中小企業の事業承継では、後継者が多額の自社株を相続したものの、相続税を納付するための現金が不足することがあります。
自社株は会社の経営権を維持するために重要な財産ですが、上場株式のように市場で簡単に売却できるものではありません。
そこで検討されるのが、相続した自社株を発行会社自身に売却する方法です。
会社が自社の株式を買い取ることを、自己株式の取得といいます。
一般に金庫株と呼ばれることもあります。
しかし、個人株主が自社株を会社に売却する場合には、通常の株式譲渡とは異なる税務上の問題が生じます。
それが、みなし配当課税です。
一方、相続によって取得した非上場株式については、一定の要件を満たすことで、みなし配当課税を適用しない特例が設けられています。
さらに、相続税の取得費加算の特例を組み合わせることで、譲渡所得に対する税負担を軽減できる場合があります。
今回は、租税特別措置法第9条の7と第39条を中心に、自社株の自己株式取得に関する税務上の重要論点を解説します。
自社株を会社に売却する金庫株とは何か
自己株式の取得とは、株式会社が自社の発行済株式を株主から取得することです。
例えば、父親が非上場会社の株式を100%保有していたとします。
父親が死亡し、長男がその株式を相続しました。
しかし、長男には相続税を納付するための十分な預貯金がありません。
そこで、長男が相続した株式の一部を会社に売却し、会社から現金を受け取ることを検討します。
会社は自己株式を取得し、長男は売却代金を納税資金に充てます。
この方法を利用すれば、外部の第三者に株式を売却することなく、納税資金を確保できる可能性があります。
ただし、会社が自己株式を取得するためには、会社法上の手続が必要です。
また、会社に十分な資金がなければ、株式を買い取ることはできません。
自己株式の取得は、税務だけでなく、会社の資金繰りや財務内容にも影響する取引です。
通常の自己株式取得ではみなし配当が生じる
個人株主が株式を発行会社に売却した場合、税務上は注意が必要です。
通常の株式譲渡であれば、売却代金から取得費などを差し引いた譲渡益に対して課税されます。
しかし、発行会社が自己株式を取得する場合には、会社から株主に交付される金銭の一部が、配当とみなされることがあります。
所得税法第25条では、自己株式の取得などに伴って株主が受け取る金銭について、一定の金額をみなし配当として取り扱うことを定めています。
具体的には、会社から交付された金銭が、その株式に対応する資本金等の額を超える場合、その超過部分が原則としてみなし配当になります。
例えば、会社が株主から株式を5,000万円で買い取ったとします。
その株式に対応する資本金等の額が1,000万円であれば、差額の4,000万円がみなし配当となる可能性があります。
非上場会社のみなし配当は、原則として総合課税の対象になります。
所得が多い人の場合、所得税と住民税を合わせた限界税率が高くなることがあります。
このため、自己株式取得では、みなし配当課税の有無が税負担を大きく左右します。
相続した自社株には特別な取扱いがある
相続によって取得した非上場株式については、みなし配当課税の特例が設けられています。
根拠となるのが、租税特別措置法第9条の7です。
この特例は、相続または遺贈によって取得した一定の非上場株式を、その発行会社に譲渡した場合に適用されます。
一定の要件を満たすと、通常であればみなし配当となる部分について、所得税法第25条の規定が適用されません。
その結果、会社から受け取った金銭の全額を、株式の譲渡所得に係る収入金額として取り扱います。
非上場株式の譲渡益は、原則として申告分離課税の対象です。
税率は、所得税、復興特別所得税、住民税を合わせて20.315%です。
したがって、みなし配当課税の特例を適用できれば、総合課税による高い税負担を回避できる場合があります。
ただし、受け取った金銭の全額に20.315%を乗じるわけではありません。
譲渡所得は、譲渡収入から取得費や譲渡費用などを差し引いて計算します。
みなし配当特例の適用要件
租税特別措置法第9条の7の適用には、いくつかの重要な要件があります。
まず、対象となる株式は、相続または遺贈によって取得した一定の非上場株式であることが必要です。
次に、その相続について、相続税法の規定により納付すべき相続税額があることが求められます。
また、株式を売却する相手は、その株式を発行した非上場会社でなければなりません。
第三者に株式を売却する場合には、この特例の対象にはなりません。
さらに、株式の譲渡期限が定められています。
原則として、相続開始の日の翌日から、相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までに譲渡する必要があります。
