日本では新NISAの普及によって、家計の預貯金を投資へ振り向ける動きが進んでいます。
政府が掲げる資産運用立国にとって、これは重要な変化です。
しかし家計のお金が投資へ動けば、それだけで日本の資本市場が強くなるわけではありません。
投資家は日本株だけでなく、米国株や世界株へ自由に投資できます。
一方、企業側も必ず東京証券取引所へ上場しなければならず、海外市場を選ぶことができます。
日本の投資資金が海外企業へ向かい、日本の成長企業まで海外市場へ上場する。
この二つが同時に進めば、日本国内の資本市場から企業と資金の双方が流出する可能性があります。
これが資本市場の空洞化を考えるうえで重要な問題です。
資本市場の空洞化とは何か
資本市場の空洞化について、明確な一つの定義があるわけではありません。
一般的には、国内の企業や投資家が海外市場を選ぶことで、国内市場の資金調達や株式売買などの機能が相対的に弱くなっていく状態を考えることができます。
例えば、
成長企業が海外市場へ上場する
国内投資家が海外株へ資金を移す
国内市場の売買が減少する
魅力的な新規上場企業が減る
といった動きが重なるケースです。
重要なのは単純に海外投資が増えること自体が問題なのではないという点です。
国際分散投資は投資家にとって合理的な資産運用でもあります。
問題になるのは、国内市場が企業や投資家から選ばれなくなり、市場としての機能や存在感が低下していくことです。
投資資金はすでに国境を越えている
かつて日本の個人投資家にとって、株式投資といえば日本株が中心でした。
海外株を購入するには情報収集や取引手続きなどに高いハードルがありました。
現在では状況が違います。
ネット証券から米国株を簡単に購入できます。
投資信託を利用すれば、円で世界中の株式へ分散投資できます。
財務省によると、投資信託を経由した海外株の売買代金は2025年に77兆円となり、5年前のおよそ2倍に増えました。
家計の投資資金は、すでに国内市場だけにとどまるものではなくなっています。
新NISAの資金も日本株に限定されない
新NISAは家計の長期的な資産形成を支援する制度です。
しかし投資対象は日本株に限定されていません。
S&P500など米国株指数に連動する投資信託や、全世界株式へ投資する商品も利用されています。
つまり新NISAによって、
預貯金から投資へ
という流れが強まっても、
預貯金から日本株へ
という流れになるとは限りません。
家計が合理的に世界分散投資を進めれば、その一部は当然海外企業へ向かいます。
資産運用政策と国内資本市場政策には、この違いがあります。
海外投資そのものは悪いことではない
ここは重要です。
日本人が米国株や世界株へ投資すること自体を、資本流出として否定的に考える必要はありません。
海外資産を保有すれば、日本経済だけに資産を集中させるリスクを抑えられます。
海外企業が成長すれば、その利益を配当や値上がり益として日本の家計が受け取れます。
少子高齢化が進む日本にとって、海外の成長を家計所得へ取り込むことには大きな意味があります。
したがって問題は、日本人が海外へ投資することではありません。
日本市場にも投資したいと思わせる企業や仕組みが十分に存在するかどうかです。
企業側も海外市場を選べる
資本市場の空洞化には、投資家だけでなく企業側の動きも関係します。
企業は自国の証券取引所へ上場する必要はありません。
日本企業でも、条件を満たせば米国のナスダックなどへ上場できます。
特に世界市場を狙うテクノロジー企業や成長企業にとって、世界中の投資家が集まる米国市場には大きな魅力があります。
資金調達力だけでなく、自社の成長性を理解する投資家層や企業価値の評価なども上場市場を選ぶ要素になります。
日本の有望企業が海外市場を選ぶようになれば、その企業の成長に伴う株式取引も海外市場へ蓄積されていきます。
成長企業を失うことの影響は大きい
成熟企業が多数上場していても、次の巨大企業になる成長企業が生まれなければ、市場は長期的に活力を失う可能性があります。
証券市場では、現在の大企業だけでなく将来の大企業を取り込むことが重要です。
創業時には小さかった企業が急成長し、時価総額数兆円、数十兆円の企業になれば、その企業を中心に大量の売買が行われます。
機関投資家も集まります。
関連企業への投資も増える可能性があります。
その成長企業が最初から海外市場へ上場すれば、こうした市場の厚みも海外へ蓄積されます。
成長企業の上場先を巡る競争は、将来の資本市場を巡る競争なのです。
企業と投資家が集まる市場はさらに強くなる
証券市場には、規模が規模を生む性質があります。
魅力的な企業が多い市場には投資家が集まります。
投資家が多ければ売買が活発になり、流動性が高まります。
