高齢者の医療費負担を巡る議論が大きな転換点を迎えています。
日本経済新聞社と日本経済研究センターが経済学者50人を対象に実施した調査では、医療機関の窓口負担を3割とする対象の拡大について、76%が支持しました。
さらに、医療費の負担能力を判断する際、所得だけでなく預貯金や株式などの資産も考慮すべきだとする回答が54%に達しました。
背景にあるのは、少子高齢化による医療費の増加と、現役世代に集中する社会保険料負担です。
今後の制度改革では、年齢によって負担割合を決める従来の仕組みから、所得や資産などの支払い能力に応じて負担を求める仕組みへの転換が重要な論点になります。
ただし、負担能力のある高齢者への負担拡大と、低所得者や病気を抱える高齢者への医療保障をどのように両立させるかが課題です。
経済学者の76%が3割負担の対象拡大を支持
今回の調査は、2026年10月15日から20日にかけて経済学者50人を対象に実施されました。
医療費の窓口負担を3割とする対象を広げるべきかという質問に対し、「強くそう思う」が24%、「そう思う」が52%となり、合計76%が賛成しました。
一方、「そう思わない」は6%にとどまりました。
経済学者の間で、高齢者にも負担能力に応じた医療費負担を求める考え方が広く支持されていることが分かります。
その理由として挙げられるのが、医療保険財政の持続可能性と世代間の公平性です。
現在の制度では、現役世代の窓口負担が原則3割であるのに対し、70歳から74歳は原則2割、75歳以上は原則1割となっています。
ただし、一定以上の所得がある高齢者には2割または3割の負担が適用されています。
年齢を基準とする負担割合の違いが、今後も合理的なのかが問われています。
国民医療費48兆円のうち高齢者が大きな割合を占める
厚生労働省によると、2023年度の国民医療費は約48兆円となり、前年度から約3%増加しました。
このうち65歳以上の医療費が約6割、75歳以上だけでも約4割を占めています。
高齢者人口の増加に伴い、医療費全体に占める高齢者医療費の割合は大きくなっています。
特に後期高齢者医療制度では、患者の窓口負担を除いた医療費について、公費が約5割、現役世代からの支援金が約4割、後期高齢者自身の保険料が約1割を負担する構造です。
つまり、高齢者医療は高齢者自身の保険料だけで成り立っているわけではありません。
現役世代の保険料や税金によって大きく支えられています。
少子高齢化が進むほど、この仕組みを維持するための現役世代の負担が重くなる可能性があります。
高齢者の就労拡大と健康寿命の延伸が改革を後押し
高齢者の経済状況や健康状態も変化しています。
65歳以上の約4人に1人が働いており、健康寿命も過去20年間で約3年延びています。
定年後も働き続け、給与所得を得る高齢者が増えています。
また、退職後も金融資産を保有し、配当や利子などの収入を得る人もいます。
その一方で、国民年金を中心とする収入しかなく、十分な金融資産を持たない高齢者も存在します。
同じ75歳以上であっても、経済的な負担能力には大きな違いがあります。
年齢だけで負担割合を決める制度では、こうした違いを十分に反映できません。
そのため、年齢ではなく実際の支払い能力を基準とする応能負担への転換が議論されています。
医療費負担に資産を反映すべきとする経済学者は54%
今回の調査でもう一つ注目されるのが、医療費負担を決める際に資産を考慮するべきかという質問です。
「強くそう思う」が20%、「そう思う」が34%となり、合計54%が資産の勘案を支持しました。
例えば、年金収入が年間200万円の高齢者が2人いるとします。
一方は預貯金が100万円、もう一方は預貯金や株式などの金融資産を5,000万円保有している場合です。
所得だけで判定すれば、両者の医療費負担割合が同じになる可能性があります。
しかし、実際の経済的な余力には大きな違いがあります。
資産も含めて支払い能力を判断すべきだという考え方には、こうした問題意識があります。
ただし、資産を多く保有していることと、医療費を継続的に支払えることは必ずしも同じではありません。
資産の種類や換金可能性、生活費への備えなども考慮する必要があります。
金融所得の反映は2029年8月から
高齢者医療制度では、金融所得を負担能力の判定に反映する改革が進められています。
2029年8月から、75歳以上の保険料や窓口負担の判定に、配当などの金融所得を反映する仕組みが導入される予定です。
現在は、金融所得について確定申告の有無などによって、医療保険上の所得判定に違いが生じる場合があります。
同じ経済的利益を得ていても、申告方法によって負担が異なることは公平性の観点から問題になります。
新しい仕組みでは、金融所得をより公平に把握することが目指されています。
ただし、金融所得と金融資産は異なります。
金融所得は配当や利子などの収入であり、金融資産は預貯金や株式などの保有残高です。
2029年8月から予定される改革は金融所得の反映であり、預貯金や株式の保有残高そのものを一律に窓口負担の判定へ組み込む制度ではありません。
両者を区別して考える必要があります。
資産を医療費負担に反映することには反対意見もある
資産を考慮する改革には、制度設計上の難しさがあります。
第一に、資産の正確な把握です。
預貯金や上場株式だけでなく、不動産や非上場株式などを含める場合、評価方法や情報収集の仕組みが複雑になります。
第二に、資産の換金可能性です。
例えば、自宅不動産を保有していても、医療費を支払うために簡単に売却できるわけではありません。
第三に、貯蓄や資産形成への影響です。
老後に備えて貯蓄した人ほど医療費負担が重くなる仕組みでは、貯蓄意欲を低下させる可能性があります。