一般的な相続税申告期限は、相続開始を知った日の翌日から10カ月以内です。
そのため、通常は相続開始から約3年10カ月以内という期間が目安になります。
ただし、申告期限に特別な事情がある場合には、実際の期限を個別に確認する必要があります。
届出書の提出を忘れてはいけない
みなし配当課税の特例では、期限内に株式を売却するだけでは不十分です。
租税特別措置法施行令第5条の2では、特例の適用を受けるための届出手続が定められています。
特例を利用する個人は、対象株式を発行会社に譲渡する時までに、特例の適用を受ける旨などを記載した書面を発行会社を経由して提出する必要があります。
発行会社は、その書面を受け取ったうえで、自己株式取得に関する必要事項を記載した書類とともに、原則として取得年の翌年1月31日までに所轄税務署長へ提出します。
つまり、株主だけでなく、株式を買い取る会社にも手続上の役割があります。
税務特例の適用を予定していたとしても、必要な届出を失念すると、想定した税務処理が認められない可能性があります。
自己株式取得を実行する前に、税理士と会社の経理担当者が手続を確認することが重要です。
相続税の取得費加算とは何か
自社株を会社に売却する場合には、もう一つ重要な特例があります。
それが、相続税の取得費加算の特例です。
根拠となるのは、租税特別措置法第39条です。
この特例は、相続または遺贈によって取得した一定の財産を、所定の期間内に譲渡した場合に適用されます。
相続税を負担して取得した財産について、その相続税額のうち一定の金額を、譲渡所得の計算上、取得費に加算できる制度です。
例えば、相続によって取得した株式を売却した場合を考えます。
通常であれば、譲渡収入から株式の取得費などを差し引いて譲渡所得を計算します。
しかし、取得費加算の特例を適用できれば、相続税額のうち一定の金額を取得費に加えることができます。
その結果、譲渡所得が減少し、所得税や住民税の負担を軽減できる場合があります。
ただし、取得費に加算できる相続税額には計算上の限度があります。
また、譲渡所得の金額を超えて取得費加算額を控除できるわけではありません。
みなし配当特例と取得費加算は併用できる
今回の講義資料で重要なのは、みなし配当特例と相続税の取得費加算特例を併用できるという点です。
例えば、相続した自社株を発行会社に売却した場合を考えます。
まず、租税特別措置法第9条の7を適用することで、会社から受け取った金銭の全額を株式の譲渡収入として取り扱います。
次に、租税特別措置法第39条を適用することで、一定の相続税額を取得費に加算します。
その結果、みなし配当課税を回避しながら、譲渡所得の課税対象額も減らせる可能性があります。
ただし、両方の特例について、それぞれの適用要件を満たす必要があります。
一方の特例を適用できるからといって、もう一方の特例も自動的に適用されるわけではありません。
相続時精算課税で贈与された株式にも適用できる
ここで、今回の講義資料に紹介された失敗事例を確認します。
父親は、非上場会社の株式100%を保有していました。
株式の相続税評価額は10億円でした。
父親は事業承継税制の特例措置を利用して、長男に自社株を贈与しました。
贈与税の納税猶予を受けるとともに、相続時精算課税制度も利用しました。
その3年後、父親が死亡しました。
長男は相続税の納税猶予を選択せず、相続税を納付することにしました。
そこで、納税資金を確保するため、会社に自社株を売却する自己株式取得を実行しました。
ところが、顧問税理士は、長男が株式を相続ではなく贈与によって取得していたことから、みなし配当特例と取得費加算特例は適用できないと判断しました。
しかし、この判断は誤りでした。
みなし相続にも特例が適用される
租税特別措置法第9条の7では、相続または遺贈による財産取得について、相続税法などの規定によって相続または遺贈による取得とみなされる場合も含めています。
そのため、相続時精算課税制度によって贈与された株式であっても、特定贈与者の死亡により相続税の課税価格に取り込まれる場合には、一定の要件のもとでみなし配当特例の対象になります。
また、事業承継税制の一般措置や特例措置によって、贈与者の死亡時に相続または遺贈によって取得したものとみなされる株式についても、特例の対象となり得ます。
相続税の取得費加算特例についても、一定の要件を満たせば適用できます。
つまり、株式を生前贈与によって取得したという事実だけで、これらの特例を適用できないと判断することは誤りです。
重要なのは、贈与者の死亡によって、相続税法上どのような取扱いを受けるかという点です。
この違いを理解していなければ、適用できる税務特例を見落としてしまう可能性があります。
自己株式取得では会社法上の手続も必要
自己株式の取得は、税務上の要件だけで実行できるものではありません。
