日本の農業では、経営者の高齢化と後継者不足に加え、田植えや稲刈りなどの繁忙期に必要な労働力を確保することが大きな課題になっています。
こうしたなか、JR東日本がグループ社員による農業副業を推進しています。年間約900人が農業副業に携わっており、農業法人の人手不足を補う仕組みとして注目されています。
JR東日本は2026年4月、大手コメ卸のヤマタネ、農業人材サービスを展開するYUIMEと共同で、JR東日本豊里創生を設立しました。後継者不足に悩む農業法人への出資や経営支援を通じて、持続可能なコメ生産体制の構築を目指しています。
今回の取り組みで特徴的なのは、資金や経営管理の支援だけでなく、鉄道会社が持つ人的ネットワークを農業に活用しようとしている点です。
今回は、農業副業の仕組み、人手不足解消への効果、企業の副業制度、労働時間管理、労災保険、今後の課題について考えます。
農業の人手不足は繁忙期に集中する
農業の労働力不足には、他の産業とは異なる特徴があります。
稲作では、年間を通じて同じ人数の労働者が必要になるわけではありません。
田植えや稲刈りなどの時期には多くの人手が必要になりますが、それ以外の時期には必要な作業量が比較的少なくなる場合があります。
例えば、50ヘクタールの農地で稲作を営む農業法人を考えてみます。
年間を通じて必要な従業員を確保していても、田植えや収穫の時期には追加の労働力が必要になることがあります。
一方、繁忙期に合わせて常勤従業員を増やすと、農作業が少ない時期にも人件費が発生します。
農業法人にとって、年間を通じた雇用の安定と繁忙期の労働力確保を両立することは容易ではありません。
そこで注目されるのが、必要な時期に外部人材を活用する仕組みです。
農業副業は、こうした季節的な労働需要に対応する方法の一つといえます。
JR東日本が持つ人的ネットワークの強み
JR東日本は、東日本エリアに約4万人の社員を抱えています。
鉄道事業を中心に、駅、車両基地、保守拠点、関連施設などが広い地域に分布しています。
この人的ネットワークを活用すれば、沿線地域の農業法人に対して、比較的近い場所から労働力を提供できる可能性があります。
JR東日本では、年間約900人が農業副業に携わっています。
農業法人が個別に人材を募集する場合、求人広告や採用活動に費用と時間がかかります。
しかし、企業グループ内で農業副業に関する情報を共有できれば、農業に関心を持つ社員と人手を必要とする農業法人を結びつけやすくなります。
また、鉄道会社の社員は、勤務する地域の地理や交通事情に詳しい場合があります。
地域の農業に参加することで、社員自身が沿線地域への理解を深める効果も期待できます。
単なる労働力の提供にとどまらず、企業と地域社会の関係を強化する取り組みとしても意味があります。
農業副業による経済効果を考える
農業副業の効果を考えるため、仮定のモデルケースを設定します。
ある農業法人が、田植えと稲刈りの繁忙期に合計600時間の追加労働力を必要としているとします。
外部の人材に対して1時間当たり1,500円の賃金を支払う場合、直接人件費は90万円になります。
仮に1人が年間30時間の農作業に参加するとすれば、20人の副業人材が必要です。
この場合、農業法人は繁忙期に必要な労働力を確保しながら、年間を通じて常勤従業員を追加雇用する負担を抑えられる可能性があります。
ただし、実際には交通費、研修費、安全管理費、社会保険や労働保険に関する費用なども考慮する必要があります。
また、農業経験のない人材の場合、作業に慣れるまで一定の時間が必要です。
したがって、農業副業の経済効果を評価する際には、単純な人件費だけでなく、作業効率や教育費用も含めて検討することが重要です。
副業制度の導入には就業規則の整備が必要
企業が社員の副業を認める場合には、就業規則や社内制度の整備が重要になります。
副業を認める範囲、申請方法、労働時間の管理、秘密保持、安全管理などについて、基本的なルールを設ける必要があります。
労働者の副業や兼業については、厚生労働省がガイドラインを公表しています。
企業は原則として労働者の副業や兼業を認める方向で検討することが望ましいとされていますが、本業への支障や企業秘密の漏えいなどが問題となる場合には、合理的な範囲で制限することも考えられます。
農業副業では、屋外作業による身体的負担にも注意が必要です。
特に夏季の農作業では、熱中症などの健康リスクがあります。
本業の勤務を終えた社員が農業副業に従事する場合、疲労の蓄積が本業にも影響する可能性があります。
企業は副業を認めるだけでなく、社員の健康確保や適切な勤務管理にも配慮する必要があります。
副業と労働時間の通算ルール
副業制度を運用するうえで重要なのが、労働時間の管理です。
労働基準法では、労働時間に関する規定の適用に当たり、事業場が異なる場合でも労働時間を通算する仕組みがあります。
例えば、鉄道会社で雇用されている社員が、別の農業法人とも雇用契約を締結して働く場合には、原則として労働時間の通算が問題になります。
ただし、農業には労働基準法第41条による労働時間、休憩、休日に関する規定の適用除外があります。
そのため、農業法人での具体的な業務内容や雇用形態によって、労働時間規制の適用関係を慎重に判断する必要があります。
また、副業が雇用契約ではなく、独立した業務委託契約などによって行われる場合には、取り扱いが異なります。
ただし、契約書に業務委託と記載されていても、実態として指揮命令を受けて働いている場合には、労働者性が問題になることがあります。
農業副業を導入する企業は、契約形態だけでなく、実際の働き方を踏まえて制度を設計する必要があります。
農業副業と労災保険の関係
農業副業では、作業中の事故への備えも重要です。