また、資産を減らすための生前贈与など、制度を回避する行動が増える懸念もあります。
こうした問題から、資産に応じた公平性の確保は医療費の窓口負担ではなく、所得税や相続税などの税制で対応すべきだという意見もあります。
医療保険制度と税制のどちらで再分配を行うべきかは、重要な政策上の論点です。
3割負担の拡大による受診控えをどう防ぐか
医療費の自己負担を増やすと、医療機関を受診する際の支出が増加します。
例えば、保険診療の医療費が1万円の場合、1割負担なら1,000円ですが、3割負担では3,000円になります。
同じ医療サービスを受けても、窓口で支払う金額は3倍です。
このため、負担割合の引き上げによって受診を控える高齢者が増える可能性があります。
特に問題となるのは、必要な医療まで控えてしまうことです。
慢性疾患の治療を中断したり、病気の早期発見が遅れたりすれば、健康状態の悪化につながる恐れがあります。
結果として、重症化による医療費の増加を招く可能性もあります。
今回の調査では、3割負担の対象拡大によって高齢者の健康状態が平均的に悪化するかについて、「どちらともいえない」が42%、「悪化しない」が38%、「悪化する」が12%でした。
負担拡大による健康への影響については、経済学者の間でも見解が分かれています。
特に低所得者や持病のある高齢者への影響については、慎重な検証が必要です。
高額療養費制度の役割が一段と重要になる
窓口負担の拡大と同時に考えなければならないのが、高額療養費制度です。
高額療養費制度は、1カ月の医療費の自己負担額が所得や年齢に応じた上限を超えた場合、超過分が支給される仕組みです。
高額な治療が必要になっても、家計への負担が際限なく増えることを防ぐ役割があります。
高齢者の3割負担を拡大する場合でも、高額療養費制度による保障を維持することが重要です。
特に、がんや難病など長期的な治療が必要な患者については、継続的な医療費負担への配慮が欠かせません。
また、低所得者については、窓口負担割合だけでなく、自己負担限度額や保険料の軽減措置などを組み合わせた制度設計が求められます。
医療費負担の公平性を高めることと、必要な医療を受けられる環境を維持することは、両立させなければならない課題です。
医療費改革は現役世代の負担軽減につながるのか
高齢者の窓口負担を引き上げる目的の一つは、現役世代の負担を抑制することです。
ただし、窓口負担を引き上げれば、直ちに現役世代の社会保険料が下がるとは限りません。
患者の自己負担が増えれば、保険給付費を抑制する効果が期待できます。
しかし、その効果が保険料の引き下げにつながるかどうかは、医療費全体の伸びや公費負担、保険財政の状況などによって異なります。
また、高齢者の受診行動が変化することによる影響も考える必要があります。
本来必要な医療を受けなくなり、病気が重症化すれば、長期的には医療費が増加する可能性もあります。
したがって、制度改革の効果を評価する際には、窓口負担の増加額だけでなく、医療保険財政や健康状態への中長期的な影響を検証する必要があります。
今後の焦点は年齢基準から負担能力基準への転換
政府は2026年の骨太の方針で、高齢者の窓口負担について、年齢によらない公平な応能負担の実現を目指す方針を示しました。
厚生労働省も2026年10月から高齢者医療制度の見直しに向けた議論を始めています。
自民党と日本維新の会は、2026年末までに制度改革の工程表をまとめる方向で協議しています。
今後の焦点は、3割負担の対象となる所得基準をどのように見直すかという点です。
さらに、金融所得をどこまで反映するか、預貯金などの金融資産を負担能力の判定に含めるかも重要になります。
一方、所得や資産の少ない高齢者については、医療へのアクセスを確保するための配慮が不可欠です。
年齢だけで負担を区切る制度から、実際の負担能力を重視する制度へ移行する場合には、公平性と実務上の実現可能性の両方が問われます。
結論
今回のエコノミクスパネルでは、経済学者の76%が医療費3割負担の対象拡大を支持し、54%が負担能力の判定に資産を反映することを支持しました。
この結果は、高齢者医療制度の持続可能性と世代間の公平性について、制度改革の必要性が強く意識されていることを示しています。
しかし、3割負担の対象を広げることと、資産を負担能力の判定に組み込むことは、分けて検討する必要があります。
金融所得の把握を進めることには公平性を高める効果が期待できますが、預貯金や不動産などの資産残高まで反映する場合には、評価方法や換金可能性、貯蓄への影響など、多くの課題があります。
また、高齢者の経済状況には大きな格差があります。
十分な所得や資産を持つ高齢者に応分の負担を求める一方、低所得者や医療を継続的に必要とする人には適切な保障を残すことが重要です。
今後の医療制度改革では、単に高齢者の自己負担を引き上げるのではなく、所得、金融所得、資産、健康状態などを踏まえた公平で持続可能な制度を構築できるかが問われます。
人生100年時代において、医療制度は高齢者だけの問題ではありません。
現役世代も将来は高齢者になります。
現在の世代間の負担を公平にするだけでなく、将来の高齢者も安心して医療を受けられる制度を維持することが、改革の本来の目的であると考えます。
参考
日本経済新聞 2026年10月25日 朝刊「医療費3割の対象拡大、経済学者の支持76% 高齢者も応能負担を」
日本経済新聞 2026年10月25日 朝刊「高齢者医療制度とは 少子高齢化で現役世代の負担大きく」
日本経済新聞 2026年10月25日 朝刊「医療費の負担『支払い能力は資産も勘案を』54% 経済学者、反対論も」