パートやアルバイトとして働く人の社会保険制度が、大きく変わりつつあります。
かつて厚生年金や健康保険は、主として正社員などフルタイムで働く人が加入する制度というイメージがありました。
しかし働き方の多様化によって、短時間労働者にも社会保険を広げる改革が段階的に進められてきました。
2026年10月には月額賃金8万8000円以上という賃金要件が撤廃され、さらに企業規模要件も2035年10月までに撤廃される予定です。
一連の改革を個別の「年収の壁対策」として見るだけでは、その全体像を捉えることはできません。
社会保険制度そのものが、一定程度働く人は勤務先で厚生年金や健康保険に加入する仕組みへ変わろうとしているのです。
社会保険の適用拡大とは何か
社会保険の適用拡大とは、これまで厚生年金や健康保険の加入対象になっていなかった短時間労働者について、加入対象を広げていく改革です。
会社員などが加入する厚生年金や健康保険は、もともと一定以上働く労働者を中心とした制度でした。
そのため勤務時間の短いパートタイム労働者の中には、勤務先の社会保険に加入せず、配偶者の扶養に入ったり、自分で国民年金や国民健康保険に加入したりする人がいました。
しかしパートやアルバイトという働き方が広がり、短時間労働であっても継続的に働く人が増えました。
そこで働き方による社会保障の違いを小さくするため、短時間労働者にも厚生年金や健康保険を広げる改革が進められています。
2016年が大きな転換点になった
短時間労働者への社会保険適用拡大で大きな転換点となったのが2016年です。
このとき一定の条件を満たす短時間労働者について、社会保険の適用対象が大きく広げられました。
企業規模については、当初は従業員501人以上の企業が中心でした。
いきなり中小・零細企業まで対象にすると、社会保険料の会社負担や事務負担が急激に増えるためです。
まず大企業から始め、その後段階的に対象を広げる方法が採られました。
現在につながる社会保険適用拡大は、一度の制度変更で完成したものではありません。
長期間をかけて対象者を広げていく改革なのです。
企業規模要件は段階的に縮小された
2016年の適用拡大後、企業規模要件は徐々に縮小されてきました。
2022年10月には101人以上の企業へ対象が拡大され、2024年10月には51人以上となりました。
つまり同じ働き方をしているパートタイム労働者でも、以前なら勤務先が小さいため社会保険に加入しなかった人が、制度改正によって加入対象になるケースが増えてきたわけです。
この流れは今後も続きます。
企業規模要件はさらに段階的に縮小され、2035年10月には撤廃される予定です。
最終的には「会社が大きいか小さいか」という違いを社会保険加入の重要な境界線にしない方向へ進んでいます。
106万円の壁も役割を終える
もう一つ大きく変わるのが、月額賃金8万8000円以上という賃金要件です。
年収換算で約106万円になるため、「106万円の壁」と呼ばれてきました。
この基準には、短時間労働者に厚生年金を適用する際、国民年金加入者との保険料負担のバランスを考慮する意味がありました。
ところが最低賃金が大きく上昇しました。
週20時間以上働けば、最低賃金でも月額賃金8万8000円を上回る地域が広がっています。
その結果、賃金要件を独立して設けておく意味が薄れてきました。
そこで2026年10月から賃金要件が撤廃されます。
これは「社会保険料を払わなくてよい年収が増える」という意味ではありません。
むしろ社会保険の加入対象を広げる改革です。
重要になるのは週20時間
賃金要件がなくなり、企業規模要件も将来的に撤廃されれば、社会保険加入を考えるうえで週20時間という労働時間の重要性が高まります。
つまり、
いくら稼いでいるか
どれくらい大きな会社で働いているか
ではなく、
どのくらい働いているか
を中心に社会保険を適用する制度へ近づいていきます。
この変化を象徴するのが「106万円の壁から週20時間の壁へ」という流れです。
社会保険制度が収入基準から労働時間基準へ軸足を移していると見ることができます。
パートも自分自身の厚生年金を持つ時代へ
社会保険の適用拡大には、保険料負担が増えるという側面があります。
これまで配偶者の扶養に入っていた人が勤務先の社会保険へ加入すれば、給与から厚生年金保険料や健康保険料などが差し引かれます。
短期的には手取りが減る場合があります。
一方で、自分自身の厚生年金を積み上げられるようになります。
老後には一定の要件を満たせば、老齢基礎年金に加えて加入期間や報酬に応じた老齢厚生年金を受け取ります。
厚生年金保険料については、会社も原則として半分を負担します。
