信託型ストックオプションはなぜ問題になったのか ― スタートアップと税務の境界線

税理士
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スタートアップ企業の成長を支える仕組みとしてストックオプションがあります。特に近年は「信託型ストックオプション」と呼ばれる仕組みが注目を集め、多くのベンチャー企業が導入してきました。

ところが2023年、国税庁が信託型ストックオプションに対する新たな課税見解を示したことで状況は一変しました。従来は株式売却時の譲渡所得課税を前提としていた企業に対し、権利行使時に給与所得として課税されるとの見解が示されたのです。

その後、多くの企業が追加の税負担や源泉徴収対応を迫られました。そして2026年には、株式会社Speeeが国を相手取り源泉所得税の還付を求める訴訟を提起し、大きな注目を集めています。

この問題は単なる税務論争ではありません。スタートアップ支援、税制の予測可能性、そして租税法の基本原則そのものが問われています。

ストックオプションとは何か

ストックオプションとは、あらかじめ定められた価格で自社株を取得できる権利です。

例えば、1株100円で取得できる権利を持っていた場合、将来の株価が1,000円になれば900円分の利益を得られます。

企業にとっては優秀な人材の確保や長期的なモチベーション向上につながります。特に現金報酬を十分に支払えない創業期のスタートアップにとって重要な人事制度の一つです。

米国のシリコンバレーでも広く活用されており、日本でもベンチャー企業を中心に普及してきました。

信託型ストックオプションの仕組み

従来型のストックオプションでは、付与時期によって取得価格や権利価値が異なることがあります。

創業直後に入社した社員と、企業価値が大きく上昇した後に入社した社員では、同じ貢献をしても受け取る利益に差が生じる場合があります。

そこで考案されたのが信託型ストックオプションです。

企業が信託を活用してストックオプションをまとめて取得し、その後、会社への貢献度などに応じて役員や従業員へ配分します。

これにより、入社時期による不公平感を軽減できるため、多くのスタートアップで採用されました。

2010年代後半には急速に普及し、2023年時点では約800社が導入していたとされています。

なぜ税務問題になったのか

最大の争点は「いつ、どの所得として課税するのか」です。

企業側は、権利行使によって取得した株式を売却した時点で利益が確定すると考えていました。

この考え方では、株式売却益は譲渡所得となり、税率は約20%です。

一方、国税庁は異なる見解を示しました。

国税庁によれば、役員や従業員は実質的に無償で権利を取得しており、その利益は労務提供の対価として受け取る経済的利益に当たるため、給与所得として課税すべきだとしています。

給与所得であれば最高税率は住民税を含め約55%に達します。

さらに企業側には源泉徴収義務も発生します。

つまり、課税時期も税率も大きく変わることになります。

Speee訴訟が持つ意味

2026年、株式会社Speeeは国に対して約14億円の源泉所得税の還付を求める訴訟を提起しました。

同社は国税庁の見解に従って税金を納付したものの、その後の検討により「源泉徴収義務はなかった」と主張しています。

この訴訟が注目される理由は、単に1社の税負担の問題ではないからです。

仮に企業側の主張が認められれば、信託型ストックオプションに関する国税庁の見解そのものに大きな影響を与える可能性があります。

逆に国側が勝訴すれば、給与所得課税の考え方が司法判断によって裏付けられることになります。

長年続いてきた議論に司法が初めて明確な判断を示す可能性があるのです。

租税法上の論点

この問題の背景には租税法の基本原則があります。

税金は法律に基づいて課されなければなりません。

これを租税法律主義といいます。

今回の争点は、信託を介した権利付与が本当に給与に当たるのかという点です。

給与所得であれば「労務の対価」である必要があります。

一方で、信託から権利を受け取る構造であれば、通常の給与とは異なると考える余地もあります。

租税法学者の間でも見解は分かれています。

給与所得と考える立場もあれば、株式を売却した時点で初めて利益が実現するため譲渡所得と考える余地があるという意見もあります。

つまり、専門家の間でも結論が一致していない論点なのです。

スタートアップへの影響

この問題が社会的に注目されるもう一つの理由は、日本のスタートアップ政策との関係です。

政府は近年、「スタートアップ育成5か年計画」などを掲げ、新興企業の育成を重要政策としています。

ストックオプションは優秀な人材を確保するための重要な手段です。

もし制度設計後に課税ルールが大きく変更されると、企業は将来の税負担を予測しにくくなります。

一方で、税制上の抜け道を利用した過度な節税が認められるべきではないという考え方もあります。

イノベーション促進と課税の公平性。

この二つの価値のバランスをどのように取るかが問われています。

結論

信託型ストックオプションを巡る問題は、単なる税務テクニックの話ではありません。

給与所得なのか譲渡所得なのかという論点の背後には、租税法律主義、課税の公平性、スタートアップ支援、税制の予測可能性といった重要なテーマがあります。

Speee訴訟は、その答えを司法の場で問う初めての本格的なケースとなりました。

今後の判決は、多くのスタートアップ企業や投資家だけでなく、税務実務全体にも大きな影響を与える可能性があります。

税制は社会のルールです。そのルールがどこまで許容し、どこから規制するのか。信託型ストックオプションを巡る裁判は、日本の税制のあり方そのものを映し出す重要な試金石になりそうです。

参考

・日本経済新聞 2026年6月1日朝刊「『信託型』は給与所得か ストックオプション課税巡り国を提訴」

・国税庁「ストックオプションに対する課税(信託型ストックオプションに関するQ&A)」

・経済産業省「スタートアップ育成5か年計画」

・佐藤修二「租税法における所得区分論」関連論文

・渡辺徹也「租税法と信託課税に関する研究」

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