流動性が高ければ企業にとっても株式を売買してもらいやすくなり、その市場への上場が魅力的になります。
するとさらに企業が集まります。
企業が増えれば投資家も増えます。
この好循環をつくった市場は強くなります。
反対に企業と投資家が減る市場では、逆の循環が起こる危険があります。
これが資本市場の空洞化で特に警戒すべき点です。
米国株23時間取引が競争をさらに強める
米国株の23時間取引は、この市場間競争をさらに強める可能性があります。
これまで日本の投資家にとって、米国株には時差という大きな障壁がありました。
日本時間の昼間は東京市場が開き、米国株の通常取引は日本の夜間に行われます。
23時間取引が普及すれば、日本時間の昼間にも米国株をリアルタイムで売買できます。
日本の個人投資家は、午前10時に日本株と米国株を同時に比較できます。
時間によって守られていた日本市場の境界線が薄くなることになります。
取引制度そのものも比較される
企業の魅力だけではありません。
市場制度も比較されます。
米国株は基本的に1株単位で購入できます。
日本株は100株単位が基本です。
米国市場は23時間取引へ向かっています。
東京証券取引所の現物株式の取引時間は1日5時間30分です。
日本でも単元未満株サービスなどによって実務上の利便性は高まっていますが、投資家から見れば世界の市場制度を比較できるようになります。
市場が国境を越えて競争する以上、取引制度の使いやすさも重要になります。
資産運用立国との矛盾はどこにあるのか
政府は資産運用立国を掲げ、家計の金融資産を成長投資へつなげようとしています。
ここには二つの目的があります。
一つは家計の資産形成です。
もう一つは企業への成長資金供給です。
家計の立場から考えれば、世界中へ分散投資して高い収益を得ることは合理的です。
しかし国内の成長資金供給という立場から見ると、投資資金がすべて海外へ向かえば政策目的の一部は実現しません。
だからといって日本株への投資を強制するべきではありません。
必要なのは、日本企業と日本市場を投資家から自然に選ばれる存在にすることです。
日本市場へ資金を戻すには何が必要なのか
日本市場が世界の投資マネーから選ばれるためには、まず企業自身が魅力的でなければなりません。
利益を成長させる。
資本効率を高める。
余剰資金を適切に株主へ還元する。
将来の成長分野へ積極的に投資する。
企業統治を改善する。
こうした取り組みが必要です。
同時に市場側にも改革が求められます。
売買単位、取引時間、情報開示、上場制度などを世界の投資家にとって利用しやすいものにする必要があります。
企業改革と市場改革の両方がそろって初めて、世界から資金を呼び込めます。
海外へ流れる資金を止める発想ではない
資本市場の空洞化を防ぐというと、海外への資金流出を止める政策を考えがちです。
しかし世界中へ簡単に投資できる時代に、投資家の資金を国内へ囲い込むことは現実的ではありません。
むしろ逆の発想が必要です。
日本人の資金が海外へ投資できるのと同じように、海外の資金を日本へ呼び込めばよいのです。
日本企業が魅力的になり、東京市場が利用しやすくなれば、世界中の投資家が日本株へ投資する可能性があります。
資本市場の国際化とは、資金が出ていかない市場をつくることではありません。
資金が自由に出入りするなかでも、世界から選ばれる市場をつくることです。
結論
日本の資本市場の空洞化とは、国内投資家の資金が海外へ向かうだけでなく、日本の成長企業まで海外市場を選ぶことで、国内市場の資金調達や株式売買などの機能が相対的に弱くなる問題です。
ただし、日本人が海外株へ投資すること自体が問題なのではありません。
世界へ分散投資し、海外企業の成長を日本の家計へ取り込むことには大きな意味があります。
問題は、その自由な競争の中で日本企業と日本市場が投資先として選ばれるかどうかです。
新NISAによって預貯金から投資への流れが強まっても、その資金が日本株へ向かう保証はありません。
さらに米国株の23時間取引が始まれば、日本時間の昼間にも日本株と米国株が直接競争するようになります。
企業にも上場市場を選ぶ自由があります。
投資家にも投資市場を選ぶ自由があります。
その結果、日本の資本市場を守る最も有効な方法は、資金や企業を国内に囲い込むことではなくなりました。
世界中に選択肢があるなかで、それでも日本企業へ投資したい、東京市場へ上場したいと思わせることです。
資本市場の空洞化を防ぐ本質は、日本市場を閉じることではなく、世界から選ばれる市場へ変えることにあるといえます。
参考
日本経済新聞 2026年8月13日朝刊「米国株を日本の昼間も売買 ネット証券5社、23時間取引に対応」
日本経済新聞 2026年8月13日朝刊「米国株の23時間取引 テック株への関心高く」