承認欲求と職場の評価とは何か 給与を上げるだけでは静かな退職を防げない理由編

人生100年時代

社員の働く意欲を高める方法として、まず給与や賞与を思い浮かべる企業は多いでしょう。

もちろん、仕事に見合った給与を受け取ることは重要です。

しかし、給与を上げればすべての社員が仕事に積極的になるとは限りません。

成果を出しても誰からも何も言われない。難しい仕事を担当しても当然だと思われる。失敗したときだけ注意される。

こうした状態が続けば、給与に大きな不満がなくても「これ以上頑張る必要はない」と感じる可能性があります。

働く人にとって、自分の仕事が周囲から認められているという感覚も重要な報酬です。

静かな退職を考えるうえでは、金銭的な報酬だけでなく、承認という心理的な報酬にも目を向ける必要があります。

金銭的報酬と心理的報酬とは何か

仕事に対する報酬というと、給与や賞与を想像することが多いでしょう。

これらは金銭的報酬です。

生活を支えるだけでなく、自分の仕事が会社からどの程度評価されているかを示す意味もあります。

一方、仕事から得られる報酬には、お金では表しにくいものもあります。

上司から成果を認められる。

同僚から感謝される。

顧客から必要とされる。

重要な仕事を任される。

自分の意見を尊重してもらえる。

こうした経験は心理的な報酬になります。

人は給与明細だけを見ながら働いているわけではありません。

自分の仕事が誰かに認識され、価値のあるものとして扱われているかも見ています。

承認とは単に褒めることではない

職場における承認というと、社員を褒めることだと考えられがちです。

しかし、承認は単純なお世辞とは違います。

何をしても「素晴らしい」「よく頑張った」と言われれば、最初はうれしくても、やがて形式的な言葉だと感じるでしょう。

重要なのは、相手の行動をきちんと見たうえで認めることです。

どの仕事が良かったのか。

どのような工夫が役に立ったのか。

その行動によって何が変わったのか。

具体的に伝えることで、社員は「自分の仕事をきちんと見てもらえている」と感じることができます。

承認とは、相手の存在や行動を正しく認識し、それを伝えることだと考えることができます。

上司からの承認が重要になる理由

社員にとって、直属の上司は会社を代表する存在になりやすいものです。

上司が自分の仕事をどのように見ているかは、会社からどのように評価されているかという感覚にもつながります。

ところが、管理職は問題がない仕事について何も言わないことがあります。

仕事が予定通り終わった。

顧客対応も問題なかった。

トラブルも起きなかった。

そのため何も言わない。

一方、ミスが起きればすぐに指摘します。

この状態が続けば、部下からすると「失敗したときしか自分の仕事を見てもらえない」と感じる可能性があります。

問題なく仕事が進んでいる背景にも、社員の日々の努力があります。

それを認識することも管理職の重要な役割です。

具体的に褒めることの意味

承認を伝えるときには、具体性が重要です。

たとえば「今回の仕事はよく頑張った」という言葉だけでは、本人は何が評価されたのか十分に分からないかもしれません。

これに対して、

顧客からの質問を事前に想定して資料を準備したこと

納期が厳しい中で優先順位を整理したこと

困っていた同僚を支援したこと

業務の問題を見つけて改善したこと

など、具体的な行動を伝えれば、本人は何が評価されたのか理解できます。

すると「このような行動には価値がある」と学習できます。

承認は単に気分を良くするためだけではありません。

会社がどのような行動を望んでいるのかを社員に伝える役割もあります。

承認はできるだけ近いタイミングで行う

評価は年に一度や半年に一度という企業もあります。

しかし、日常的な承認まで人事評価の時期を待つ必要はありません。

良い仕事をしてから何カ月もたった後に評価されても、本人にとって行動と評価の関係が分かりにくくなります。

仕事が終わった直後に、

「あの説明は分かりやすかった」

「あの対応のおかげで問題が早く解決した」

と伝えれば、行動と承認が結びつきやすくなります。

正式な人事評価と、日常的なフィードバックは別に考える必要があります。

日々の小さな承認の積み重ねが、仕事への心理的な関与を支えることがあります。

給与を上げるだけでは足りない理由

給与は非常に重要です。

仕事量や責任に見合わない給与であれば、不満が生じるのは当然です。

しかし、給与が十分であっても、

自分の成果を誰も見ていない

何をしても当然だと思われる

上司から感謝されたことがない

会社に必要とされている感じがしない

という状態では、仕事への熱意が低下する可能性があります。

反対に、上司から褒められているから低い給与でも我慢すべきだという話でもありません。

金銭的報酬と心理的報酬は、どちらか一方があればよいものではありません。

仕事に見合った処遇を行いながら、努力や成果を適切に認識することが必要です。

