パートを増やすのと1人に長く働いてもらうのはどちらが得なのか 社会保険料が企業の雇用戦略を変える理由編

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2026年10月に106万円の壁の賃金要件が撤廃され、その後は社会保険の企業規模要件も段階的に縮小されます。

これまで社会保険の対象外だったパートやアルバイトが、新たに厚生年金や健康保険へ加入するケースが増えていきます。

企業にとって悩ましいのが社会保険料の事業主負担です。

週20時間以上働く人が社会保険の加入対象になれば、給与だけでなく企業負担の社会保険料も人件費として発生します。

そこで考えられるのが、1人の勤務時間を週20時間未満に抑え、その代わりにパートの人数を増やす方法です。

しかし、本当にその方が企業にとって得なのでしょうか。

社会保険料だけを見れば有利でも、採用費や教育費、シフト管理などを含めると結果が逆転する可能性があります。

今回は、社会保険の適用拡大によって企業の雇用戦略がどのように変わるのかを考えます。

二つの雇用方法を比較する

ある店舗で週60時間分の仕事が必要だとします。

一つの方法は、2人のパート従業員にそれぞれ週30時間働いてもらう方法です。

もう一つは、4人のパート従業員にそれぞれ週15時間働いてもらう方法です。

合計労働時間だけを見れば、どちらも週60時間です。

しかし企業が負担するコストの構造は同じではありません。

週30時間働く人について社会保険の加入要件を満たせば、企業には厚生年金や健康保険などの事業主負担が発生します。

一方、週15時間の人は、短時間労働者についての週20時間要件を満たしません。

社会保険料だけを見ると、人数を増やして1人あたりの勤務時間を短くする方が企業には有利に見えます。

社会保険料は人数ではなく加入者に発生する

企業にとって重要なのは、単純な従業員数ではなく社会保険へ加入する人数です。

たとえば社会保険に加入するパート従業員1人について、企業負担が年間20万円発生すると仮定します。

2人なら年間40万円です。

一方、週20時間未満で働く人に仕事を分け、短時間労働者としての社会保険加入要件を満たさなければ、この部分の企業負担を抑えられる場合があります。

企業から見れば、

1人に長く働いてもらうほど社会保険料が増える

という構造が生まれます。

これが企業に勤務時間を短くする動機を与える可能性があります。

しかし採用にはお金がかかる

社会保険料だけで雇用戦略を決めることはできません。

新しい従業員を採用するにはコストがかかるからです。

求人広告を掲載する。

応募者を選考する。

面接する。

採用手続きを行う。

勤務開始後に仕事を教える。

こうした作業には費用だけでなく、店長や管理職などの時間も必要です。

2人で足りる仕事を4人に分ければ、採用や教育の対象者も増えます。

社会保険料を年間40万円節約できても、それ以上の採用費や教育費が発生すれば企業全体では得になりません。

教育費も人数が増えるほど大きくなる

新しい従業員は、採用した瞬間からベテランと同じように働けるわけではありません。

商品の知識を覚える。

機械の使い方を覚える。

接客方法を学ぶ。

社内ルールを理解する。

こうした教育が必要です。

特に専門性の高い仕事では、一人前になるまで数カ月以上かかることもあります。

短時間勤務者を多数雇えば、教育する人数も増えます。

さらに勤務時間が短ければ、仕事を経験する機会が少ないため、習熟に時間がかかる可能性があります。

人数を増やすことによる見えないコストです。

シフト管理も複雑になる

人数が増えれば、シフト管理も難しくなります。

4人の予定を調整するより、10人の予定を調整する方が一般的には複雑です。

希望休を確認する。

急な欠勤に対応する。

繁忙時間帯に必要な人数を配置する。

勤務時間が特定の人に偏らないよう調整する。

社会保険の加入条件も確認する。

こうした管理業務が増えます。

店舗数が多い企業では、シフト管理だけでも大きな事務コストになります。

社会保険料を節約するために雇用を細分化すると、管理コストが増える可能性があるのです。

引き継ぎにもコストがある

1つの仕事を複数の短時間労働者で分担すると、引き継ぎが増えます。

たとえば1人が1日6時間担当する仕事を、2人が3時間ずつ担当するとします。

途中で担当者が交代すれば、

どこまで作業したのか

顧客からどのような依頼があったのか

何が未処理なのか

を伝える必要があります。

