健康経営という言葉を聞くと、健康診断の充実やスポーツイベント、健康管理アプリなどを思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、もっと身近なところにも企業ができる健康対策があります。
その一つが、通勤や仕事中にスニーカーなど歩きやすい靴を履くスニーカービズです。
福井県では2017年から取り組みを進めており、実施した日は平均歩数が1,273歩増えたとされています。2026年8月末時点では県内71社が導入しています。
靴を変えるだけで本当に健康経営になるのでしょうか。
この取り組みから見えてくるのは、従業員に運動を求めるのではなく、自然に身体を動かせる職場をつくるという新しい健康経営の考え方です。
健康経営がイベントになっていないか
企業が従業員の健康を支援する取り組みは広がっています。
健康診断を充実させる。
ウオーキングイベントを開催する。
歩数を競う社内企画を実施する。
スポーツクラブの利用を補助する。
健康アプリを導入する。
こうした取り組みにはそれぞれ意味があります。
一方で課題もあります。
参加する社員が固定されやすいことです。
もともと運動が好きな人は積極的に参加しますが、運動習慣のない人ほど参加しないことがあります。
これでは健康経営が一部の健康意識の高い社員のためのイベントになってしまいます。
スニーカービズは参加を求めない
スニーカービズの興味深いところは、必ずしも特別な健康イベントに参加する必要がないことです。
いつもの通勤でスニーカーを履く。
それだけです。
歩きやすい靴を履けば、駅まで歩くことへの負担が小さくなります。
階段を使いやすくなります。
昼休みに少し遠くまで出掛けることもできます。
帰宅時に少し歩くこともできます。
運動するために予定を空ける必要がありません。
日常生活そのものを身体活動に変えるところに特徴があります。
平均1273歩増加の意味
福井県によると、スニーカービズを実施した日は歩数が平均1,273歩増えました。
歩幅も平均5センチ伸びています。
1,273歩だけを見ると、それほど大きな数字ではないと感じるかもしれません。
しかし、企業の健康施策として考えると意味が変わります。
従業員が毎日30分の運動を新しく始めることは簡単ではありません。
それに対して、服装や靴を変えることで日常生活の歩数が自然に増えるのであれば、継続しやすい取り組みになります。
健康づくりでは、一時的に大きく運動することだけでなく、小さな身体活動を日常生活の中に定着させることが重要です。
服装規定も健康経営の一部になる
企業の服装規定は、これまで身だしなみや企業イメージの問題として考えられてきました。
しかし、健康という視点から見れば違った意味を持ちます。
歩きにくい靴を前提とした服装規定では、従業員に歩くことを勧めても行動につながりにくいでしょう。
反対に、業務に支障がない範囲でスニーカーを認めれば、身体活動を増やす環境づくりになります。
香川県では2026年7月からスニーカービズを始め、企業や市町村に対してスニーカーに合う服装を提案しています。
単に「スニーカーを履いてください」と呼びかけるのではなく、ビジネスシーンで違和感なく取り入れられる環境を整える発想です。
企業のドレスコードを見直すことも、健康経営の一つになり得ます。
通勤時間は巨大な健康資源
企業が従業員の運動時間を確保しようとすると難しい問題が生じます。
勤務時間中に運動時間を設ければ、業務との調整が必要です。
勤務時間外なら、従業員の私生活に委ねることになります。
そこで注目したいのが通勤です。
多くの従業員がすでに毎日使っている時間だからです。
駅まで歩く。
駅では階段を使う。
会社まで歩く。
自動車通勤なら駐車場から職場まで歩く。
これらを少し増やすだけでも身体活動になります。
新しい時間をつくるのではなく、すでに存在する時間の使い方を変えるわけです。
地方企業ほど意味がある
スニーカービズは、特に地方企業にとって意味のある取り組みかもしれません。
地方では自動車通勤が多く、自宅から会社までほとんど歩かずに移動できる場合があります。
都市部なら駅まで歩き、乗り換え、駅から会社まで歩くため、通勤そのものが一定の運動になります。
地方では、この身体活動が生まれにくいのです。