評価されている感覚が重要になる

人事制度上は適切に評価しているつもりでも、社員本人にそれが伝わっていないことがあります。

会社側は高く評価している。

しかし、本人には何も伝えていない。

これでは本人にとっては「評価されていない」のと大きな違いがない場合があります。

特に、評価結果だけを数字で通知する制度では、何が評価されたのか分からないことがあります。

重要なのは、評価することだけでなく、評価していることを本人に伝えることです。

どの成果を評価したのか。

どの行動が組織に役立ったのか。

今後どのようなことを期待しているのか。

こうした説明によって、社員は自分の仕事と会社からの評価とのつながりを理解できます。

目立たない仕事ほど承認が必要になる

企業には、成果が数字に表れやすい仕事と表れにくい仕事があります。

営業であれば売上という数字があります。

一方、管理部門や支援部門では、問題が起きないこと自体が成果になる仕事もあります。

システムが正常に動いている。

正確に給与が支払われている。

事故が発生していない。

法令違反が起きていない。

こうした仕事は、うまくいっているときほど目立ちません。

そのため「やって当然」と考えられやすくなります。

しかし、問題が起きない背景には日常的な仕事があります。

目立たない仕事を意識的に認識することも、組織には必要です。

承認が偏ると逆効果になる

承認を増やせばよいという単純な問題でもありません。

特定の社員だけを繰り返し褒めれば、周囲に不公平感が生まれる可能性があります。

上司に近い社員だけが評価される。

目立つ成果だけが認められる。

発言の多い社員だけが評価される。

こうした状態では、承認そのものが組織的不公正につながります。

成果だけでなく、周囲への支援、地道な改善、問題の予防など、さまざまな貢献を見る必要があります。

承認にも公平性が求められます。

静かな退職との関係

社員が「何をしても誰も見ていない」と感じ続ければ、やがて余分な努力をしなくなる可能性があります。

新しい提案をしても評価されない。

周囲を助けても当然だと思われる。

難しい仕事を引き受けても何も変わらない。

それなら、求められた仕事だけを行えばよいと考えるようになります。

会社には残ります。

給与を受け取るための仕事も行います。

しかし、それ以上の心理的なエネルギーを会社に投入しなくなります。

静かな退職の背景には、このような承認不足が存在する場合があります。

管理職自身も承認を必要としている

部下への承認が重要だと言われると、管理職だけに責任が集中しがちです。

しかし、管理職自身も働く人です。

部下を支援する。

他部署と調整する。

経営陣からの要求に対応する。

トラブルの責任を負う。

こうした仕事をしていても、管理職自身が誰からも承認されていない場合があります。

管理職が疲弊していれば、部下の仕事を見る余裕もなくなります。

したがって、承認は上司から部下への一方向だけで考えるのではなく、組織全体の問題として考える必要があります。

人的資本経営では見えない報酬にも目を向ける

人的資本経営では、給与制度、研修費、福利厚生など、数字として把握しやすい人材投資が注目されます。

しかし、社員が能力を主体的に発揮するためには、数字では測りにくい職場での経験も重要です。

自分の仕事を見てもらえている。

自分の能力を必要としてもらえている。

自分の成果が組織に役立っている。

こうした感覚があれば、仕事との心理的なつながりを維持しやすくなります。

人的資本を生かすためには、お金を投じることだけでなく、人の仕事をきちんと見る組織をつくることも必要です。

結論

職場における報酬には、給与や賞与などの金銭的報酬だけでなく、上司や同僚から仕事を認められるという心理的な報酬があります。

承認とは、単に社員を褒めることではありません。

社員がどのような行動をし、それが組織にどのような価値を生み出したのかを具体的に認識し、本人に伝えることです。

給与が十分でも、自分の仕事を誰も見ていない、何をしても当然だと思われているという状態が続けば、働く意欲は低下する可能性があります。

その結果、社員は余分な努力をやめ、必要最低限の仕事だけをする静かな退職へ向かう場合があります。

一方で、承認だけで低い処遇を補うこともできません。

仕事に見合った金銭的な報酬と、努力や成果を認める心理的な報酬の両方が必要です。

静かな退職を防ぐために、企業は社員に「もっと頑張ってほしい」と求める前に、今すでに頑張っている社員の仕事をきちんと見ているかを考える必要があります。

人は、自分の仕事が誰かに見られ、認められ、役に立っていると分かることで、もう一度その仕事に力を注ごうと思えるのではないでしょうか。

参考

日本経済新聞 2026年8月19日朝刊 「静かな退職」どう防ぐか(下) 心理的な背景 見極め対応を

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