高齢者が抱える生活上の問題は、一つの制度だけでは解決できないことがあります。
認知機能が低下してお金の管理が難しくなっているだけでなく、一人暮らしで頼れる家族がいない、介護が必要になっている、生活費にも困っているといった複数の問題を同時に抱えることがあるからです。
従来の福祉制度では、高齢者は高齢者福祉、障害者は障害福祉、生活に困っている人は生活困窮者支援というように、それぞれの制度ごとに相談窓口や支援の仕組みが設けられてきました。
しかし、実際の生活上の問題は制度ごとにきれいに分かれているわけではありません。
そこで、分野を超えて地域全体で支援するためにつくられた仕組みが重層的支援体制整備事業です。
金融機関と福祉機関による高齢者の見守りでも、この仕組みを活用して銀行や信用金庫などを地域の支援ネットワークにつなげることが期待されています。
重層的支援とは何か
重層的支援体制整備事業は、市町村が地域住民の複雑化した支援ニーズに対応するため、複数の支援を一体的に実施する仕組みです。
高齢者、障害者、子ども、生活困窮者といった従来の制度上の区分だけで支援するのではなく、本人や世帯が抱える問題をまとめて考えます。
例えば、認知症の高齢者と無職の子どもが同居している世帯があるとします。
高齢者には介護や認知症への支援が必要ですが、子どもには就労や生活困窮への支援が必要かもしれません。
家族全体を見ると、収入、介護、社会的孤立など複数の問題が重なっている可能性があります。
一つの窓口や一つの制度だけでは解決することが難しいケースです。
こうした問題について、複数の支援機関が連携して対応するのが重層的支援の基本的な考え方です。
従来の縦割り福祉との違い
日本の福祉制度は、それぞれの対象者に応じて専門的な制度を整備してきました。
高齢者には介護保険や高齢者福祉があります。
障害者には障害福祉があります。
子どもや子育て世帯には子育て支援があります。
生活に困っている人には生活困窮者自立支援制度などがあります。
それぞれの制度に専門性があることには大きな意味があります。
一方、問題が複数の分野にまたがると、どの窓口が中心となって対応するのか分かりにくくなることがあります。
相談者が複数の窓口を回らなければならなかったり、制度の対象から少し外れることで十分な支援を受けられなかったりすることもあります。
重層的支援体制整備事業では、相談者の問題を最初から特定の制度に当てはめるのではなく、まず相談を受け止め、その人や世帯にどのような支援が必要なのかを考えます。
制度を起点にするのではなく、人や世帯を起点にするところに特徴があります。
相談を断らず受け止める
重層的支援で重要になる考え方の一つが、属性を問わない相談支援です。
相談に来た人について、自分たちの担当分野ではないという理由だけで別の窓口へ送り出すのではなく、まず相談を受け止めます。
そのうえで、必要な支援機関につないだり、複数の機関が一緒に対応したりします。
例えば、銀行が高齢顧客について認知機能の低下を疑ったとしても、本人が抱えている問題が金融だけとは限りません。
預金管理が難しくなっている背景に、認知症、孤立、介護、生活困窮などが存在する可能性があります。
金融機関から福祉機関へつながった後、本人が抱える問題全体を見て支援を組み立てる必要があります。
その受け皿の一つとして重層的支援の仕組みが活用できます。
複数の支援機関をつなぐ
複雑な問題を抱えている人については、一つの機関だけで支援することが困難な場合があります。
そのため重層的支援体制整備事業では、複数の関係機関が連携して支援する仕組みが設けられています。
例えば、地域包括支援センターが高齢者の生活を支援し、社会福祉協議会が日常的な金銭管理を支援し、消費生活センターが悪質商法への対応を行うといった形です。
さらに医療機関や介護事業者などが関係する場合もあります。
重要なのは、それぞれの機関が別々に動くのではなく、本人が抱える問題について役割を分担することです。
支援の中心となる機関や担当者を明確にし、必要なサービスへつなげていきます。
支援会議の役割
重層的支援体制整備事業では、関係機関が情報を共有し、支援方法を検討するための支援会議という仕組みがあります。
支援が必要であるにもかかわらず、本人から支援を求めてこないケースは少なくありません。
特に認知機能が低下している高齢者の場合、自分が困っていることを十分に認識できなかったり、支援を拒否したりすることがあります。