引き継ぎが不十分ならミスが起きる可能性もあります。

仕事を細かく分けるほど、労働時間として直接見えにくい調整コストが増えることがあります。

長時間働く人ほど戦力化しやすい

一方、1人に長く働いてもらう方法には社会保険料以外のメリットがあります。

勤務時間が長ければ、それだけ仕事を経験する機会が増えます。

業務への理解が深まり、複数の仕事を担当できるようになる可能性があります。

新人を指導できるようになる人もいるでしょう。

企業にとって、

単純な労働時間

だけではなく、

1時間あたりにどれだけ価値を生み出せるか

が重要です。

経験を積んだ従業員の生産性が高まれば、社会保険料を負担しても企業にとって十分に採算が合う可能性があります。

定着率も重要になる

社会保険への加入は、働く人にとって雇用条件の一つです。

厚生年金に加入できる。

健康保険の被保険者になれる。

一定の要件を満たせば傷病手当金などの保障を受けられる。

こうした条件を重視する人もいます。

企業が社会保険への加入を避けるため週19時間までしか働かせない場合、より長く働きたい人は別の勤務先へ移るかもしれません。

反対に、

希望すれば勤務時間を増やせる

社会保険にも加入できる

収入を増やせる

という企業なら、従業員が長期間働く可能性があります。

離職率が下がれば、採用や教育を繰り返す費用も減ります。

人手不足になるほど長時間雇用が有利になる

働き手が十分にいる時代なら、短時間勤務者を多数採用する方法も取りやすかったでしょう。

しかし人手不足になると状況が変わります。

週15時間働く人を4人採用したくても、4人集まるとは限りません。

一方、すでに働いている2人が、

もっと勤務時間を増やしたい

と希望しているのであれば、その人たちに週30時間働いてもらう方が確実です。

企業は社会保険料を負担することになりますが、新たな採用が不要になります。

人手不足が深刻になるほど、社会保険料の節約より人材の確保そのものが重要になる可能性があります。

社会保険料を固定的負担だけで考えない

企業から見ると、社会保険料は従業員を社会保険へ加入させることで増える費用です。

そのため固定的な負担として避けたくなるのは自然です。

しかし企業が見るべきなのは、社会保険料単独ではありません。

給与。

社会保険料。

採用費。

教育費。

離職による損失。

シフト管理費。

生産性。

これらを合わせた総人件費で判断する必要があります。

社会保険料が年間20万円増えても、採用費と教育費を年間30万円減らせるなら、企業全体ではコストが下がる可能性があります。

雇用戦略が二極化する可能性

今後は企業の雇用戦略が分かれる可能性があります。

一方では、

週20時間未満の短時間労働者を増やす

社会保険加入者を抑える

人件費をできるだけ低くする

という企業です。

もう一方では、

社会保険へ加入してもらう

勤務時間を増やす

賃金を上げる

教育する

長期間定着してもらう

という企業です。

どちらが有利になるかは業種や仕事内容によって異なります。

しかし人手不足が長期化すれば、後者のように1人の従業員を戦力化する経営の重要性が高まると考えられます。

結論

社会保険の適用拡大によって企業負担が増えると、1人のパート従業員に長く働いてもらうより、週20時間未満の短時間労働者を増やした方が得に見える場合があります。

社会保険料だけを比較すれば、その判断には一定の合理性があります。

しかし企業の雇用コストは社会保険料だけではありません。

人数を増やせば採用費、教育費、シフト管理、引き継ぎなどのコストが増えます。

勤務時間の短い人を多数雇えば、仕事への習熟に時間がかかる可能性もあります。

反対に、社会保険料を負担して1人に長く働いてもらえば、経験を積んだ従業員を育て、採用回数を減らし、定着率を高められる可能性があります。

特に人手不足の時代には、必要な人数を採用できることを前提にした雇用戦略そのものが成り立たなくなるかもしれません。

これから企業に必要なのは「社会保険料をいくら節約できるか」という発想だけではありません。

1人の人材に社会保険料を含めてどこまで投資し、どれだけ長く活躍してもらえるか。

106万円の壁撤廃と社会保険の適用拡大は、企業に雇用人数ではなく人材1人あたりの価値を考える経営への転換を迫る可能性があると考えます。

参考

日本経済新聞 2026年9月4日 朝刊 「106万円の壁」撤廃、企業の負担重く

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