だからといって、自動車通勤をやめることは現実的ではありません。
そこで、自動車を利用することを前提に歩く機会を増やします。
例えば、可能な人は少し離れた駐車スペースを利用する。
昼休みに社外へ歩いて出掛ける。
社内では階段を利用する。
スニーカーなら、こうした行動への心理的な抵抗も小さくなります。
車社会を変えるのではなく、車社会の中に歩行を組み込む発想です。
座りすぎ対策にも目を向ける
企業が考えるべきなのは歩数だけではありません。
デスクワーク中心の職場では、長時間座り続けることも問題になります。
朝に歩いて出勤しても、その後何時間も座り続けていては、身体活動の機会が限られます。
そこで職場全体を見直す必要があります。
コピーや資料を取りに立つ。
短い休憩で身体を動かす。
可能な場面では階段を使う。
昼休みに外へ出る。
こうした小さな移動を積み重ねます。
健康経営を勤務時間外の運動だけに任せず、勤務時間中の身体活動にも広げることが重要です。
生産性の問題として考える
身体活動の不足は、健康だけの問題ではありません。
厚生労働省は、身体活動の不足や座っている時間が長くなることによって、筋肉や骨など運動器の障害のリスクが高まると指摘しています。
腰痛や肩こりなどが仕事に影響する可能性もあります。
出勤はしているものの、体調不良などによって十分な能力を発揮できない状態は、企業にとって見えにくい生産性低下につながります。
従業員が身体を動かしやすい環境を整えることは、福利厚生だけではなく、企業の生産性を考えるうえでも重要になります。
大きな予算がなくても始められる
スニーカービズのもう一つの利点は、大規模な設備投資を必要としないことです。
健康管理システムを導入する。
運動施設を設置する。
専門スタッフを配置する。
こうした取り組みには一定の費用が必要です。
一方、スニーカー通勤を認めるのであれば、まず服装規定を見直すところから始められます。
特に中小企業にとって、低コストで取り組めることは重要です。
健康経営は大企業だけができるものではありません。
職場の小さなルールを変えることも立派な健康施策になります。
強制しないことも重要
もっとも、健康のためだからといって、社員全員に一定の歩数を義務付けるような方法には慎重であるべきでしょう。
体力や年齢、身体の状態は一人一人異なります。
営業職と事務職でも仕事中の活動量は違います。
歩数ランキングをつくれば、競争を楽しむ人がいる一方で負担に感じる人もいます。
企業が目指すべきなのは、従業員を管理して歩かせることではありません。
歩きたい人が歩きやすい環境をつくることです。
スニーカービズも強制的な運動制度ではなく、選択肢を増やす取り組みとして考える方が長続きするでしょう。
小さな制度変更が行動を変える
健康経営というと、大きな制度をつくることに目が向きがちです。
しかし、人の行動は身近な環境にも左右されます。
靴を変える。
服装を変える。
階段を使いやすくする。
昼休みに外へ出やすくする。
駐車場の使い方を工夫する。
一つ一つは小さな変化です。
それでも毎日の仕事の中で繰り返されれば、大きな身体活動の差になります。
企業が健康を直接管理するのではなく、健康につながる行動を選びやすくする。
これからの健康経営では、この視点が一段と重要になるのではないでしょうか。
結論
スニーカービズは、単なる服装のカジュアル化ではありません。
従業員の日常的な身体活動を増やす仕組みとして考えれば、健康経営の一つになります。
特に重要なのは、社員に「運動してください」と求めるのではなく、自然に歩きやすい環境を企業側が整えることです。
健康診断を受ける。
健康イベントに参加する。
スポーツをする。
もちろん、こうした取り組みも大切です。
しかし、その前に毎日の通勤や仕事の中で身体を動かせる環境をつくることができます。
健康経営は、大きな予算を投じなければ始められないものではありません。
社員が履いている靴を見直す。
その小さな改革が、働く人の健康と企業の生産性を考え直す第一歩になるのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月6日朝刊 歩かぬ地方、都市との差1日30分 「スニーカービズ」通勤で歩数稼げ