農作業では、農業機械による事故、転倒、熱中症などのリスクがあります。
副業先の農業法人と雇用契約を締結して働く場合には、労災保険の適用関係を確認する必要があります。
労災保険は原則として労働者を使用する事業に適用されますが、農業では事業形態や規模などによって暫定任意適用となる場合があります。
そのため、副業先が労災保険の適用事業であるかどうかを確認することが重要です。
また、複数の事業場で雇用されている労働者については、複数事業労働者に関する労災保険制度があります。
一定の条件のもとで、複数の勤務先の賃金を合算して給付額を算定する仕組みなどが設けられています。
一方、個人事業主や業務委託として農作業に従事する場合には、通常の労働者とは労災保険の取り扱いが異なります。
農業に関する特別加入制度の対象になる場合もありますが、加入要件を確認する必要があります。
農業副業を持続的に運用するためには、事故防止と適切な補償制度の整備が欠かせません。
農業副業が社員にもたらすメリット
農業副業は、農業法人だけでなく、参加する社員にもメリットをもたらす可能性があります。
まず、本業とは異なる仕事を経験できることです。
鉄道会社の社員が農業に参加すれば、食料生産の現場や地域経済の実態を直接理解する機会になります。
また、農業には作業計画、品質管理、安全管理、チームワークなど、企業活動と共通する要素があります。
農業現場で得た経験が、本業での業務改善や地域連携の発想につながる可能性もあります。
さらに、副業によって追加の収入を得られる場合があります。
ただし、副業収入の税務上の取り扱いには注意が必要です。
農業法人と雇用契約を締結して受け取る賃金は、原則として給与所得に該当します。
一方、独立した事業として農作業を請け負う場合には、実態に応じて事業所得や雑所得に該当することがあります。
給与所得者が副業を行う場合、所得の種類や金額によって確定申告が必要になる場合があります。
副業を始める際には、契約内容と税務上の取り扱いを確認することが重要です。
農業副業を持続可能な仕組みにする条件
農業副業を長期的に継続するためには、農業法人と参加社員の双方にメリットがある制度設計が必要です。
農業法人にとっては、必要な時期に安定して人材を確保できることが重要です。
一方、参加社員にとっては、無理のない勤務日程、適切な報酬、安全な作業環境などが必要になります。
また、農業法人が毎年同じ人材に参加してもらうことができれば、作業経験の蓄積によって生産性が向上する可能性があります。
例えば、初年度は補助的な作業を担当し、翌年度以降は農業機械の操作補助や作業管理など、段階的に役割を広げる方法も考えられます。
ただし、専門的な農業機械の操作には十分な教育や安全管理が必要です。
農業副業は、単発の人手不足対策としてだけでなく、継続的な人材育成の仕組みとして活用することが望まれます。
さらに、農業法人の常勤従業員と副業人材の役割分担を明確にすることも重要です。
農業経営の中核を担う人材を育成しながら、繁忙期の作業を副業人材が補完する体制が理想的です。
企業による地域人材支援の可能性
JR東日本の取り組みは、農業以外の地域産業にも応用できる可能性があります。
地方では、農業だけでなく、観光業、宿泊業、食品加工業、林業などでも人手不足が課題になっています。
企業が持つ人的ネットワークを地域産業に活用できれば、地域経済を支える新しい仕組みになる可能性があります。
特に鉄道会社は、沿線地域との関係が深く、地域ごとの産業や人材需要を把握しやすい立場にあります。
社員の副業を通じて地域産業を支援することは、企業の社会的責任を果たすだけでなく、沿線地域の経済活動を維持することにもつながります。
地域の産業が維持されれば、人口の定着や観光需要の確保にも一定の効果が期待できます。
鉄道会社にとっても、沿線地域の活力を維持することは長期的な経営基盤の強化につながります。
このように、農業副業は企業と地域社会の双方に利益をもたらす仕組みとして注目されます。
結論
JR東日本による農業副業の推進は、日本の農業が抱える人手不足に対する新しい取り組みです。
年間約900人のグループ社員が農業副業に参加していることは、企業の人的ネットワークを地域産業に活用する可能性を示しています。
特に稲作では、田植えや稲刈りなどの繁忙期に労働需要が集中するため、必要な時期に外部人材を確保できる仕組みには大きな意味があります。
一方で、副業制度の運用には、労働時間管理、労災保険、安全管理、税務などの課題があります。
農業特有の労働時間規制の適用関係も含め、実際の契約形態や作業内容に応じた制度設計が必要です。
また、農業副業は常勤の農業従事者を完全に代替するものではありません。
農業経営の中核を担う人材を確保しながら、繁忙期の労働力を補完する仕組みとして活用することが重要です。
今後、日本では農業に限らず、地方のさまざまな産業で人材不足が深刻化すると考えられます。
そのなかで、大企業が社員の副業を通じて地域産業を支援する取り組みは、新しい地方創生のモデルになる可能性があります。
JR東日本の挑戦は、企業の人的資源を本業の枠を超えて活用し、地域経済の維持と企業価値の向上を両立できるかを考える重要な事例といえるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年10月22日 JR東日本、岩手の農業法人を事業承継 コメ農家の生産性向上を後押し
厚生労働省 副業・兼業の促進に関するガイドライン
厚生労働省 副業・兼業における労働時間管理に関する資料
厚生労働省 複数事業労働者に対する労災保険給付に関する資料
国税庁 給与所得者で確定申告が必要な人に関する資料