全国の自治体が、地域経済の活性化を目的として創業支援に取り組んでいます。
起業家向けのオフィス提供、創業補助金、家賃補助、専門家による経営相談など、支援内容は多岐にわたります。
しかし、こうした支援に公的資金を投入する以上、その成果を客観的に検証することが欠かせません。
創業件数が増えたというだけでは、地域経済にどの程度の効果が生まれたのかを判断できないからです。
東京都荒川区の日暮里繊維街にある起業支援拠点「イデタチ東京」では、2021年の開設から5年間で13事業者が卒業し、そのうち9事業者が区内で事業を継続しています。
地域定着率は約69%です。
さらに、施設を卒業した事業者が区内に拠点を構える場合には、最長3年間、月5万円を上限とする家賃補助制度が設けられています。
こうした取り組みは、地域産業の再生につながる可能性があります。
一方、自治体には、施設運営費や補助金などの公的負担に対して、どのような経済効果が生まれたのかを検証する責任があります。
今回は、自治体の創業支援政策を費用対効果の観点から分析し、補助金の適切な評価方法について考えます。
創業件数だけでは政策の成果を測れない
自治体の創業支援では、創業件数や相談件数、支援施設の入居率などが成果指標として用いられることがあります。
これらは政策の実施状況を把握するうえで重要です。
しかし、創業件数が多いことと、地域経済が活性化することは必ずしも同じではありません。
例えば、ある自治体が年間20社の創業を支援したとします。
そのうち10社が数年以内に廃業し、5社が地域外へ移転した場合、地域に残る企業は5社です。
一方、別の自治体では年間10社の創業を支援し、そのうち8社が地域内で事業を継続しているとします。
創業件数だけを比較すれば、前者の方が成果を上げているように見えます。
しかし、地域に定着した企業数では後者が上回ります。
さらに、企業が地域に残っていても、十分な売上や利益を確保できていなければ、雇用や地域内取引の拡大につながらない可能性があります。
したがって、創業支援の成果を評価する際には、創業件数に加えて、事業継続率、地域定着率、雇用者数、売上高などを総合的に確認する必要があります。
公的資金の投入額を正確に把握する
費用対効果を評価するためには、まず政策に投入した費用を把握する必要があります。
創業支援施設の場合、費用は補助金だけではありません。
施設の整備費、維持管理費、運営委託費、専門家への報酬、設備更新費なども発生します。
また、自治体が保有する施設を市場価格より低い料金で貸し出している場合には、その経済的な支援効果も考慮する必要があります。
例えば、ある自治体が創業支援施設を運営するために、年間2,000万円を支出しているとします。
年間10社を支援している場合、単純計算では1社当たり年間200万円の公的負担です。
ただし、施設整備費を複数年にわたって配分する場合や、入居企業から利用料を徴収している場合には、実際の負担額は異なります。
また、支援企業が施設を利用する期間も企業ごとに違います。
そのため、費用を評価する際には、単年度の支出額だけでなく、施設の利用期間全体を通じた費用を把握することが重要です。
公的資金の投入額を明確にしなければ、政策の費用対効果を適切に判断することはできません。
家賃補助の経済効果をどう評価するか
荒川区では、イデタチ東京を卒業して区内に拠点を構える事業者に対し、最長3年間、月5万円を上限とする家賃補助制度を設けています。
仮に1社が毎月5万円の補助を36カ月間受けた場合、補助総額は180万円になります。
10社が同じ条件で補助を受ければ、総額は1,800万円です。
この金額は、自治体にとって公的負担となります。
一方、企業にとっては固定費の軽減につながります。
例えば、年間60万円の家賃補助を受けた企業が、その資金負担の軽減によって商品開発や販路開拓に取り組めれば、将来の売上拡大につながる可能性があります。
また、企業が地域内に拠点を維持することで、地元の不動産所有者や関連事業者にも経済効果が及ぶ場合があります。
ただし、家賃補助を受けた企業が地域に残ったとしても、それだけで補助金の効果があったと判断することはできません。
補助金がなくても同じ地域に定着していた可能性があるからです。
政策評価では、補助金によって追加的に生まれた成果を把握することが重要になります。
補助金の追加性という考え方
