歩けばポイントがたまる。健康診断を受ければポイントがもらえる。健康イベントに参加すると特典が受けられる。
こうした健康ポイント事業を導入する自治体が増えています。
住民の健康増進と医療費や介護費の抑制を考えれば、合理的な仕組みに見えます。
ところが、実際には参加者がなかなか増えないという問題があります。
2025年度に全国157自治体を対象にした調査では、56.7%が歩数連動などのポイント事業を実施していました。一方、約6割の自治体が「参加者数が伸びない」ことを課題として挙げています。
なぜ、歩くだけで得をする制度でも人は動かないのでしょうか。
そこには健康政策が長年抱えてきた難しい問題があります。
健康な人ほど健康事業に参加する
健康ポイント事業には一つの矛盾があります。
健康に関心のある人ほど参加しやすいことです。
普段から歩いている人。
健康診断を欠かさない人。
食事に気を付けている人。
運動習慣のある人。
こうした人にとって、健康ポイントは魅力的です。
すでに行っている健康行動によってポイントまで受け取れるからです。
一方、本当に身体活動を増やしてほしい人ほど、制度そのものに関心を示さない場合があります。
健康政策では、この健康無関心層にどう働きかけるかが大きな課題になります。
人口の5パーセントしか登録しない現実
宮崎県小林市では2020年度から、歩数に応じてポイントがたまる事業を始めました。
しかし、2025年度の登録者数は市の人口の約5%にとどまっています。
もちろん、登録者に行動変化が生じているのであれば事業には意味があります。
ただ、地域全体の健康状態を改善することを目的とするなら、参加者をどこまで広げられるかが重要になります。
100人のうち5人だけが利用する制度では、残りの95人にどう働きかけるかという問題が残ります。
特に重要なのは、健康に関心がなく、運動習慣もない人です。
ポイントだけでは行動は変わらない
人は経済的なメリットだけで行動するわけではありません。
例えば、歩けばポイントがもらえると分かっていても、仕事で疲れて帰宅した人が夜にウオーキングへ出掛けるとは限りません。
ポイントを得るためにアプリを入れる。
利用登録をする。
歩数を確認する。
一定期間続ける。
場合によってはポイント交換の手続きもする。
一つ一つは簡単でも、健康に関心のない人にとっては面倒に感じることがあります。
わずかな特典と面倒な手続きとを比較して、何もしない方を選ぶ人がいても不思議ではありません。
制度をつくれば行動が変わるというほど、人間の行動は単純ではありません。
行動する人だけを対象にしていないか
健康施策では、参加を本人の意思に委ねる方法が多く使われます。
ウオーキング大会を開催します。
健康教室を開催します。
アプリを用意します。
ポイントを付与します。
そして住民に参加を呼びかけます。
この方法では、最初の一歩を本人が踏み出さなければなりません。
そのため、健康への関心が高い人と低い人との差がそのまま参加率の差になりやすくなります。
健康無関心層に働きかけるのであれば、参加してもらうという発想そのものを見直す必要があるのかもしれません。
健康を目的にしない仕組みをつくる
そこで重要になるのが、健康とは別の目的で行動した結果、自然に健康になる仕組みです。
例えば通勤です。
会社に行くことが目的ですが、その途中で歩けば身体活動になります。
買い物も同じです。
買い物が目的ですが、店舗まで歩いたり店内を移動したりすれば運動になります。
地域イベントへの参加も、人との交流を目的に出掛けた結果として歩数が増えます。
健康になりましょうと呼びかけるのではなく、日常生活の中に身体活動を組み込むのです。
健康に関心がない人にも届きやすい方法といえます。
スニーカービズが興味深い理由
スニーカービズも、この考え方に近い取り組みです。
福井県ではスニーカービズを実施した日に平均歩数が1,273歩増えたとされています。
ポイントをもらうために歩いたわけではありません。
歩きやすい靴を履くことで、結果として歩く行動が増えています。
香川県や新潟県でも2026年7月からスニーカービズが始まりました。
スポーツ庁も2026年9月から、歩きやすい靴を利用して日常生活の活動量を増やす取り組みを進めています。
ここで重要なのは、健康への意識を変える前に環境を変えていることです。
意識が変わったから歩くのではなく、歩きやすくなったから歩く。
この順番には大きな意味があります。
企業なら無関心層にも届きやすい
働く世代に対しては、企業が重要な役割を果たす可能性があります。
自治体の健康イベントには参加しない人でも、会社には毎日出勤します。
その職場でスニーカー通勤を認めたり、昼休みに歩きやすい環境をつくったりすれば、健康への関心にかかわらず多くの従業員に働きかけることができます。
会社の階段を使いやすくする。
コピー機などの配置を工夫する。
長時間座り続けない働き方を取り入れる。
少し離れた場所へ昼食に出掛けやすくする。
こうした環境づくりなら、健康イベントに参加しない人も対象になります。
健康経営で重要なのは、健康意識の高い社員だけをさらに健康にすることではありません。
健康について考えていない社員も自然に身体を動かす環境をつくることです。
ポイント事業にも工夫の余地がある
もちろん、健康ポイント事業そのものに意味がないわけではありません。
重要なのは、ポイントだけで行動を変えようとしないことです。
例えば地域の商店で利用できるポイントにする。
公共交通の利用と組み合わせる。
買い物や地域イベントへの参加と連動させる。
企業の健康経営と連携する。
住民が普段利用しているサービスの中に健康行動を組み込めば、参加への心理的なハードルを下げることができます。
健康政策だけで完結させず、地域経済や交通政策、企業活動などと結び付ける発想が必要です。
自治体は参加人数だけを見ない
健康ポイント事業を評価するときには、登録者数だけを見ることにも注意が必要です。
参加者が増えていても、もともと健康な人ばかりであれば、地域全体への効果は限定的かもしれません。
反対に参加人数がそれほど多くなくても、これまで運動習慣のなかった人の行動が変わっているのであれば、大きな意味があります。
誰が参加したのか。
参加前後で歩数がどう変化したのか。
事業終了後も行動が続いているのか。
こうした点まで確認する必要があります。
政策の目的はアプリの登録者を増やすことではありません。
住民の行動を変え、健康を維持することだからです。
健康政策は意思の力から環境づくりへ
これまでの健康政策では、正しい情報を伝えれば人は行動すると考えられがちでした。
運動不足は健康によくない。
歩くことは健康に良い。
座りすぎには注意した方がよい。
多くの人はすでに知っています。
それでも行動できないところに問題があります。
必要なのは、さらに健康知識を伝えることだけではありません。
歩きやすい靴を履ける。
歩きやすい街がある。
通勤で自然に歩く。
職場で身体を動かす。
こうした環境を整えることで、本人の強い意思に頼らず行動を変えることができます。
結論
健康ポイント事業の参加者が伸びない問題は、健康政策の難しさを象徴しています。
健康に関心のある人は自ら動きます。
難しいのは、健康に関心のない人にどう届けるかです。
ポイントを増やすだけでは、限界があるでしょう。
これから求められるのは、健康になるために行動してもらう政策から、普通に生活しているだけで健康につながる政策への転換です。
通勤する。
買い物をする。
仕事をする。
地域で暮らす。
その日常生活の中で自然に歩数が増える仕組みをつくることができれば、健康無関心層にも働きかけることができます。
健康政策の成否を左右するのは、健康な人をさらに動かせるかではありません。
これまで動かなかった人が、意識しなくても少し動くようになるかどうかなのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月6日朝刊 歩かぬ地方、都市との差1日30分 「スニーカービズ」通勤で歩数稼げ