中小企業では、一人の経理担当者が10年、20年と同じ仕事を担当することがあります。
長く担当している人ほど会社の事情を理解しており、取引先や銀行とのやり取りにも慣れています。
経営者にとって頼りになる存在でしょう。
しかし、同じ人が長期間にわたって同じ業務を独占することにはリスクもあります。
その人しか仕事の内容を知らない状態になるからです。
ミスがあっても別の人が気づきにくくなります。
さらに不正を行った場合には、処理方法を熟知しているため、長期間隠し続けられる可能性があります。
属人化とは何か
特定の仕事について、
あの人しか分からない
あの人がいないと処理できない
という状態を属人化といいます。
例えば経理担当者Aさんだけが、
給与計算の方法を知っている
銀行振込を行っている
会計ソフトを操作できる
取引先への支払いを管理している
税理士との窓口になっている
とします。
Aさんが毎日出勤している間は、仕事が順調に進んでいるように見えます。
しかしAさんが突然休んだ途端、誰も給与振込の方法が分からないということが起こります。
これが属人化のリスクです。
長く担当することにはメリットもある
長期担当そのものが悪いわけではありません。
経理では経験が重要です。
長年担当していれば、取引先の特徴や社内の業務を理解できます。
過去の処理について聞かれてもすぐに答えられます。
税務調査や監査への対応でも、会社の過去を知っている担当者は頼りになります。
担当者が頻繁に変われば、引き継ぎのたびにミスが起きる可能性もあります。
したがって問題は、長く働いていることではありません。
長く担当している人にしか仕事が分からない状態になることです。
なぜ不正を隠しやすくなるのか
同じ仕事を長期間担当すると、その業務について詳しくなります。
どの書類を誰が見るのか。
社長はどこまで確認するのか。
税理士はどの資料を見るのか。
銀行からどのような連絡が来るのか。
会計ソフトのどこを変更できるのか。
こうした業務の流れを熟知します。
もちろん、その知識は通常業務では大きな強みです。
一方、不正を行おうとした場合には、どこを操作すれば発覚しにくいかも分かる可能性があります。
さらに別の人が業務を経験していなければ、不自然な処理があっても比較できません。
今回の事件では一人経理になった後に不正が始まった
参考記事で紹介された大阪市の人材派遣会社では、男性社員が2006年に採用されました。
同僚が退職した後の2010年5月から、会社で唯一の経理担当者となりました。
給与水増しが始まったのは2010年12月です。
その後、2022年1月まで約11年間続きました。
水増し総額は5108万円でした。
多い月には水増し額が100万円を超え、本来の給与の5.4倍になったこともあったとされています。
一人経理になったことだけが不正の原因だと断定することはできません。
しかし、一人の担当者に経理業務が集中した状態で長期間不正が発見されなかったことは、属人化のリスクを考えるうえで重要です。
担当者が変わると不正が発覚することがある
不正を続けるためには、不自然な処理を隠し続けなければならない場合があります。
ところが担当者が交代すると、新しい担当者が過去の処理を見ることになります。
例えば、
なぜこの取引先だけ特殊な処理をしているのか
なぜこの社員だけ給与の計算方法が違うのか
なぜこの口座へ毎月振り込んでいるのか
なぜこの勘定科目を使っているのか
と疑問を持つことがあります。
前任者にとっては当たり前だった処理でも、新しい人が見ることで不自然さに気づくことがあります。
担当交代そのものがチェック機能になるわけです。
ジョブローテーションとは何か
一定期間ごとに担当業務を変更することをジョブローテーションといいます。
例えば経理部門に複数の社員がいる会社なら、
給与担当
売掛金担当
買掛金担当
資金担当
などを定期的に入れ替える方法があります。
一人が同じ業務を永久に担当しないようにします。
これには人材育成という意味もあります。
複数の仕事を経験すれば、経理部門全体を理解できる人材を育てることができます。
同時に、特定の業務が一人に依存する状態を減らせます。
中小企業では異動できないこともある
問題は、経理担当者が一人しかいない会社です。
担当者を異動させれば、経理をする人がいなくなってしまいます。
その場合、無理に人事異動を行う必要はありません。
代わりに、別の人が定期的に仕事を見る仕組みを作ります。
例えば社長が銀行口座を確認する。
給与振込を社長が承認する。
月に一度、別の役員が給与一覧を見る。
税理士など外部専門家に一定の確認を依頼する。
担当者が休んだときに別の社員が一部業務を代行できるようにする。
こうした方法でも、完全な一人任せの状態を減らせます。
マニュアルを作る意味
属人化を防ぐためには、業務をマニュアル化することも重要です。
例えば給与計算なら、
勤怠データをいつ締めるのか
給与計算ソフトへ何を入力するのか
誰が給与一覧を確認するのか
銀行振込データをどう作るのか
誰が最終承認するのか
という手順を文書にします。
担当者本人の頭の中だけに手順を置かないことがポイントです。
マニュアルがあれば、担当者が突然休んだ場合にも別の人が業務を引き継ぎやすくなります。
パスワードまで属人化させない
デジタル化が進むと、新しい属人化も生まれます。
例えば、
会計ソフトの管理者IDを一人しか知らない
ネットバンキングの操作方法を一人しか知らない
電子証明書が一台のパソコンにしかない
重要なデータの保存場所を一人しか知らない
という状態です。
担当者が退職したときに、会社自身が自社のシステムへアクセスできない事態にもなりかねません。
ただし、パスワードを全員で共有すればよいという意味ではありません。
会社として適切に権限を管理し、担当者が交代しても引き継げる仕組みにしておく必要があります。
担当者が休めない会社は注意する
経理担当者が、
月末だから休めない
給与日前だから絶対に出勤しなければならない
自分以外は銀行振込ができない
という状態が続いているなら、属人化が進んでいる可能性があります。
会社にとっても担当者にとっても望ましい状態ではありません。
病気や事故は突然起こります。
担当者が数週間出勤できなくても給与や支払いを続けられる状態を作っておくことが、事業継続の観点からも重要です。
結論
経理担当者を長期間同じ仕事に置くこと自体が問題なのではありません。
経験を積んだ担当者は会社にとって重要な人材です。
問題は、その人にしか仕事が分からず、その人だけで取引を完結できる状態になることです。
同じ担当者が長期間業務を独占すると、ミスや不正を別の人が発見する機会が少なくなります。
不正を行った場合には、その業務を熟知していることを利用して長期間隠せる可能性もあります。
そこで、
定期的に担当業務を入れ替える
別の人が仕事を確認する
業務マニュアルを作る
銀行振込の承認を分ける
担当者が休んでも仕事が続く状態にする
といった仕組みが重要になります。
約11年間にわたり5108万円もの給与水増しが続いた事件から考えるべきなのは、一人の社員の行動だけではありません。
一人の担当者に経理業務が集中し、その状態が長期間続くこと自体が会社のリスクになります。
優秀な経理担当者ほど頼りたくなります。
しかし、本当に強い会社とは、その人がいなくても仕事が回り、その人が担当していても別の人のチェックが働く会社なのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月3日朝刊 中小企業リーガル処方箋 給料水増し5000万円 「お一人様」経理、振込依頼操作