補助金の費用対効果を評価する際に重要なのが、追加性という考え方です。
追加性とは、政策を実施しなかった場合と比較して、どの程度の成果が新たに生まれたかという視点です。
例えば、ある創業企業が家賃補助を受けて地域内に定着したとします。
しかし、その企業が補助金を受けなくても地域内に残っていたのであれば、定着という成果に対する補助金の追加的な効果は限定的です。
一方、家賃負担が大きいため地域外への移転を検討していた企業が、補助金によって地域内で事業を継続できたのであれば、政策の追加的な効果があったと考えられます。
ただし、実際には補助金がなかった場合の企業行動を直接観察することはできません。
そのため、補助対象企業と条件の近い非対象企業を比較する方法などが考えられます。
また、補助金を受けた企業への調査によって、補助金が立地判断や事業継続に与えた影響を確認することも有効です。
もっとも、企業へのアンケートだけでは、回答者の主観が含まれる可能性があります。
複数の方法を組み合わせて評価することが望まれます。
地域経済への波及効果を考える
創業支援の効果は、支援を受けた企業だけにとどまりません。
企業が地域内で材料を仕入れたり、外注加工を依頼したりすることで、周辺企業にも経済効果が生まれる可能性があります。
日暮里繊維街では、生地や革、ボタンなどを扱う専門店が集まっています。
ファッション関連の創業企業が地域内で材料を調達すれば、既存の専門店にも新しい売上が生まれます。
例えば、創業企業10社がそれぞれ年間300万円の材料を地域内で購入した場合、地域内の仕入総額は3,000万円になります。
ただし、この3,000万円すべてが地域経済に新たに生み出された付加価値というわけではありません。
材料を販売する店舗にも仕入原価や経費が発生するからです。
また、創業企業が地域内で購入した材料が、従来から別の地域企業が購入していたものに置き換わっただけであれば、地域全体の純増効果は限定的になります。
したがって、地域経済への波及効果を評価する際には、売上高の増加だけでなく、地域内で新たに生み出された付加価値を把握することが重要です。
雇用創出効果をどう評価するか
創業支援の重要な政策目的の一つが、雇用の創出です。
新しい企業が成長すれば、従業員を雇用する可能性があります。
例えば、創業支援を受けた10社が、それぞれ平均2人の従業員を新たに雇用した場合、合計20人の雇用が生まれます。
ただし、雇用者数だけでは十分な評価になりません。
正社員なのか、短時間勤務の従業員なのかによって、雇用の内容は異なります。
また、賃金水準や雇用の継続期間も重要です。
さらに、地域外から従業員を採用した場合と、地域住民を雇用した場合では、地域への効果が異なることがあります。
地域経済の活性化を目的とするのであれば、雇用者数だけでなく、地域住民の所得増加や就業機会の拡大なども評価する必要があります。
ただし、地域外から人材が流入することにも、人口維持や地域消費の拡大といった効果が期待できます。
雇用創出の成果は、人数だけでなく、雇用の質や地域への影響を含めて判断することが重要です。
税収増加だけで政策を評価してはいけない
自治体が創業支援に公的資金を投入する場合、将来的な税収増加を期待することがあります。
企業が成長すれば、法人住民税や固定資産税などの税収につながる可能性があります。
また、従業員の所得が増えれば、個人住民税の増収も期待できます。
しかし、創業支援の費用対効果を税収増加だけで判断することには限界があります。
例えば、創業企業が地域内で雇用を生み出しても、従業員が別の自治体に居住していれば、個人住民税の所得割は原則として住所地の自治体に納められます。
また、法人住民税についても、企業の所得や事業所の状況などによって税額が異なります。
さらに、創業初期の企業は利益が少ない場合があり、税収への直接的な貢献がすぐに大きくなるとは限りません。
一方、地域内の雇用や取引の拡大、空き店舗の活用、地域ブランドの向上など、税収に直接表れにくい効果もあります。
したがって、創業支援の政策評価では、自治体の財政収支だけでなく、地域社会全体に生まれる便益を考慮する必要があります。
創業支援施設の成果を長期的に追跡する
創業支援の効果は、短期間では十分に把握できない場合があります。
創業直後の企業は、商品開発や顧客獲得に時間を要するため、売上や利益が安定しないことがあります。