社会保険適用拡大は「パートから保険料を取る改革」という面だけではなく、「パートにも被用者としての社会保障を広げる改革」という面から見る必要があります。
第3号被保険者にも影響する
社会保険適用拡大は、国民年金の第3号被保険者制度とも深く関係しています。
厚生年金加入者に扶養されている一定の配偶者は、第3号被保険者として自分自身で国民年金保険料を直接負担しなくても老齢基礎年金につながります。
しかしパートタイム労働者への厚生年金適用が広がれば、第3号被保険者だった人が自分自身の勤務先で厚生年金に加入するケースが増えます。
つまり、
配偶者に扶養される第3号被保険者
から、
自分自身が厚生年金に加入する第2号被保険者
への移行が進むことになります。
社会保険適用拡大は、第3号被保険者制度をめぐる問題ともつながっています。
130万円の壁はどうなるのか
106万円の賃金要件が撤廃されても、社会保険上の扶養に関係する130万円という収入基準が同時になくなるわけではありません。
ただし社会保険の適用対象が広がれば、130万円に達する前に勤務先の厚生年金や健康保険に加入する人が増えます。
その結果、130万円の壁を直接意識するパートタイム労働者の範囲も変わっていく可能性があります。
これまでのように、
130万円未満なら扶養内
とだけ考えることは難しくなります。
まず自分自身が勤務先の社会保険加入対象になっているかを確認する必要があるからです。
適用拡大は企業にも大きな改革になる
社会保険適用拡大の影響を受けるのは、働く人だけではありません。
企業にも社会保険料の負担が発生します。
特にパートタイム労働者を多数雇用している小売、外食、介護、サービス業などでは、人件費への影響が大きくなる可能性があります。
企業規模要件が縮小されれば、中小企業にも影響が広がります。
一方で、社会保険への加入は人材確保の面ではプラスになる可能性があります。
パートでも厚生年金や健康保険に加入できる職場は、長時間働きたい人にとって魅力になるからです。
社会保険料を単なるコストとして見るのか、人材確保や定着のための費用として見るのか。
企業側の考え方も問われることになります。
壁をなくすだけでは働き控えはなくならない
社会保険改革で難しいのは、ある壁を撤廃すると別の壁が意識される可能性があることです。
106万円の賃金要件を撤廃すれば、今度は週20時間未満に勤務時間を抑える人が出るかもしれません。
企業側も社会保険料負担を抑えるため、勤務時間を週20時間未満に設定しようとする可能性があります。
つまり「壁」という境界線が存在する限り、その直前で働き方を調整する動機が生まれます。
今後の課題は、単純に一つの壁をなくすことではありません。
働く時間を増やしても手取りが自然に増えていくような、働き方にできるだけ中立的な社会保障制度をどうつくるかという問題です。
社会保険制度はどこへ向かうのか
一連の制度改正を長い時間軸で見ると、方向性が見えてきます。
2016年に短時間労働者への社会保険適用が大きく拡大されました。
企業規模要件は501人以上から101人以上、51人以上へと縮小されました。
2026年10月には賃金要件が撤廃されます。
さらに2035年10月には企業規模要件も撤廃される予定です。
つまり、
年収がいくらか
勤務先がどれくらい大きいか
配偶者の扶養に入っているか
といった条件による違いを徐々に小さくし、
一定程度働く人は自分自身で社会保険に加入する
という方向へ制度が動いています。
これはパートという働き方そのものの位置付けを変える改革でもあります。
結論
社会保険の適用拡大とは、単なる「106万円の壁対策」ではありません。
パートやアルバイトを含め、一定程度働く人に厚生年金や健康保険を広げていく長期的な社会保障改革です。
2016年以降、企業規模要件は段階的に縮小されてきました。
2026年10月には月額賃金8万8000円以上という賃金要件が撤廃され、2035年10月には企業規模要件も撤廃される予定です。
その結果、社会保険加入を考える際の中心は「年収」や「会社の大きさ」から「働く時間」へ移っていきます。
そして、その中心にあるのが週20時間という基準です。
これまでの社会保険は「扶養の範囲内でいくらまで働けるか」という視点で語られることが少なくありませんでした。
これからは「一定程度働くなら、自分自身の社会保険に加入する」という考え方がより重要になります。
106万円の壁から週20時間の壁へ。
その変化の先にあるのは、パートタイム労働者も自分自身の厚生年金を持つことが当たり前になる社会なのかもしれません。
参考
日本経済新聞 2026年8月9日朝刊 Views 先読み「パートの社保適用、賃金要件撤廃 就労の壁、焦点は時間に」