監査では長年、膨大な取引の中から一部を抽出して確認する方法が使われてきました。
巨大企業では年間に何百万件、何千万件という取引が行われることがあります。
人間がすべての伝票を1件ずつ確認することは現実的ではありません。
ところがデータ分析技術や生成AIの発達によって、この前提が変わり始めています。
大量の取引データをコンピューターで分析し、不自然な取引を抽出することが可能になってきたからです。
将来は一部を抽出して確認する監査から、全件データを分析したうえで異常な取引を人間が詳しく調べる監査へと比重が移っていく可能性があります。
では生成AIによって、粉飾決算を完全に見抜けるようになるのでしょうか。
そこには大きな可能性と同時に限界もあります。
従来の監査ではすべての取引を確認できない
企業の取引件数が少なければ、すべてを確認することも考えられます。
しかし大企業ではそうはいきません。
売上。
仕入れ。
経費。
入出金。
在庫。
固定資産。
世界中の子会社で毎日大量の取引が発生します。
そこで監査では、重要性やリスクを考えながら確認する取引を選びます。
一定の条件によって取引を抽出し、証拠を確認する方法などが使われます。
合理的な方法ですが、確認対象にならなかった取引の中に不正が隠れている可能性は残ります。
全件データ分析で監査の考え方が変わる
デジタル化によって企業の取引情報が電子データとして蓄積されるようになりました。
これによって大量の取引を機械的に分析しやすくなっています。
例えば年間1,000万件の仕訳があったとしても、コンピューターであれば一定の条件に基づいて全件を分析できます。
決算直前に入力された巨額の仕訳。
通常使われない勘定科目の組み合わせ。
休日や深夜に入力された取引。
特定の担当者に集中している修正仕訳。
通常とは異なる承認経路を通った取引。
過去の傾向から大きく外れた取引。
こうした異常を機械的に抽出することができます。
監査人は大量の正常な取引を同じように確認するのではなく、異常な取引へ重点的に時間を使えるようになります。
売上の前倒しもデータから探せる
前回まで取り上げてきた売上の水増しでも、データ分析は有効です。
例えば3月決算の企業で、毎年3月末だけ売上が急増していたとします。
特に3月30日と31日に売上が集中している。
しかも4月になると返品や取消処理が大量に発生している。
こうしたパターンがあれば、売上の前倒しなどを疑う手掛かりになります。
取引件数が数百万件あっても、データ分析なら決算日前後の取引をまとめて調べることができます。
人間が帳簿を順番に読むだけでは見つけにくかったパターンを発見できる可能性があります。
AIは人間が気付かない組み合わせを探せる
従来のデータ分析では、
1億円以上の取引を抽出する、
決算日直前の仕訳を抽出する、
といった人間が設定した条件による分析が中心になります。
AIを利用すると、より複雑なパターンを探せる可能性があります。
金額。
日時。
取引先。
担当者。
勘定科目。
承認者。
過去の取引履歴。
さまざまな情報を組み合わせ、
通常の取引とは何かが違う、
という異常を見つけることが考えられます。
人間が最初から不正の方法を想定できていなくても、異常な取引を発見する手掛かりを得られる可能性があります。
生成AIは文書の分析にも使える
監査で扱うのは数字だけではありません。
契約書。
取締役会議事録。
稟議書。
メール。
社内規程。
事業計画。
大量の文章情報もあります。
生成AIはこうした非構造化データを扱うことを得意としています。
例えば大量の契約書から特殊な条件を含む契約を探す。
議事録から重要な取引に関する記述を抽出する。
契約内容と会計処理の間に矛盾がないかを調べる。
こうした作業を支援できる可能性があります。
人間が大量の文書を最初から最後まで読む作業を補助することで、監査人が重要な判断へ時間を使いやすくなります。
不正を完全に自動発見できるわけではない
ただし、
AIを使えば粉飾決算をすべて発見できる、
と考えるのは危険です。
AIが分析するのは基本的に与えられたデータです。
もし元のデータ自体が偽造されていたらどうでしょうか。
システム上ではマンションが完成したことになっている。
引き渡し済みというデータも登録されている。
売上も適切に記録されているように見える。
しかし現実の建設現場では、まだ建物が完成していない。
このような場合、データだけを分析していても不正を見抜けない可能性があります。
恒大問題がAI監査の限界を示している
中国恒大問題では、監査記録と実際の不動産開発現場の状況が一致していなかったことが問題になりました。
