個人の問題だけにすると、同じ仕組みの中で別の人物による問題が起こる可能性があります。
ガバナンス改革では、人と仕組みの両方を見る必要があります。
監査法人との信頼関係の回復には時間がかかる
一度、会社側の説明の信頼性に重大な疑問が生じれば、それを回復するには時間がかかります。
会社が「今後は正確に説明します」と約束するだけでは十分ではありません。
責任の所在を明らかにする。
必要な人事措置を行う。
決算作成プロセスを見直す。
承認権限を再設計する。
内部監査を強化する。
監査法人が必要な情報へアクセスできるようにする。
こうした具体的な改善策が実際に機能していることを示す必要があります。
内部統制では、仕組みを作る「整備」と、その仕組みを実際に機能させる「運用」の両方が重要になります。
問題は資本市場にも広がる
監査法人への虚偽説明は、会社と監査法人だけの問題ではありません。
監査法人が財務諸表について意見を形成できなければ、投資家は決算数値の信頼性を判断しにくくなります。
金融機関も企業の財務状況を評価する際に財務諸表を利用します。
社債投資家や取引先などにとっても財務情報は重要です。
したがって監査上の問題は、株式市場だけでなく企業の資金調達や取引関係にも影響する可能性があります。
上場企業の財務報告は、多くの利害関係者が利用する社会的な情報でもあります。
監査意見を取り戻すには何が必要か
意見不表明となった企業にとって重要なのは、単に監査法人に適正意見を出してもらうことではありません。
適正意見を出せる環境を会社側が作ることです。
監査に必要な資料を提出できる。
取引の経緯を説明できる。
会計処理の根拠を示せる。
財務報告に関係する役職員の説明に信頼性がある。
内部統制が適切に整備され、実際に運用されている。
こうした条件が整って初めて、監査法人は十分かつ適切な監査証拠を集めることができます。
適正意見は会社が求めれば得られるものではありません。
監査を成立させるための環境を会社自身が構築する必要があります。
結論
会社が監査法人に虚偽説明をすることが重大なのは、その説明だけの問題で終わらない可能性があるからです。
1つの虚偽説明が見つかれば、同じ人物による他の説明や資料についても再検証が必要になることがあります。
さらに、その人物が財務報告プロセスで責任ある立場にいれば、問題が複数の取引や子会社に広がっている可能性まで確認しなければなりません。
その結果、追加の監査手続きが必要になり、十分な監査証拠を期限までに入手できなければ意見不表明につながることがあります。
重要なのは、虚偽説明をした人物を特定することだけではありません。
なぜそのような行為が可能だったのか。
内部統制はなぜ機能しなかったのか。
取締役会や内部監査はなぜ防げなかったのか。
そこまで検証して初めて、本当のガバナンス改革になります。
監査法人への虚偽説明は、単なる監査対応上の問題ではありません。
会社が公表する財務情報そのものを資本市場が信頼できるのかという、上場企業の根幹に関わる問題なのです。
参考
日本経済新聞 2026年10月1日 朝刊「ニデック監査、再び不表明 前期有報 上場維持厳しさ増す 最終赤字5646億円」
日本経済新聞 2026年10月1日 朝刊「ニデック統治、再構築急ぐ PwC『適切な監査証拠入手できず』 東証報告、月末に迫る」
日本経済新聞 2026年10月1日 朝刊「監査意見 財務情報の信頼性高める」