一方、創業から5年、10年と経過するなかで、企業が成長し、雇用や地域内取引を拡大する可能性があります。
そのため、創業支援施設の成果を評価する際には、卒業時点だけでなく、その後の経営状況を追跡することが重要です。
例えば、卒業後1年、3年、5年の時点で、事業継続率、地域定着率、売上高、従業員数などを確認する方法が考えられます。
また、補助金の支給期間が終了した後も企業が地域内に残っているかを確認する必要があります。
補助期間中だけ地域に定着し、終了後に移転する企業が多ければ、長期的な政策効果は限定的です。
一方、補助終了後も地域内で成長を続ける企業が増えれば、創業支援が自立的な企業の育成につながっている可能性があります。
政策の成果は、支援期間中の数字だけでなく、支援終了後の企業行動によっても評価する必要があります。
自治体間で創業支援の成果を比較する際の注意点
創業支援政策の費用対効果を高めるには、他の自治体の取り組みを参考にすることも重要です。
ただし、創業件数や地域定着率を単純に比較することは適切ではありません。
地域によって産業構造や人口規模、不動産賃料、交通条件などが異なるからです。
例えば、東京都心部と地方都市では、起業家が利用できる市場や人材の規模が違います。
また、IT企業を中心に支援する施設と、製造業を中心に支援する施設では、必要な設備や事業の成長速度も異なります。
そのため、政策評価では、地域特性や支援対象業種などを考慮する必要があります。
さらに、支援施設の運営費が高いからといって、必ずしも非効率とは限りません。
専門設備を必要とする製造業向け施設では、一般的なオフィス型施設より運営費が高くなることがあります。
重要なのは、投入した費用に対して、政策目的に沿った成果が生まれているかどうかです。
費用対効果を高めるための制度設計
創業支援政策の費用対効果を高めるためには、制度設計の段階から成果を意識することが重要です。
第一に、政策目的を明確にする必要があります。
創業件数を増やすことが目的なのか、地域産業の維持が目的なのか、雇用創出が目的なのかによって、適切な支援方法は異なります。
第二に、支援対象を適切に選定する必要があります。
地域産業との関連性や事業計画の実現可能性などを考慮することが重要です。
第三に、補助金だけでなく、経営支援を組み合わせる必要があります。
資金を提供しても、経営者の能力が不足していれば、事業継続につながらない可能性があります。
第四に、支援終了後の自立を促す仕組みが必要です。
補助金に依存する企業を増やすのではなく、補助金がなくても利益を確保できる企業を育成することが重要です。
第五に、政策の成果を定期的に検証し、必要に応じて制度を見直すことです。
成果の乏しい支援方法を継続するのではなく、効果の高い取り組みに資源を集中させることが求められます。
結論
自治体の創業支援政策では、創業件数や相談件数だけでなく、公的資金の投入に対してどのような地域経済効果が生まれたのかを検証することが重要です。
東京都荒川区の日暮里繊維街で進められているファッション特化型の起業支援は、地域産業との親和性を重視し、創業企業の地域定着を促す取り組みです。
開設から5年間で13事業者が卒業し、そのうち9事業者が区内で事業を継続していることは、地域定着という観点から注目されます。
しかし、この実績だけで政策の費用対効果が高いと結論付けることはできません。
施設運営費や家賃補助などの公的負担に対して、どの程度の雇用、付加価値、地域内取引などが新たに生まれたのかを確認する必要があります。
また、補助金がなくても実現していた成果と、補助金によって追加的に生まれた成果を区別することも重要です。
人口減少や財政制約が進む日本では、自治体がすべての企業を長期間支援し続けることは困難です。
限られた公的資金を有効に活用するためには、政策目的を明確にし、成果を継続的に検証する姿勢が求められます。
創業支援の成功とは、補助金を多く支給することでも、創業件数を増やすことだけでもありません。
公的支援をきっかけとして、自立的に成長する企業が生まれ、地域経済に持続的な価値をもたらすことです。
その成果を客観的に評価する仕組みを整えることが、これからの自治体の産業政策にとって重要になると考えられます。
参考
日本経済新聞 2026年10月16日 繊維の街・日暮里発、ファッション特化の起業支援 手厚い伴走で定着