中国当局の指摘では、検査した開発案件の88%で監査記録と実態が一致していなかったとされています。
さらに、更地のような状態にもかかわらず、引き渡し可能として扱われたケースも指摘されました。
ここにはAI監査を考える重要なヒントがあります。
AIがどれほど高度になっても、
現実の建物が本当に完成しているのか、
という事実そのものを正確な情報として取り込めなければ、適切な判断はできません。
データの世界と現実の世界をつなぐ作業は、これからも監査で重要になります。
AIが異常を見つけても最後は人間が判断する
AIが、
この取引は異常です、
と示したとしても、それだけで粉飾とは判断できません。
通常とは違う取引でも、合理的な理由がある場合があります。
大型M&A。
新規事業。
事業売却。
災害。
為替変動。
新しい販売方法。
企業活動では過去と違うことが常に起こります。
AIは異常を見つけることは得意でも、その異常に正当な理由があるのかを判断するには企業の事業内容を理解する必要があります。
最終的な監査判断は、人間の専門家が監査証拠を踏まえて行うことが重要です。
AIの誤りを監査人が見抜く必要もある
生成AIには、もっともらしい誤った回答を出す可能性があります。
監査のように高い信頼性が求められる業務では、
AIがそう判断したから正しい、
では済みません。
どのデータを使ったのか。
分析方法は適切なのか。
重要な情報が抜けていないか。
結果を再現できるのか。
人間による検証が必要です。
監査人がAIを使う時代には、企業の数字だけでなく、AIが出した結果についても職業的懐疑心を持つ必要があります。
AIによって監査人の仕事はなくなるのか
AIによって監査業務の一部は大きく効率化される可能性があります。
大量データの整理。
異常取引の抽出。
文書の検索。
過去データとの比較。
こうした作業は機械との相性が良い分野です。
一方で、
なぜこの取引が行われたのか、
経営者の説明は信用できるのか、
追加の監査手続が必要なのか、
どの証拠を重視するのか、
最終的にどの監査意見を表明するのか、
といった判断は簡単には自動化できません。
AIによって監査人が不要になるというより、監査人が行う仕事の中心が変わると考えた方が自然です。
サンプルを見る監査から異常を追う監査へ
監査のデジタル化が進めば、
大量の取引から一部を選んで確認する、
という考え方から、
まず全件を分析し、異常な取引を絞り込んで詳しく確認する、
という方法が広がる可能性があります。
これは監査人の時間の使い方を大きく変えます。
単純な照合作業を減らし、異常の原因を考える仕事へ時間を振り向けられるからです。
監査人に求められる能力も変わります。
会計や監査の知識だけではありません。
データ分析。
IT。
AI。
企業のビジネスモデル。
そして、異常な数字の背景を考える力です。
AI時代ほど職業的懐疑心が重要になる
AIが大量の情報を処理してくれるようになると、人間はAIの結果を信じたくなります。
しかし監査で最も危険なのは、
問題なしと表示されたから問題ない、
と考えてしまうことです。
企業の説明を疑うだけではありません。
監査システムの結果。
データ分析の結果。
AIの回答。
これらについても、
本当にそうなのか、
と考える必要があります。
技術が高度になるほど、最後に必要になるのは人間の職業的懐疑心なのです。
結論
生成AIやデータ分析は、監査法人の不正発見力を高める大きな可能性を持っています。
数百万件、数千万件の取引を分析し、人間では気付きにくかった異常を発見できるようになるからです。
売上の前倒し。
不自然な修正仕訳。
異常な取引先。
決算直前の取引集中。
大量の文書に隠れた特殊な契約条件。
こうしたものを効率的に探せるようになれば、監査は大きく変わります。
しかしAIは万能ではありません。
元になるデータが間違っていれば、AIも正しい結論には到達できません。
中国恒大問題が示しているように、帳簿やデータと現実の建設現場が一致しているのかを確認することは依然として重要です。
AIが異常を探す。
人間が理由を考える。
必要なら現場を見る。
証拠を集める。
そして最後は人間が責任を持って判断する。
生成AI時代の監査では、機械と人間のどちらかを選ぶのではなく、それぞれの強みを組み合わせることが重要になります。
監査技術がどれほど進歩しても、最後に問われるのは、
その数字は本当に企業の実態を表しているのか、
という監査の原点なのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月29日朝刊 恒大不正、逃げられぬPwC