パートで働く人が年収を一定額以下に抑える理由として、社会保険の扶養がよく知られています。
しかし、働き控えを生む可能性があるのは社会保険だけではありません。
勤務先によっては、従業員に「配偶者手当」や「家族手当」を支給している場合があります。
その支給条件として、配偶者の収入に独自の基準を設けている企業もあります。
そのため、
社会保険の壁を超えても大丈夫
と思って勤務時間を増やしたところ、今度は配偶者の勤務先から支給されていた手当がなくなるということがあります。
つまり、社会保険や税制とは別に、会社独自の「年収の壁」が存在することがあるのです。
第3号被保険者制度による働き控えを考えるときには、企業の配偶者手当も切り離して考えることができません。
配偶者手当とは何か
配偶者手当とは、従業員に配偶者がいる場合などに企業が給与へ上乗せして支給する手当です。
企業によって名称は異なります。
配偶者手当
家族手当
扶養手当
などと呼ばれることがあります。
例えば会社員の夫に一定の条件を満たす妻がいる場合、夫の会社から毎月一定額の配偶者手当が支給されるという仕組みです。
ただし、すべての会社に配偶者手当があるわけではありません。
法律によってすべての企業に支給が義務付けられている制度でもありません。
それぞれの企業が賃金制度として設けているものです。
社会保険とはまったく別の制度
配偶者手当を理解するときに最も重要なのは、社会保険の扶養とは別の制度だということです。
第3号被保険者は公的年金制度です。
健康保険の被扶養者は公的医療保険の仕組みです。
一方、配偶者手当は企業の賃金制度です。
したがって、
第3号被保険者になれる条件
健康保険の被扶養者になれる条件
配偶者手当を受け取れる条件
は必ずしも一致しません。
それぞれ別々のルールによって判断されます。
ここを混同すると、年収の壁が非常に分かりにくくなります。
企業が独自に収入要件を設けることがある
企業によっては、配偶者手当の支給条件として配偶者の収入要件を設けています。
例えば、
配偶者の収入が会社の定める一定額以下であること
などを条件にする仕組みです。
基準となる金額や判定方法は企業によって異なります。
そのため、税制や社会保険制度の基準が変更されても、会社の配偶者手当の基準が自動的に変更されるわけではありません。
国が社会保険制度を見直しても、企業が従来の収入基準を残していれば、その基準が新しい働き控えの原因になる可能性があります。
手当がなくなると世帯収入が減ることがある
なぜ配偶者手当が働き控えにつながるのでしょうか。
例えば夫の会社から毎月1万円の配偶者手当が支給されているとします。
年間では12万円です。
妻が勤務時間を増やして会社の定める収入基準を超えると、この手当が支給されなくなるとします。
妻の年収が10万円増えても、夫の配偶者手当が年間12万円なくなれば、単純な比較では世帯全体の収入が増えない可能性があります。
実際には税金や社会保険料なども関係するため計算はさらに複雑になります。
しかし家計から見れば、
妻が働く時間を増やしたのに世帯の手取りが思ったほど増えない
という状況が起こり得ます。
これが企業独自の年収の壁です。
本人ではなく配偶者の給与が減るのが特徴
社会保険の壁と配偶者手当の壁には大きな違いがあります。
社会保険の加入によって負担が発生する場合、基本的には働いている本人の給与から社会保険料が差し引かれます。
一方、配偶者手当の場合は、働いている本人ではなく、その配偶者が勤務する会社から支給されている給与が減る場合があります。
例えば妻がパート勤務を増やした結果、
妻の給与は増える
一方で、
夫の給与に含まれていた配偶者手当がなくなる
ということがあります。
家計全体で考えなければ影響が分からないのです。
年収の壁が複数あるように見える理由
パートで働く人から見ると、年収の壁は一つではありません。
税金に関係する基準があります。
勤務先の社会保険に加入する基準があります。
健康保険の被扶養者から外れる基準があります。
第3号被保険者でなくなる基準があります。
さらに企業独自の配偶者手当の基準が加わることがあります。
しかも、それぞれ制度の目的が違います。
このため、
結局いくらまで働けばよいのか
が非常に分かりにくくなります。
制度の複雑さそのものが、働く人に安全側の選択をさせることがあります。
つまり、よく分からないから収入を低めに抑えておこうという行動です。
第3号制度を縮小しても働き控えが残る可能性がある
ここが第3号被保険者制度の改革と重要な関係を持ちます。
仮に第3号制度を縮小し、パート労働者が勤務先の厚生年金へ加入しやすくなったとします。
年金制度上は、
第3号にとどまるために収入を抑える
という理由が弱くなる可能性があります。
しかし夫の勤務先に、
妻の収入が一定額を超えたら配偶者手当を支給しない
という制度が残っていれば、妻は依然としてその基準を意識する可能性があります。
