日本企業の内部留保が過去最高を更新しているという話をよく耳にします。
財務省の法人企業統計によれば、2024年度の企業の利益剰余金は、金融業と保険業を除いて約637兆円に達しました。13年連続で過去最高を更新しています。
これだけを見ると、企業が637兆円もの現金を使わずに貯め込んでいるように感じるかもしれません。
しかし、会計上の利益剰余金と現預金は全く別のものです。
法人税や賃上げ、内部留保課税などを考えるうえでは、まずこの違いを理解することが重要です。
利益剰余金は現金ではない
利益剰余金とは、企業が過去に稼いだ利益のうち、配当などで社外に流出せず企業内部に残ってきた利益の累積額です。
貸借対照表では純資産の部に計上されます。
一方、現金や預金は資産の部に計上されます。
つまり、利益剰余金と現預金は貸借対照表の全く違う場所に存在します。
利益剰余金が100億円あるからといって、その会社の銀行口座に100億円が残っているわけではありません。
ここを混同すると、企業の内部留保をめぐる議論を誤って理解することになります。
利益はさまざまな資産に姿を変える
企業が利益を上げた直後には、その利益の一部が現預金として存在することがあります。
しかし企業が事業を続ければ、そのお金はさまざまな用途に使われます。
工場を建設することもあります。
機械を購入することもあります。
土地や建物を取得することもあります。
研究開発や新規事業に資金を投入することもあります。
企業買収によって子会社株式などに変わることもあります。
過去に稼いだ利益が企業内部に残っていても、その利益に対応する資産が現在も現金であるとは限らないのです。
貸借対照表で考えると分かりやすい
例えば、ある会社が10億円の利益を上げ、その利益を全く配当しなかったとします。
単純化すれば利益剰余金は10億円増加します。
その時点では現預金も増えているかもしれません。
しかし翌年、その会社が10億円を使って工場を建設したとします。
現預金は10億円減ります。
その代わり、固定資産が増えます。
ところが利益剰余金がその支出だけを理由に10億円減るわけではありません。
利益剰余金10億円に対応する資産の姿が、現預金から工場へ変わったと考えることができます。
この会社を見て、10億円の内部留保があるのだから10億円の現金を持っているはずだと考えるのは間違いです。
内部留保と利益剰余金も厳密には注意が必要
一般に内部留保という言葉は、企業が過去の利益を社内に蓄積したものという意味で使われています。
その代表的な指標として利益剰余金が使われます。
ただし、内部留保という言葉自体は会計基準上の正式な勘定科目ではありません。
議論する人によって、利益剰余金を指している場合もあれば、企業内部に蓄積された資金をより広い意味で表現している場合もあります。
そのため内部留保が増えているという話を聞いた場合には、何の数字を指しているのか確認する必要があります。
特に利益剰余金と現預金を同じ意味で使うと、企業の財務状況を大きく誤解することになります。
それでも637兆円という数字には意味がある
では、利益剰余金が現金ではないのであれば、637兆円という数字には意味がないのでしょうか。
そうではありません。
利益剰余金が長期的に増加しているということは、日本企業が稼いだ利益のうち相当部分を企業内部に蓄積してきたことを示しています。
企業の自己資本が厚くなれば、財務基盤は強くなります。
借入金への依存度を下げることもできます。
経済危機が発生したときにも耐えやすくなります。
実際、日本企業が財務体質を改善してきたことには大きな意味があります。
問題は、財務の安全性を高めることと、資金を有効に活用することのバランスです。
現預金を見ることも重要
企業の資金滞留を考えるのであれば、利益剰余金だけではなく現預金などの状況も確認する必要があります。
企業が十分な設備投資を行いながら利益剰余金を増やしているのであれば、必ずしも資金を眠らせているとはいえません。
一方で、利益剰余金とともに現預金も大幅に増え、その資金が長期間使われていないのであれば、資本効率について検討する余地があります。
企業がどれだけ利益を蓄積しているか。
どれだけ現金を持っているか。
その現金を何のために持っているか。
この3つを分けて考えることが重要です。
現金を持つことにも理由がある
企業が現預金を厚く持つこと自体を悪いことと考えるべきではありません。
会社経営には予想できないことが起こります。
売上が急減することがあります。
原材料価格が急騰することがあります。
金融市場が混乱して銀行から資金を借りにくくなることもあります。
大規模災害や感染症、地政学的な問題によって事業が停止する可能性もあります。
こうした事態でも給与や仕入代金、借入金などの支払いは続きます。
手元資金は企業にとって経営を守るための安全装置でもあるのです。
問題は必要以上に持っているかどうか
重要なのは、現預金が多いか少ないかだけではありません。
事業に必要な水準を超えて資金を持っているかどうかです。
必要以上の現金を長期間保有しているのであれば、その資金を設備投資や研究開発に使う選択肢があります。
従業員の賃金や教育に使うこともできます。
株主への配当や自己株式取得によって還元することもできます。
新規事業や企業買収に使う方法もあります。
資金を持っているだけでは収益を生みません。
企業価値を高めるためには、保有する資金をどのように使うかが重要になります。
内部留保課税が簡単ではない理由
利益剰余金が637兆円あるのだから、そこに税金をかければよいという議論も単純ではありません。
すでに利益剰余金に対応する資金が工場や機械などに投資されている可能性があるからです。
仮に利益剰余金だけを基準に課税すれば、手元に十分な現金を持っていない企業にも税負担が発生する可能性があります。
さらに、利益剰余金は原則として過去に法人税を負担した後の利益が積み上がったものです。
そこへ新たな課税を行うのであれば、課税の根拠や二重負担の問題についても慎重な検討が必要になります。
企業に蓄積した資金を経済へ循環させるという政策目的と、利益剰余金そのものに課税することは分けて考える必要があります。
見るべきは利益剰余金の使われ方
企業の内部留保を考えるとき、本当に重要なのは637兆円という金額の大きさだけではありません。
その利益が何に使われてきたのかを見る必要があります。
設備投資に使われたのか。
研究開発に使われたのか。
海外投資に使われたのか。
現預金として残っているのか。
そして従業員への賃金や株主への還元とのバランスはどうなっているのか。
企業の貸借対照表とキャッシュフローを合わせて見ることで、初めて資金の実態が分かります。
結論
利益剰余金637兆円という数字を、企業が637兆円の現金を金庫に貯め込んでいると理解するのは正確ではありません。
利益剰余金は過去から蓄積された利益を示す純資産の項目であり、それに対応する資産は現預金だけでなく、工場、機械、不動産、株式などさまざまな形になっています。
だからといって、企業の資金滞留という問題が存在しないわけでもありません。
重要なのは、企業が稼いだ利益をどれだけ次の成長へ使っているかです。
内部留保が多いか少ないかではなく、その資金が賃上げ、設備投資、研究開発、新規事業などに有効活用されているかを見る必要があります。
637兆円という巨大な数字から考えるべきなのは、企業がお金を持ちすぎているかという単純な問題ではありません。
日本企業が長年蓄積してきた利益を、これからどのように成長へつなげるのかという問題なのです。
参考
日本経済新聞 2026年10月5日朝刊 「法人の累進課税で好循環 葭田英人氏」