こうした人を支援するためには、関係機関が持っている情報を持ち寄り、どのように本人へ働きかけるのかを検討する必要があります。
支援会議には法律上の守秘義務が設けられており、一定の仕組みのもとで本人の同意が得られていない段階でも必要な情報を共有し、支援方法を検討できます。
本人同意を得られなければ何もできないという状態を避け、支援からこぼれ落ちる人を減らすための仕組みです。
本人同意なしの情報共有には目的がある
支援会議で本人同意なしの情報共有が可能だからといって、関係者が自由に個人情報を交換できるという意味ではありません。
目的は、支援が必要な人を適切な支援につなげることです。
そのため、本人の状況を把握し、支援方法を検討するために必要な範囲で情報を取り扱う必要があります。
特に金融機関が参加する場合、預金や取引に関する情報は重要な個人情報です。
どの情報を共有する必要があるのかを慎重に判断することが求められます。
高齢者を守るための仕組みが、本人のプライバシーを必要以上に侵害するものになってはいけません。
支援の必要性と本人の権利の両方を考えることが重要です。
金融機関が参加する意味
金融機関は従来、福祉の支援ネットワークの中心的な存在ではありませんでした。
しかし、高齢化が進むにつれて銀行や信用金庫の役割も変化しています。
金融機関は、高齢者のお金の動きを通じて生活上の異変を発見できることがあります。
突然多額の現金を引き出すようになった、同じ振り込みを繰り返そうとする、公共料金の引き落としができなくなった、通帳を何度も紛失するといった変化です。
こうした変化の背景には、特殊詐欺だけでなく認知機能の低下や生活困窮、家族関係の問題などが隠れている場合があります。
金融機関だけで原因を調べ、生活を支援することはできません。
そこで金融機関が異変を発見し、福祉のネットワークへつなぐ役割が重要になります。
詐欺を止めるだけでは解決しない
金融機関の窓口で特殊詐欺を防げたとしても、それだけで問題が解決するとは限りません。
例えば、認知機能が低下した高齢者が犯人の指示に従って百万円を振り込もうとしたところ、銀行員が不審に思い、送金を止めたとします。
その日の被害は防げます。
しかし、本人が翌日別の金融機関から送金しようとすれば、再び被害に遭う可能性があります。
背景に認知機能の低下や社会的孤立があるなら、その問題に対応しなければ根本的な解決にはなりません。
地域包括支援センターや社会福祉協議会などにつなぎ、必要に応じて日常生活自立支援事業や成年後見制度などを検討する必要があります。
金融機関による発見を、継続的な生活支援につなげることが重要です。
制度ではなく本人を中心に考える
重層的支援体制整備事業の考え方は、高齢者支援に限ったものではありません。
重要なのは、困っている人を既存制度のどこに当てはめるのかだけを考えるのではなく、その人がどのような問題を抱えているのかを中心に考えることです。
高齢者の特殊詐欺被害も、単なる金融犯罪としてだけ見ると、送金を止めることが中心になります。
しかし、その背景に認知機能の低下、孤立、生活困窮などがあれば、福祉的な支援が必要です。
金融、介護、福祉、消費者行政などの境界を越えて支援することで、初めて問題全体に対応できる場合があります。
超高齢社会では、このような分野横断型の支援がますます重要になります。
結論
重層的支援体制整備事業は、介護、障害、子育て、生活困窮など、複数の分野にまたがる問題を地域全体で支援するための仕組みです。
従来の福祉制度の専門性を生かしながら、制度ごとの縦割りによって支援からこぼれ落ちる人を減らすことを目指しています。
高齢者の特殊詐欺対策でも重要な役割を果たす可能性があります。
金融機関が不自然なお金の動きなどから高齢者の異変に気付き、その情報を福祉につなぐことができれば、詐欺を止めるだけでなく、認知機能の低下や生活困窮、孤立といった背景にある問題への支援につなげられます。
支援会議などを通じて関係機関が必要な情報を共有し、それぞれの専門性を持ち寄ることも重要です。
金融の問題は金融機関だけ、介護の問題は介護機関だけと分けるのではなく、一人の高齢者が抱える生活上の問題として一体的に考えることが、これからの地域福祉に求められています。
参考
日本経済新聞 2026年8月18日朝刊 高齢者の詐欺被害防止、金融機関と福祉連携 本人同意なしで情報共有