つまり公的制度の壁をなくしても、企業制度の壁が残ることがあります。
働き控えを解消するには、両方を見る必要があるのです。
なぜ企業は配偶者手当を設けてきたのか
配偶者手当にも歴史的な背景があります。
日本企業では長い間、
夫が主に働いて家計を支える
妻が家事や育児を担う
という世帯モデルを前提とした賃金制度が広くみられました。
従業員本人の仕事に対する賃金だけでなく、家族を持つ従業員の生活を支えるという考え方です。
そのため配偶者や子どもがいる従業員に家族手当を支給する企業がありました。
第3号被保険者制度と同様に、配偶者手当にも当時の家族モデルが反映されていると考えることができます。
共働き時代には制度とのずれが生まれる
現在では共働き世帯が一般的になっています。
夫婦ともに働き、それぞれが収入を得る家庭が増えています。
その中で、
配偶者の収入が低いほど手当を受け取りやすい
という仕組みを残すと、働く時間を増やすことと矛盾する場合があります。
企業は人手不足に悩んでいる。
政府は労働参加を促している。
本人ももっと働きたい。
それなのに配偶者手当の収入要件によって、
一定額を超えない方が家計に有利
という状況が生まれれば、制度同士が反対方向に働いてしまいます。
配偶者手当を見直す企業もある
こうした問題から、配偶者手当のあり方を見直す企業があります。
見直し方は一つではありません。
配偶者だけを対象にした手当を廃止する。
収入要件を見直す。
子どもに対する手当を厚くする。
基本給などへ組み替える。
こうした方法が考えられます。
重要なのは、単純に手当をなくすことだけが目的ではないという点です。
従業員の生活保障と、働き方に対して中立的な賃金制度をどのように両立させるかが問題になります。
手当をなくせば全員が得をするわけではない
配偶者手当が働き控えを生むなら、すぐ廃止すればよいと思うかもしれません。
しかし、それも単純ではありません。
現在配偶者手当を受け取っている世帯にとっては、手当の廃止は給与の減少につながる可能性があります。
特に育児や介護などの事情によって配偶者が十分に働けない家庭では、家計への影響が大きくなる場合があります。
そのため制度を見直す場合には、
現在の受給者への経過措置
他の手当への振り替え
基本給への組み替え
などを検討することも考えられます。
企業にとっても賃金制度全体の設計に関わる問題です。
本人が勤務先の制度を確認することが重要
年収の壁を考える人にとっては、国の制度だけを調べても十分ではありません。
自分の勤務先だけでなく、配偶者の勤務先の制度を確認することも重要です。
配偶者手当があるのか。
収入要件があるのか。
何を収入として判定するのか。
いつの時点で判定するのか。
基準を超えると手当がすべてなくなるのか。
こうした条件は企業によって異なります。
社会保険の130万円という数字だけを見て働き方を決めると、別の基準を見落とす可能性があります。
働き控えは一つの制度では説明できない
第3号被保険者制度をめぐる議論では、
第3号をなくせば働き控えもなくなる
という見方があります。
しかし実際の家計は、複数の制度の中で行動しています。
年金があります。
健康保険があります。
税金があります。
企業の配偶者手当があります。
さらに育児や介護などの生活上の制約があります。
働き控えを解消するためには、一つの制度だけを変更するのではなく、これらがどのように組み合わさって人の行動に影響しているのかを見る必要があります。
厚生労働省が第3号被保険者の働き方や背景を詳しく調べる意味もここにあります。
結論
配偶者手当とは、配偶者がいる従業員などに企業が独自に支給する賃金上の手当です。
第3号被保険者制度や健康保険の被扶養者制度とは別の仕組みです。
企業によっては、配偶者手当の支給条件として配偶者の収入要件を設けています。
その基準を超えると手当がなくなる場合には、配偶者が勤務時間を増やして給与を増やしても、世帯全体の収入が思ったほど増えないことがあります。
そのため企業の配偶者手当が、社会保険とは別の年収の壁になることがあります。
第3号被保険者制度を縮小しても、健康保険の扶養や企業の配偶者手当などが残れば、働き控えが完全になくなるとは限りません。
重要なのは、
国の年金制度
健康保険制度
税制
企業の賃金制度
を別々に見るのではなく、家計から見てどのようにつながっているかを考えることです。
年収の壁は、一枚の大きな壁ではありません。
異なる制度が作った複数の境界が重なり合い、働く人の行動に影響しています。
第3号被保険者制度の改革を実際の就業拡大につなげるためには、企業の配偶者手当を含めた「複数の壁」を一緒に見直していく視点が必要なのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月5日朝刊 厚労省「年金3号」縮小へ調査 働き控えの実態把握