老後に向けて資産形成をしていると、どうしても平均利回りに目が向きます。年率何パーセントで運用できれば資産はいくらになるのか。こうした計算は積立期には非常に役立ちます。
ところが、退職して資産を取り崩す段階になると、平均利回りだけでは説明できない重要なリスクが出てきます。
それがシークエンスリスクです。
簡単にいえば、同じ平均収益率で運用できたとしても、値上がりと値下がりがどの順番で起きるかによって、老後に残る資産額が大きく変わるリスクです。
特に注意したいのが退職直後の株価暴落です。
現役時代にはむしろ安く株式を買える機会だった暴落が、退職後には老後資産を急速に減少させる原因になることがあります。
収益率は平均だけでは分からない
例えば、ある投資資産が一年目に大きく下落し、その後上昇したとします。
別のケースでは、最初に上昇し、その後大きく下落したとします。
値上がり率と値下がり率が同じであれば、途中で資金を出し入れしない限り、最終的な運用結果は基本的に値動きの順番によって変わりません。
ところが、毎年生活費として資産を取り崩している場合は事情が違います。
株価が下落しているときにも生活費は必要です。
そのため、値下がりした投資信託を売却して現金を作らなければならない場合があります。
ここでシークエンスリスクが発生します。
重要なのは、平均して何パーセント上昇したかだけではありません。
いつ上昇し、いつ下落したのかという順番が重要になるのです。
同じ運用成績でも結果が変わる
簡単な例で考えてみましょう。
退職時に三千万円の金融資産を保有している人がいるとします。
この人が毎年生活費として一定額を取り崩しているとします。
退職後しばらく株価が上昇してから大幅な下落が起きた場合、それまでの値上がりによって資産にはある程度の余裕が生まれています。
一方、退職した直後に大幅な株価下落が発生するとどうでしょうか。
資産そのものが減少した状態で、さらに生活費を取り崩すことになります。
しかも株価が安いので、同じ金額の生活費を確保するためには、より多くの投資信託を売却しなければなりません。
売却した投資信託は、その後株価が回復しても戻ってきません。
これが退職直後の暴落が怖い理由です。
積立期では暴落の意味が違う
シークエンスリスクを理解するうえで重要なのが、積立期と取り崩し期を分けて考えることです。
現役世代が毎月一定額を積み立てている場合、株価下落は必ずしも悪いことばかりではありません。
例えば毎月五万円を投資しているとします。
投資信託の価格が下落すれば、同じ五万円でも多くの口数を購入できます。
その後市場が回復すれば、安い時期に購入した分が資産形成に寄与します。
もちろん、そのまま長期間下落する可能性もあるため、暴落そのものが歓迎すべき出来事という意味ではありません。
しかし、20年や30年という長期で積み立てる人には、下落後の回復を待つ時間があります。
さらに給与収入があれば、生活費のために投資資産を売却する必要もありません。
取り崩し期では暴落が二重に効く
退職後はこの構造が逆転します。
給与収入が減少し、金融資産から生活費を取り崩すようになるからです。
ここで株価が下落すると、
保有している金融資産の評価額が減る
生活費を確保するために値下がりした資産を売る
という二つの影響が同時に発生します。
例えば三千万円の株式資産が三割下落すれば、評価額は二千百万円になります。
そこから生活費を取り崩せば、資産額はさらに減ります。
その後株価が回復したとしても、暴落時に売却してしまった部分については回復の恩恵を受けることができません。
つまり、取り崩し期では暴落そのものだけでなく、暴落時に売却しなければならないことが大きな問題なのです。
退職直後の暴落が特に危険な理由
シークエンスリスクが特に問題になるのは、退職して間もない時期です。
老後生活が始まったばかりなので、これから長期間にわたって資産を取り崩していかなければならないからです。
仮に六十五歳から資産を取り崩し始め、九十五歳まで生きるとすれば、三十年間の資産管理が必要になります。
その最初の数年間で資産を大きく減らしてしまえば、その後の運用に使える元本そのものが小さくなります。
