企業の会計監査では、公認会計士が経営者や経理担当者からさまざまな説明を受けます。
売上高はなぜ増えたのか、在庫は適切に評価されているのか、固定資産の減損は必要ないのか、将来の事業計画には合理性があるのか。
こうした質問に対して、会社側から詳しい説明が行われます。
しかし監査人は、その説明をそのまま信じて監査を終えることはできません。
そこで重要になるのが「職業的懐疑心」です。
会計不正への対応を強化する監査基準の改正でも、この姿勢が重要になります。
職業的懐疑心とは何か
職業的懐疑心とは、監査人が監査証拠を批判的に評価し、疑問を感じるべき状況に注意しながら監査を行う姿勢です。
簡単にいえば「本当にそうなのか」と考え続ける姿勢です。
ただし、経営者は必ずうそをついていると最初から決めつけるという意味ではありません。
経営者の説明を無条件に信用するのでも、最初から不正を行っていると決めつけるのでもありません。
客観的な証拠を集めながら、その説明が合理的なのかを検証することが求められます。
なぜ経営者への質問だけでは足りないのか
監査では経営者への質問が重要な監査手続きの一つになります。
しかし、質問して回答を得ただけでは十分な監査証拠にならない場合があります。
例えば、会社の経営者が「この売上は実際に発生しています」と説明したとします。
監査人は、その説明だけで売上が正しいと判断するわけにはいきません。
契約書や注文書、納品書、請求書、入金記録などを確認する必要があります。
場合によっては、取引先に直接問い合わせて取引残高を確認することもあります。
会社内部の説明だけでなく、客観的な証拠によって裏付けることが重要なのです。
不正では経営者自身が関与することがある
職業的懐疑心が特に重要になるのが、不正リスクを検討するときです。
単純な会計ミスと不正には大きな違いがあります。
会計ミスは意図せず発生します。
一方、不正は意図的に行われます。
不正を行う人は、発見されないように隠そうとする可能性があります。
さらに深刻なのが、経営者自身が不正に関与するケースです。
経営者は会社内部で大きな権限を持っています。
本来なら不正を防止する内部統制が整備されていても、経営者がその仕組みを意図的に無効化する可能性があります。
だからこそ監査人は、経営者から説明を受けたという事実だけで判断することができません。
経営者には数字を良く見せたい動機が生まれることがある
経営者が必ず不正をするわけではありません。
しかし、経営環境によっては決算数字を良く見せたいという強いプレッシャーが生まれることがあります。
例えば、会社が非常に高い業績目標を掲げている場合です。
目標未達によって経営責任を問われる可能性があれば、利益を少しでも大きく見せたいという誘惑が生じることがあります。
銀行との融資契約、株式市場からの評価、役員報酬、社内の業績評価などがプレッシャーになることも考えられます。
その結果、売上高の前倒し計上や費用計上の先送りなどが行われれば、財務諸表は実態とは異なる姿になります。
監査人は、数字そのものだけではなく、こうした不正を誘発する背景にも注意を払う必要があります。
矛盾する証拠を無視してはいけない
職業的懐疑心を考えるうえで重要なのが、自分の考えに都合のよい証拠だけを集めないことです。
例えば、経営者が「来年度からこの事業の業績は大幅に回復します」と説明したとします。
その事業計画を支持する資料がいくつか見つかったとしても、それだけで判断してはいけません。
市場が縮小している、主要顧客を失っている、販売数量が減っているといった反対方向の証拠があれば、それも検討する必要があります。
今回の不正に関する監査基準の改正案でも、経営者の主張を裏付ける証拠を入手するとともに、矛盾する証拠を除外する方向に偏らないよう監査手続きを行うことが示されています。
監査人にとって「自分が最初に考えた結論に合う証拠だけを見る」という姿勢は危険なのです。
会計上の見積もりでは特に重要になる
職業的懐疑心は、会計上の見積もりを監査するときにも重要です。
決算書には、単純な足し算だけでは決められない数字が数多くあります。
固定資産の減損、のれんの評価、貸倒引当金などが代表例です。
これらには将来の売上高や利益、キャッシュフローなどについて経営者の見積もりが入ります。
将来の数字には絶対的な正解がありません。
だからこそ、経営者が楽観的な前提を置けば利益を大きく見せられる場合があります。
監査人は、その前提が過去の実績や市場環境などと比べて合理的なのかを検討する必要があります。
不正の疑いを把握すれば追加手続きが必要になる
日本公認会計士協会が進める監査基準報告書240号「財務諸表監査における不正」の改正では、不正や不正の疑いを把握した場合の監査手続きも明確になります。
明らかに軽微なものを除き、追加的な監査手続きなどを実施することが想定されています。
会社が不正について内部調査を行っている場合でも「会社が調査したから問題ない」で終わるわけではありません。
その調査や是正措置が適切なのかを監査人自身が評価する必要があります。
職業的懐疑心は、不正を発見する瞬間だけに必要なものではありません。
監査計画を作る段階から証拠を評価し、最終的な監査意見を形成するまで、一貫して求められる基本姿勢なのです。
投資家にも通じる考え方
職業的懐疑心は公認会計士だけの考え方ではありません。
企業分析をする投資家にも参考になります。
会社が発表する決算説明資料には、業績が伸びた理由や将来の成長戦略などが書かれています。
もちろん重要な情報ですが、会社側の説明だけで判断する必要はありません。
売上高が急増しているなら、売掛金や営業キャッシュフローはどうなっているのか。
大型買収によって成長しているなら、のれんは増えていないのか。
将来の高い成長率を前提としているなら、その根拠は何なのか。
会社の説明を否定するのではなく、別の数字や情報から確認する姿勢は企業分析でも役立ちます。
結論
職業的懐疑心とは、監査人が「本当にそうなのか」という意識を持ち、監査証拠を批判的に評価する姿勢です。
経営者の説明を最初から疑ってかかるという意味ではありません。
しかし、その説明を無条件に信じることもしません。
客観的な証拠によって説明を裏付け、反対方向の証拠があれば、それについても検討します。
特に会計不正では、不正を行った人が意図的に証拠を隠したり、経営者自身が内部統制を無効化したりする可能性があります。
そのため職業的懐疑心は、監査の信頼性を支える基本的な考え方になります。
2028年3月期から適用が見込まれる不正に関する監査基準の改正によって、監査人が不正リスクをどのように評価し、どのような証拠を集めたのかという点は、これまで以上に重要になるでしょう。
監査とは、会社の説明を確認するだけの仕事ではありません。
説明と証拠を突き合わせ「本当にこの決算数字でよいのか」を最後まで問い続ける仕事なのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月12日 朝刊 監査報告書、不正リスク記載