会社法上の手続も必要です。
例えば、特定の株主から自己株式を取得する場合には、株主総会の決議などが必要になることがあります。
また、他の株主に売主追加請求権が認められる場合もあるため、株主構成によって手続が異なります。
さらに、会社が自己株式を取得する際には、財源規制にも注意が必要です。
会社法第461条では、一定の自己株式取得について、交付する金銭等の額が分配可能額を超えてはならないと定めています。
会社に現金が十分にあったとしても、分配可能額が不足していれば、予定どおり自己株式を取得できない可能性があります。
自己株式取得を実行する際には、税務、法務、財務の3つの観点から検討する必要があります。
会社の資金繰りへの影響も考える
自社株を会社に売却すれば、株主は現金を取得できます。
しかし、その現金は会社から流出します。
例えば、会社が後継者から自社株を2億円で買い取った場合、会社は2億円の資金を支出することになります。
会社の預貯金が十分であれば問題が少ないかもしれません。
しかし、事業運営に必要な資金まで自己株式取得に充てると、運転資金が不足する可能性があります。
そのため、自己株式取得を検討する際には、会社の資金繰り表や将来の設備投資計画を確認することが重要です。
また、金融機関からの借入れによって自己株式取得の資金を確保する場合には、借入金の返済計画も必要です。
相続税の納税資金を確保するために、会社の経営基盤を弱めてしまっては本末転倒です。
自己株式取得の価格にも注意が必要
非上場株式には市場価格がありません。
そのため、会社が自己株式を取得する際には、適正な取得価格を慎重に検討する必要があります。
相続税評価額と、自己株式取得における税務上の適正な時価が、必ずしも一致するとは限りません。
取得価格が適正な時価と大きく異なる場合には、法人税や所得税などの課税関係が問題になる可能性があります。
また、株主間の公平性にも配慮が必要です。
例えば、後継者だけが高い価格で自社株を会社に売却した場合、他の株主との間で問題が生じることがあります。
自己株式取得の価格は、税務上の評価だけでなく、会社法上の手続や株主間の利害関係も踏まえて決定する必要があります。
税務特例を利用する際の実務上の確認事項
自己株式取得による納税資金対策を検討する場合には、まず対象株式の取得経緯を確認することが重要です。
相続によって取得した株式なのか、遺贈によって取得した株式なのか、相続時精算課税による贈与株式なのかを整理します。
次に、相続税の課税価格に算入されているかどうかを確認します。
さらに、相続税の納付税額があるかどうかも確認します。
また、株式の譲渡期限と届出書の提出期限を確認する必要があります。
取得費加算の特例についても、適用期限や取得費に加算できる相続税額を計算します。
会社側では、分配可能額、資金繰り、株主総会決議などの会社法上の手続を確認します。
これらを事前に整理しておくことで、自己株式取得を実行した後に税務特例が適用できないという事態を防ぎやすくなります。
結論
相続した非上場会社の株式を発行会社に売却する方法は、相続税の納税資金を確保するための有力な選択肢です。
しかし、通常の自己株式取得では、会社から受け取る金銭の一部がみなし配当となり、総合課税の対象になる可能性があります。
この問題に対応するため、租税特別措置法第9条の7では、一定の要件を満たす相続株式について、みなし配当課税を適用しない特例が設けられています。
さらに、租税特別措置法第39条の取得費加算特例を併用できれば、譲渡所得に対する税負担を軽減できる場合があります。
重要なのは、相続時精算課税制度や事業承継税制によって贈与された株式であっても、贈与者の死亡によって相続または遺贈による取得とみなされる場合には、これらの特例が適用され得るという点です。
生前贈与によって取得した株式だからという理由だけで、特例の適用を否定してはいけません。
また、自己株式取得では、税務上の要件に加えて、会社法上の手続、分配可能額、取得価格、会社の資金繰りを確認する必要があります。
事業承継における納税資金対策は、単に現金を確保すればよいというものではありません。
後継者の税負担と会社の経営基盤を両立させることが重要です。
自己株式取得を活用する際には、税務特例の適用要件を正確に理解し、事前の計画と手続を徹底することが求められます。
参考
東京地方税理士会 2026年7月28日 講義資料 条文から紐解く民法・相続税法の論点検証 木下勇人氏
所得税法第25条
租税特別措置法第9条の7、第39条
租税特別措置法施行令第5条の2
相続税法第21条の14から第21条の18
会社法第156条、第160条、第461条
国税庁 相続財産に係る非上場株式を発行会社に譲渡した場合の課税の特例
国税庁 相続財産を譲渡した場合の取得費の特例