反対に、退職後の早い段階で市場環境に恵まれれば、資産に余裕が生まれ、その後多少の下落があっても耐えやすくなります。
老後資産では最終的な平均利回りだけを見るのではなく、退職後の早い時期にどのような相場が来るのかも大きな意味を持つのです。
しかし、いつ暴落が起こるのかを事前に予測することはできません。
だからこそ対策が必要になります。
オルカンでもシークエンスリスクはなくならない
全世界株式に分散投資するオルカンであれば、この問題は小さくなるのではないかと考える人もいるでしょう。
確かにオルカンは世界中の企業へ分散投資するため、特定企業や特定地域に集中するリスクを抑えることができます。
しかし、オルカンも株式型の投資信託です。
世界的な金融危機が発生すれば、大幅に値下がりする可能性があります。
世界中に分散していることと、価格が大きく下落しないことは別の問題です。
したがって、現役時代にオルカンだけで資産形成することに合理性があったとしても、退職後も生活費を含めた金融資産のすべてをオルカンに置くことが適切とは限りません。
生活費まで相場にさらさない
シークエンスリスクへの対策として重要になるのが、近い将来に使うお金と長期間使わないお金を分けることです。
例えば、当面の生活費については預貯金など価格変動の小さい資産として保有します。
一方、十年、二十年先まで使わない資金については、株式などで長期運用を続けることができます。
このようにしておけば、株価が大幅に下落しても、すぐに投資信託を売却する必要性を小さくできます。
市場が回復するまで生活費を安全資産から取り崩すという選択肢が生まれるからです。
重要なのは暴落を避けることではありません。
暴落したときに売らなくても済む仕組みを作っておくことです。
年金もシークエンスリスクを考えるうえで重要になる
日本の老後資産を考える場合、公的年金の存在も重要です。
例えば毎月必要な生活費の大部分を公的年金で賄える人なら、金融資産から取り崩す金額は小さくなります。
反対に、生活費と年金収入との差額が大きければ、その分だけ金融資産への依存度が高くなります。
したがって、必要な安全資産の金額も単純に年間生活費だけで決めるものではありません。
生活費から年金などの安定収入を差し引き、金融資産から毎年いくら補う必要があるのかを把握することが重要です。
老後の資産運用は、投資商品だけを考えても完成しません。
年金、預貯金、投資資産、生活費を一体として考える必要があります。
退職日を境に運用を突然変える必要はない
だからといって、退職した日にオルカンを大量に売却して現金化する必要があるという意味でもありません。
退職時期が近づいてきたら、数年かけて安全資産を準備するという考え方があります。
給与収入があるうちに預貯金を増やしたり、新規の積立額を調整したりすることで、徐々に取り崩し期に対応した資産構成へ移行できます。
資産形成期と取り崩し期の間に明確な境界線があるわけではありません。
退職前から出口を考えておくことで、退職直後の相場環境に左右されにくい資産管理が可能になります。
結論
シークエンスリスクとは、投資収益の平均だけではなく、値上がりと値下がりが起きる順番によって老後資産の寿命が変わるリスクです。
特に危険なのが、退職直後に大幅な株価下落が起きるケースです。
現役世代の積立期であれば、株価下落時にも投資を続け、回復を待つ時間があります。
しかし退職後の取り崩し期では、株価が下落している最中にも生活費が必要です。
そのため、安値で投資資産を売却し、その後の回復に参加できなくなる可能性があります。
オルカンのように世界へ分散された投資信託であっても、この問題から逃れることはできません。
退職後の資産運用で大切なのは、暴落を予測することではありません。
暴落しても売らなくて済む資産構成を準備しておくことです。
そのための具体的な方法の一つが、近い将来の生活費を預貯金などで確保しておくことです。
この考え方が、次に取り上げる現金バッファーにつながります。
参考
日本経済新聞 2026年8月8日朝刊 家計のギモン オルカン一択で大丈夫か