企業が大きな利益を上げても、それが十分な賃上げにつながらなければ、家計への所得移転は進みません。
そこで税制を使って企業に賃上げを促すという考え方が出てきます。
その方法は大きく2つに分けることができます。
高い利益を残す企業の法人税負担を重くする方法と、賃上げを実施した企業の法人税負担を軽くする方法です。
前者が法人税の累進課税、後者が賃上げ促進税制という考え方です。
どちらも企業のお金を動かすことを狙いますが、その仕組みは大きく異なります。
法人税累進課税は利益を残すコストを高める
法人税の累進課税では、企業の所得が増えるにつれて高い税率を適用します。
利益が一定水準を超えれば法人税負担が大きくなるため、企業には利益をそのまま残す以外の選択肢を検討する動機が生まれます。
従業員の給与を増やす。
研究開発を増やす。
人材教育を充実させる。
事業上必要な支出を増やす。
こうした費用が増えれば課税所得は減少します。
つまり、利益を企業内部に残すことの税負担を重くすることで、資金を外へ動かそうとする仕組みです。
賃上げ促進税制は賃上げに恩恵を与える
これに対して賃上げ促進税制は発想が逆です。
企業が一定の賃上げを行った場合に、一定の要件のもとで法人税額から一定額を控除する仕組みです。
利益を残した企業に追加的な負担を求めるのではなく、政府が望ましいと考える行動を取った企業の税負担を軽くします。
企業から見ると、賃上げに必要なコストの一部を税制によって補う効果があります。
いわば法人税累進課税が負担を通じた誘導であるのに対し、賃上げ促進税制は優遇を通じた誘導です。
賃上げだけを狙うなら対象を絞りやすい
賃上げを増やすことだけが目的であれば、賃上げ促進税制には分かりやすい利点があります。
法人税累進課税によって企業の税負担を重くしても、企業がその資金を賃金に振り向けるとは限りません。
研究開発を増やすかもしれません。
広告宣伝を増やすかもしれません。
別の経費を増やす可能性もあります。
一方、賃上げ促進税制では、税制上の恩恵を受けるために賃金を増やす必要があります。
政策目的と企業行動を直接結び付けやすい点が特徴です。
すでに賃上げする企業まで減税される
ただし、賃上げ促進税制にも弱点があります。
税制がなくても賃上げする予定だった企業まで税額控除を受けられる可能性があることです。
例えば、人材獲得競争が激しいため、企業がもともと5%の賃上げを予定していたとします。
その企業が税制上の要件を満たせば、税額控除を受けられる場合があります。
しかし、その賃上げは税制があったから実施したものではありません。
政策によって新たに生まれた賃上げではないのに税収が減少することになります。
税制による誘導策では、こうした問題が常につきまといます。
赤字企業には法人税減税が効きにくい
もう1つ重要なのが赤字企業です。
法人税額から一定額を控除する仕組みでは、そもそも法人税を十分に負担していない企業には恩恵が及びにくくなります。
ところが、賃上げが必要なのは高収益企業だけではありません。
人手不足に直面している中小企業などでは、利益が十分に出ていなくても人材確保のために賃金を引き上げざるを得ない場合があります。
賃上げによる人件費負担は発生するのに、法人税を負担していなければ税額控除の効果を十分に受けられません。
税制だけで幅広い企業の賃上げを支援することが難しい理由の1つです。
累進課税なら高利益企業を狙える
法人税の累進課税には、賃上げ促進税制とは違う特徴があります。
高い利益を上げている企業に対象を絞りやすいことです。
十分な利益を上げながら資金を企業内部に蓄積している企業に対して、より高い税負担を求めることができます。
そこで企業が賃上げや成長投資を増やせば、課税所得も変化します。
一方、利益の少ない企業については低い税率を設定することもできます。
制度設計によっては、企業の負担能力に応じて税負担を再配分することが可能になります。
しかし利益の多さだけでは判断できない
問題は、利益が多い企業が必ずしも資金を余らせているとは限らないことです。
大規模な設備投資を予定している企業もあります。
巨額の研究開発費が必要な企業もあります。
将来の企業買収に備えている企業もあります。
業種によって必要な自己資金も大きく異なります。
単年度に資産売却などによって巨額の利益が発生する場合もあります。
利益額だけを基準として税率を上げると、積極的に成長しようとしている企業まで負担を重くする可能性があります。
累進課税には、こうした企業ごとの事情をどこまで反映するのかという難しい問題があります。
税率と税額控除では企業へのメッセージが違う
2つの税制は、企業に送るメッセージも異なります。
法人税累進課税は、高い利益をそのまま残せば税負担が重くなるという仕組みです。
賃上げ促進税制は、賃上げをすれば税負担を軽くするという仕組みです。
企業経営者の立場から見れば、後者の方が前向きな投資判断につながりやすい可能性があります。
一方、優遇措置だけを増やしていけば、税制は複雑になります。
どの企業がどの優遇措置を利用できるのかを判断するための事務負担も増加します。
税率を低くして税制を簡素化するのか、政策目的ごとに税額控除を設けるのかという問題にもつながります。
両方を組み合わせる考え方もある
法人税累進課税と賃上げ促進税制は、必ずしもどちらか一方だけを選ぶ必要はありません。
例えば、高利益企業について一定の税負担を求める一方、賃上げや研究開発、人材投資を積極的に行った企業には税額控除を認める方法があります。
利益をただ蓄積する企業と、利益を次の成長に再投資する企業の税負担に差をつける考え方です。
重要なのは、単に利益が大きい企業を増税することではありません。
企業が稼いだ資金を何に使ったかまで考える税制にすることです。
本当に必要なのは生産性を高める賃上げ
税制によって賃金を上げても、企業の生産性が上がらなければ継続することは難しくなります。
人件費だけが増え、企業の付加価値が増えなければ利益は減少します。
企業が利益を確保できなくなれば、その後の賃上げも続きません。
重要なのは、賃上げと同時に人材投資や設備投資、デジタル化、研究開発などを進めることです。
生産性が上がる。
企業の利益が増える。
賃金が上がる。
消費が増える。
企業の売上が増える。
さらに投資が増える。
税制に求められるのは、この循環を後押しすることです。
結論
賃上げ促進税制と法人税の累進課税には、それぞれ異なる特徴があります。
賃上げ促進税制は、賃金を増やした企業に直接的な税制上の恩恵を与えるため、賃上げという政策目的に狙いを定めやすい制度です。
一方、法人税の累進課税は、高利益企業により大きな負担を求めることで、企業に蓄積された資金を賃上げや成長投資へ動かす可能性があります。
どちらか一方だけで企業行動を大きく変えることは簡単ではありません。
重要なのは、利益を貯めた企業を単純に罰することでも、賃上げした企業を無条件に減税することでもありません。
企業が稼いだ利益を、人材、設備、研究開発など次の付加価値を生み出す分野へ振り向けるほど有利になる仕組みをつくることです。
法人税制の役割は税収を集めることだけではありません。
企業のお金を次の成長へ動かす仕組みをどう設計するかという視点が、これからますます重要になるのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月5日朝刊 「法人の累進課税で好循環 葭田英人氏」